279話 闇の勇者
武術都市に一人の旅人の姿があった。
ローブのフードを深く被り、顔は隠されている。
ただ、体格や背丈から女性であることが推測された。
「……」
女性……レティシアは、無言で街を歩いていた。
初めて訪れた街ではあるが、興味を示すことはなく、ただ前だけを見ている。
そんなレティシアは、とある場所の前で足を止めた。
冒険者ギルドだ。
扉を開けて中に入ると、たくさんの冒険者で賑わっていた。
ただ、緊急的な事件が起きているわけではない。
武術大会が目前に迫っているため、冒険者達も浮ついているのだ。
誰が優勝するか?
今からでも、飛び込み参加してみるか?
一攫千金を狙ってみるか?
……そんな会話が飛び交っている。
「ねえ」
彼らの会話を気にすることなく、レティシアはまっすぐ受付嬢のところへ向かった。
フードを深くかぶり、顔を隠したまま声をかける。
「はい、なんでしょうか?」
「武術大会について聞きたいんだけど、ここで問題ない?」
「大丈夫ですよ。武術大会のどの部分について興味があるでしょうか?」
「今、そこで冒険者達が話をしているのを聞いたんだけど……今からでも参加は可能なの?」
「はい、条件を満たせば可能ですよ」
まずは闘技場へ赴いて、大会の係員に参加の申請をする。
そこで行われるテストに合格すれば、飛び入り参加が認められる。
テストの内容はシンプルなもので、実力を測るというものだ。
飛び入りを認めるのだから、一定以上の実力がないとダメ、という判断らしい。
「ただ、かなりの実力がないと認められませんよ? 大会を大きく盛り上げられるほどの実力者でないと、飛び入りを認める意味はありませんからね」
「問題ないわ」
腰に下げた剣に軽く触れつつ、レティシアは冷たく笑う。
「『斬る』ことは得意なの」
レティシアは、『斬撃姫』という異名を持つ。
プラス、『勇者』の称号を持つ。
こと剣技において、彼女の右に並ぶ者はいないだろう。
「武器は木剣となりますが、問題ありませんか?」
「ないわ」
「それと、魔法は禁止されていますが、そちらも問題はありませんか?」
「ないわ」
「わかりました。では、紹介状を書いておきますね。その方が手続きがスムーズに進むと思うので」
「ありがとう」
レティシアは紹介状を受け取り、それから思い出した様子で問いかける。
「そういえば、ここに拳の勇者がいると聞いたんだけど?」
「アレクさまのことですね? はい、確かに滞在されていますよ」
「へぇ……」
「今は、アストラス商会のところでお世話になっているそうです。ちなみに、アレクさまも武術大会に出場するらしく、優勝候補の一角となっています」
「それは良いことを聞いたわ。情報、ありがとう」
レティシアはローブの裾を揺らして、冒険者ギルドを後にした。
「……アレクのやつ、こんなところにいたのね」
レティシアはアレクのことを知っていた。
同じ勇者。
一緒にいた時間は少ないものの、何度か顔を合わせる機会があった。
戦うことしか考えていない、バトルジャンキーだ。
なにかあれば強敵と戦おうとして、必要のない戦闘を強いられたことがある。
迷惑きわまりない。
「よかった。ここまで来て空振りだったら、どうしようかと思っていたもの。ふふ、あとはハルを見つけるだけね。そして……」
レティシアはくすくすと笑いつつ、腰の剣に指先で触れた。
「ハルを私のものにしないと」
レティシアの瞳に理性はない。
代わりに、深い深い闇が広がっている。
今までは強靭な意思の力で悪魔の侵食に耐えてきた。
まだしばらくは保つと考えていた。
でも、それは甘い考えだった。
いくら勇者であろうと、レティシアはまだ大人になったばかり。
強い力を持っていたとしても、その精神はまだまだ未熟。
故に、耐えることができなかった。
悪魔の侵食を許してしまった。
そして……
魂の一部を残して、ほぼ全てを掌握されてしまった。
今の彼女は、己の欲望のままに動いている。
その目的は、ハルを手に入れること。
ハルの体、心、魂……その全てを自分のものにすること。
「ふふ……ハル、待っててね。もうすぐ、もうすぐよ。私が一緒にいてあげるから……」
以前に抱いていた強い執着は、歪んだ愛情に変化していた。
自分だけがハルを守ることができる。
自分と一緒にいることが、ハルの幸せに繋がる。
それが最善。最良。
そんな思考に違和感を持っていない。
むしろ、正しいと信じている。
レティシアの魂は耐えることができず……
全てが消えてしまう日が近づいていた。
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