417話 大事なものを思い出して
「……」
領主が管理する教会。
その隣に併設された建物の一室にアンジュの姿があった。
いつものシスター服ではなくて、純白のドレスに身を包んでいた。
「……」
鏡に向き合い、アンジュは自身を見る。
今日、式を挙げる。
海洋都市領主、エグゼア・ケインリッヒの妻となる。
納得したはずだ。
自分のためにも、ナインのためにも。
こうすることが一番だと思い、彼の話を受け入れた。
それなのに……
「どうして……」
こんなにも胸が痛むのだろう?
寂しく、切ない気持ちになってしまうのだろう?
「私は……」
なにかを言葉にしようとした時、扉をノックする音が響いた。
「はい」
「失礼します、お嬢さま」
姿を見せたのはナインだった。
専属のメイド……と、聞いている。
記憶がないため、その辺りのことはアンジュにはよくわからない。
ただ、いつも気にかけてくれて、とても良くしてくれた。
記憶はないのだけど……
不思議と、彼女のことは心の底から信頼していた。
「……綺麗ですね」
アンジュのドレス姿を見て、ナインは笑みを作る。
ただ、それは、どこか空っぽな笑みで……
とても困っている様子で、悲しんでいる様子でもあった。
「ありがとう、ナイン。嬉しいです」
「……」
「ナイン?」
「本当に嬉しいのですか?」
「え?」
「お嬢さまは……今回の結婚、本当に嬉しいと思っているのですか?」
「それは……」
心の中を言い当てられたかのような台詞に、アンジュは言葉に詰まる。
嬉しいとは思っていない。
他に手はないと……
消去法で選んだようなものだ。
「お嬢さま」
ナインはまっすぐな目を向けてきた。
「お嬢さまはとても優しいお方。私のことや周囲のことを考えてくださっているのでしょうが……しかし、それよりも、まずは自分のことを第一に考えてください」
「それは……でも……」
「私は、お嬢さまの笑顔が好きなのです。太陽のように明るくて、優しく周囲を照らしてくれて……それでいて、無邪気で純粋。そんなお嬢さまだからこそ、私は、全てを捧げるつもりであなたに仕えてきたのです」
「……ナイン……」
「ですが、今のお嬢さまは……見ていて、とても辛い」
ナインはくしゃりと顔を歪めて、子供のように泣き出しそうで……
そんな侍女を見て、アンジュは驚いた。
そして、ひどく動揺した。
ナインのこんな顔、今まで見たことがない。
いつも冷静で凛としてて……
命の危険があった時でさえ、強さを見せていたものだ。
それなのに、こんな風になってしまうなんて……
「……あれ?」
ふと、アンジュは自分の思考に疑問を持つ。
ナインの現在と過去を比べるようなことを考えている。
記憶喪失なのだから、そんなことはわからないはずなのに……
記憶が戻り始めている?
「ナイン、私は……」
ただの思いこみかもしれない。
ぬか喜びをさせたくなくて、適当なことは言えない。
結果、再び言葉に詰まってしまう。
「お嬢さまの決定に異を唱えることになりますが……やはり、私は自分に嘘はつけません」
ナインは、まっすぐアンジュを見つめた。
「お嬢さまは、お慕いしている方がいます」
「え?」
「それは領主ではなくて、他の方です」
「待って、ナイン。それは……」
「……すみません。私が言えることは、ここまでだと思うのです。ここから先は、お嬢さまに思い出していただかないと……そうしないと、私は、お嬢さまの心に土足で踏み入るようなことはできません」
「……ナイン……」
ナインの悲しそうな寂しそうな顔を見て、アンジュは苦しい気持ちになる。
ただ、どうしたらいいのかわからない。
どうすればいいのかわからない。
「私は……」
アンジュは、再び鏡を見た。
ドレス姿の自分が映っている。
とても華やかで綺麗だった。
でも、その表情は……




