57話 紅の牙
突然のことに驚いて、俺とアリスは、何事? というような感じで顔を見合わせる。
シルファはマイペースで、壊れた扉から中を覗き込んでいた。
「赤い人達が冒険者をいじめているよ」
えっ、なにその状況?
ものすごく気になるんだけど。
シルファに習い、俺も壊れた扉から中を見る。
「やれやれ……これが冒険者の実力なのか? 口は達者みたいだが、腕力の方はからきしだな」
「く、くそぉっ……!」
赤いマントと赤い仮面を身に着けた男が、冒険者らしき人の頭を踏みつけていた。
表情を大きく変えることなく、淡々とした口調で言うものの……
その奥に、嗜虐的な感情が見え隠れしているのがわかる。
「て、てめぇっ……覚えていろよ! この借り、必ず返してやるからな!」
「床に這いつくばり、尚そのようなことを言えるとは、度胸があると見るべきなのか。それとも、現実が見えていないただの阿呆なのか。判断に迷うところだな」
「ふざけ……ぎっ、ぎゃあああああ!?」
赤い仮面の男が、冒険者を踏みつける足に力を入れる。
ミシミシと頭蓋骨がきしむ音がしたような気がした。
「バカは死ななければ治らないと聞くが、一度試してみるか?」
「や、やめっ……ぎぁ!?」
「ほら、死んでみるといい。俺が手伝ってやるぞ。遠慮なく……」
「おいっ、やめろ!」
さすがに見過ごすことはできず、中に飛び込む。
扉越しでは視界が制限されていたから、詳しい状況はわからなかったけど……
ギルド職員だけじゃなくて、複数の冒険者がいる。
仲間の危機なのに、なんで誰も動かないんだ?
小さな苛立ちを覚えつつ、赤い仮面の男の肩に手をやる。
「それ以上やると、本当に死んでしまう。バカなことは……」
「うるさいハエだな」
「なっ!?」
赤い仮面の男は、警告を発することもなく、いきなり剣を抜いてきた。
咄嗟に後ろに下がっていなければ、そのまま斬られていただろう。
いきなり斬りかかることも論外だけど……
冒険者ギルドでこんな真似をすることなんて、めちゃくちゃだ。
普通に犯罪なので、冒険者でなくても罰が与えられる。
下手をしていたら殺していたであろう一撃は、殺意ありとみなされる。
重い罰が与えられてもおかしくないんだけど……
「……あれ?」
冒険者は元より、ギルドの職員達はまったく動こうとしない。
こちらを認識していながらも、でも、現実からは目を逸らしているような……
そんな感じで、赤い仮面の男の好きにさせていた。
「ほう。貴様、俺の剣を避けるか」
赤い仮面の男は剣を鞘にしまうと、興味深そうにこちらを見る。
「その格好、冒険者か? しかし、見たことのない顔だな……名前は?」
「……答える必要性を感じないけど」
「生意気な口を……しかし、威勢がある方がおもしろい」
仮面の奥でクククッと笑う。
ありったけの悪意を凝縮したような笑い声だ。
聞いているだけで寒気が走り、思わずゾクリとしてしまう。
「貴様の顔、覚えた。今度、じっくりと楽しむことにしよう」
赤い仮面の男は、マントをたなびかせながら、そのまま冒険者ギルドを後にした。
なにをするわけでもなく、呆然とその背中を見送る。
いったい、なんだったんだ……?
「ハルっ、大丈夫!?」
「平気?」
同じく呆気にとられていたのだろう。
我に返った様子で、アリスが慌てて駆けてくる。
シルファはいつも通り、なにがおきてもマイペースだ。
「大丈夫だけど、なにが起きているのやら……」
情報収集に来たはずなのに、謎が増えてしまった。
って、ぼーっとしている場合じゃない。
足蹴にされていた冒険者は大丈夫だろうか?
「起き上がれる? 怪我は?」
「あ、ああ……助かったよ」
手を差し伸べると、冒険者はふらつきながらも立ち上がる。
幸い、大きな怪我はないみたいだ。
「どこの誰か知らないが、ありがとう……ただ、すぐにこの街を出た方がいい」
「え?」
「あの……その人の言う通りです。急いで街を出ないと、大変なことになるかもしれません」
冒険者に続いて、受付嬢にまでそんなことを言われてしまう。
なんで?
不思議に思い首を傾げていると、アリスが小声で尋ねてくる。
「……ハル。また、なにかやらかした?」
「……またと言われても、なにもしていないよ」
「……うーん、微妙に信じられないわね。ハルってば、知らず知らずのうちに、自覚なしにやらかすからねー」
そんな風に言われるのは心外だ。
俺は、特に大した失敗はしていないはずなのに。
……していないよね?
「街を出たほうがいいっていうのは、どういうこと?」
とにかくも話を聞いた方がいいと思い、受付嬢に尋ねる。
「紅の牙を知らないんですか?」
「俺達、この街に来たばかりなんだ」
「なるほど、道理で……紅の牙というのは、領主様直属の治安維持部隊なんです。さきほどの赤い仮面の方は、紅の牙の隊長のシニアス・ザムズーンです」
「領主の?」
思わぬところで領主の名前が出てきた。
意外な収穫を喜びつつ、さらなる情報を求めて、話を掘り下げていく。
「治安維持部隊っていうことは、その名前の通りの活動を? でも、それにしては自ら治安を乱すようなことをしていなかった?」
「はい……大きな声では言えませんが、紅の牙は治安維持部隊とは名ばかりで、そこらの犯罪者と変わりません。いえ、それ以上に質が悪いんです。領主様から大きな権限を与えられていて、それを盾にやりたい放題……逆らおうものなら私刑に遭うか、ありもしない罪を着せられて投獄されてしまうか……」
なるほど、納得した。
そんな連中が相手だから、なにもできないでいたわけか。
「紅の牙の連中は、王様気分でこの街をめちゃくちゃにして……どうして、領主様はあんな人達に大きな権限を与えるんでしょうか。もう、領主様が私達をいたぶりたいとしか……」
「お、おいっ。気持ちはわかるが、それ以上は言わない方がいい」
「そうだ。どこで話が流れていくか……もしも領主様の耳に入ったら、生きていられないぞ」
「それは、紅の牙をけしかけられる、っていうこと?」
「いや……それ以上に、恐ろしいことになるんだ」
冒険者は顔をこわばらせつつ、小さな声で言う。
「噂があるんだよ」
「噂?」
「……領主様は、凄腕の殺し屋を雇っているらしい」
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