284話 本戦出場を前にして
「はぁ……」
その日の夜。
昼間のことを思い返すとなかなか眠気がやってこない。
ぼんやりと窓から見える夜空を眺めているものの……うん、ヒマだ。
「レティ、って言われてたけど……偽名だよね。まあ、俺が彼女を見間違えるわけがないし」
いつの間にか、レティシアが武術都市にいた。
たぶん、俺を追いかけてきたのだろう。
その目的は……
以前と同じように、束縛するためか。
あるいは、別の目的があるのか。
よくわからないのだけど、正気を失っているように見えた。
あの時。
少しの間だけど、まともな状態のレティシアと話をすることができたのだけど……
あんな時間はもう訪れないのだろうか?
このまま、彼女はどんどんおかしくなってしまうのだろうか?
そして、いずれは悪魔の魂に全て飲み込まれて、完全な魔人に……
「いやいやいや」
悪いことを考えてはいけない。
本当にその通りになってしまいそうで、慌てて頭を振り、嫌な妄想を振り払う。
と、その時。
「入るぜ」
ノックなしに、エリンが部屋に入ってきた。
「エリン。部屋に入ると時は、まずはノックをしないと」
「入るぜ、って言っただろ」
「扉を開けるのとほぼ同時じゃないか」
「うっせーな、細かいヤツ。そんなんじゃもてねーぞ」
「別に気にしないけど……」
「かーっ、やだやだ。草食系ってヤツかよ。男なら、もっとガツガツこいよ」
そんなことを言いに来たのだろうか?
「どうしたの?」
「あー……なんつーか、つまりだな」
エリンは、なぜかそわそわと落ち着かない様子に。
あちらこちらに視線を飛ばして……
ややあって、ちらりとこちらを見る。
「なんかあったのかよ?」
「え?」
「だから、なんかあったのか!」
なにか、と言われても……
もしかして、俺の様子がおかしいことに気がついて、気にしてくれているのだろうか?
うん、ありえる。
口は悪いけど、エリンはとても優しい子だ。
俺のことを気にして様子を見に来ても、おかしくないような気がした。
「ありがとう、エリン」
「は、はぁ!? なんで礼をいうんだよ。バカじゃねーの、変な勘違いしてるんじゃねーよ! ボケ!」
俺の予想は正解だったらしく、エリンはわかりやすく顔を赤くした。
ただ、照れ隠しだと思うのだけど、ボケはひどいと思う。
リキシルは、エリンの口調を矯正した方がいい。
まあ……
これはこれで元気があって、エリンらしくもあるから、いいんだけどね。
「ちょっと、色々とあって……」
「ああ」
「過去……っていうほど昔のことじゃないんだけど、前に、色々とあったんだ。俺は、その色々を捨てて、新しい人生を歩もうと思った。でも、ある日、それでいいのかな? って思い直したんだ。捨てたわけじゃなくて、逃げただけなんじゃないか? まずは、ちゃんと向き合うべきじゃないか? って」
「それで?」
「で、向き合う努力をしたんだ。一応、それに対して向き合うことができたと思う。これからやるべきことも見つけたと思う」
「ふんふん」
「ただ……」
昼に見たレティシアのことを思い返す。
パーティーを組んでいた時と同じ……いや。
それ以上に、ハッキリとした悪意をまとっていた。
「……怖いんだ」
「そうか」
「彼女と向き合うことは、それはいいんだ。そう決めたから。今なら、なにをしてもいいから。でも、そうした結果、彼女がどうなってしまうか……失敗して、取り返しのつかないことになったらどうしよう、って。そう考えちゃうんだ」
「だな」
「やると決めたはずなのに、でも、迷う。怖がってしまう。俺、情けないよね……自由になったはずなのに、今は、その自由が恨めしいかも。やること全て、自分の責任になるわけだからね。そこから目を逸らすことはできないし、逃げることもできない。そんな自由は……思っていた以上に、大変かもしれない」
「まあな」
エリンは相槌を打ち、静かに話を聞いてくれる。
でも、それだけ。
なにかアドバイスをするわけではないし、慰めることもしない。
ただ話を聞くだけ。
でも、それはエリンの優しさなのだろう。
事情をよく知らないのに口を出したら、話がこじれるかもしれないし、相手を傷つけてしまうかもしれない。
そのことを理解しているからこそ、エリンは聞き手に徹しているのだろう。
話をするだけで気が楽になることもある。
吐き出してしまえばいい。
そんなことを言いたそうな感じで、エリンは相槌を打っていた。
「エリン」
「なんだよ」
「……ありがとう」
「ふんっ」
エリンは頬を染めつつ、そっぽを向くのだった。




