529話 脱出
とある部屋。
人影は一つもない。
物音もしない。
時が止まったかのような静かな部屋だったけれど……
小さな光がどこからともなく現れて、それが魔法陣を形作る。
そして……
「成功です!」
アンジュ達が転移魔法で姿を見せた。
「ふぅ……よかったです。みなさん、一緒に転移することができて」
「さすがお嬢様です」
「でも、いったいどうやったの?」
「目印を辿りました」
ナインが話していたように、あの後、いくらか待ってみると食事が提供された。
誰かが運んでくるわけではなくて、魔法による転移だった。
通常、転移魔法を使用するには、現在地と目標地点の座標の把握が必要となる。
故に、初めて訪れる場所では転移魔法を使用することができない。
だからこそ、アンジュ達は牢に閉じ込められたまま、脱出することができなかった。
下手をしたら壁や地面の中に転移……という事故もある。
安易な転移は無理だ。
ただ、食事を転移魔法で用意されたことが良い方向に働いた。
その痕跡を探ることで、もう一方の座標を知ることができたのだ。
アンジュがそう説明すると、ナインが拍手をする。
「さすがです、お嬢様」
「や、やめてください。そんなに褒めないでください。あぅ……」
「照れているね、よしよし」
なぜかシルファがアンジュの頭を撫でる。
がんばった子供を褒めるような感覚なのかもしれない。
「でも、魔法は使えないはずじゃなかったの?」
アリスが小首を傾げる。
「正確に言うと、魔力の正常な流れを乱されてしまう、ですね。なにもなければ10の魔力を使えるはずなのに、それが乱されることで1しか使えない。そのせいで魔法も使うことができない、という感じでしょうか?」
「なるほど」
「ただ、それなら100の魔力を使用すればいいと思ったんです。乱されたとしても、必要な10は確保できます」
「そこで、自分の出番っす!」
サナがドヤ顔で胸を張る。
尻尾も嬉しそうに揺れていて、ビタンビタンと床を叩いていた。
おもちゃに寄せられる猫のように、シルファが尻尾を視線で追いかける。
「自分はドラゴンっすからね。100どころか、1000の魔力を供給したっす!」
「触れ合っていれば魔力の譲渡は可能なので。後は、サナさんにありったけの魔力を供給してもらい、強引に魔法を起動しました」
「さすがお嬢様です」
「それ、三回目です……」
「お嬢様を賛辞する言葉、回数はいくらあっても足りません」
「あうあう……」
顔を赤くするアンジュを見て、アリスとレティシアがくすりと笑う。
慎ましい振る舞いは同性から見ても好ましい。
彼女が仲間であることを、二人は頼もしく思う。
「さてと」
レティシアはぐるっと部屋を見回す。
「とりあえず外に出ることができたけど、ここはどこかしら?」
「んー……机のようなものがあるから、仕事部屋かな?」
「ここで私達の監視などが行われていたのかもしれませんね」
「なら、さっさと部屋を離れた方がいいんじゃない? 今は席を外しているみたいだけど、戻ってくるかもしれないわ」
「でも、扉が三つあるよ?」
シルファが右と左と前を見る。
それぞれ扉が設置されていた。
それがどこに繋がっているか、アリス達には判断できない。
「外に逃げられるかもしれないけど……下手したら、余計に奥に迷い込んじゃうかもしれないわね」
「いいんじゃない、それで」
「え?」
あっさりとレティシアが言う。
その言葉に迷いはない。
「外に出れたとしても、ここは空飛ぶ島の中。どうせ逃げられないわ」
「それは……」
「なら、まずはハルと合流することを目指すべきよ。ハルのことだから、たぶん、奥の方に迷い込んでいると思うわ。そういうヤツだもの」
「……否定できないわね」
アリスが苦笑した。
アンジュも苦笑した。
いつもトラブルの中心にいる。
そして、なんだかんだで解決してしまう。
それが、ハル・トレイターという人間だ。
「でも、道を間違えたりしたくないわね……うーん、どれが正解なのかしら?」
「サナ、出番」
シルファがサナの背中を押す。
「へ? 自分っすか?」
「匂いでハルの居場所を探って」
「自分、犬猫じゃないっすよ!」
「できないの?」
「まあ、できるっすけど」
「できるんかい!」と、アリスとレティシアは心の中でツッコミを入れた。
大きな声を出さないのは、ここが敵地だからだ。
「すんすん、すんすん」
サナは鼻を鳴らして、
「右の扉っす!」
自信たっぷりに右の扉を指差した。
「大丈夫かしら……?」
「ま、なるようにしかならないわよ。他に手がかりもないし、行きましょう」
「そうね」
絶対にハルと合流する。
そして、みんなで地上に戻る。
アリス達は強く決意して、右の扉を進む……




