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149話 ファナシス兄妹

 クラウディアには、どうしても克服できない苦手なものが二つある。


 一つは虫だ。

 小さい頃、上から降ってきたクモが顔に貼り付いてしまうという事件があり……

 それ以来、全ての虫が苦手になってしまった。


 ファナシス家の者が虫を恐れているなんて、情けないにも程がある。

 何度か克服しようと、触るなり身近に置くなりしてがんばったものの、どうしても乗り越えることができなかった。


 それと同じで、なにがあろうと立ち向かえないものが、もう一つある。

 それが……兄弟だ。


 有能な兄と姉。

 それに比べて、自分はなんて愚かで小さな存在なのだろうか?

 貴族の家に生まれたにも関わらず、知識はなく、政治的手腕を持つこともない。


 徹底的な教育で気品は身につけたものの、しかし、それはハリボテのようなもの。

 いつ崩れ落ちるかわからない。


 魔法の才能はあるが、そのようなものは求められていない。


 なにも持たない……

 そんな劣等感がクラウディアの心の奥底に植え付けられていた。

 故に、兄姉に対して抗うことができない。


 自分の部屋に招いたものの、目を合わせることができない。


「やあ、クラウディア。一年ぶりかな? 元気そうにしているみたいで、なによりだよ」

「あ、ありがとうございます……あの、お兄さまは、どうしてこのようなところに?」

「んー……ちょっと自分の立場を忘れたのかな?」

「きゃっ!?」


 突然、クラウディアは頬を張られた。

 本当に突然のことだったので、受け身を取ることもできず、床に倒れてしまう。


「まだ僕の話の途中なんだ。それなのに口を挟むなんて、あってはならないことだよ? まずは相手の話をきちんと聞く。そんなことも忘れたのかい?」

「も、申しわけありません……」

「まったく。こんなのが僕の妹なんて、頭が痛いね。大した能力はなくて、あるのは、使えない魔法の才能だけ。どうして、こんな落ちこぼれが我が家に生まれたのか。あぁ、そうか。もしかしたら、クラウディアだけ親が違うのかもしれないね。そこらの橋の下で拾われたのかもしれないね。そう思わないかい?」

「は、はい……その通りかも、し……しれま、せん」


 悪意に満ちた言葉に、クラウディアは涙目になりながらも、アインに賛同してみせた。


 もちろん、本心では、そんなことはないと叫びたかった。

 しかし、そのようなことをすれば、躾という名の暴力が待っている。

 痛みと苦しみはクラウディアの心の奥底にまで刻み込まれていて……

 どうしても逆らうことができない。


「そうそう。そうやって、礼儀正しくしていれば、僕も無用な躾をしないで済む。クラウディアも痛い思いをしないで済む。今後は、気をつけておくれよ?」

「はい……お気遣い、あ、ありがとうございます……」

「あー……なんか、その目、イラっと来るなあ」


 突然、アインが睨みつけてきた。

 クラウディアは条件反射で震えてしまう。


「媚びへつらう感じでないといけない、そう思わないかい? でも、クラウディアの目は、どこか反抗的だ」

「そ、そのようなことは……!」

「なぜ自分がこんな目に、と言っているかのようだ。僕を非難しているみたいだ。やれやれ……一年会わないうちに、こんな風になっていたなんて。これはもう、一から躾をするしかないかな?」

「ひっ?!」


 クラウディアは本気の悲鳴をあげた。


 骨が折れるほどに殴られて、血を吐くことに殴られて、気絶するほどに殴られて……

 大嫌いな虫を食べさせられて、雪降る冬に裸で外に放り出されて、笑いながら首をしめられて……


 今までにされてきた躾を思い出して、クラウディアはガタガタと体を震わせた。

 涙が勝手に浮かんできて、頭が真っ白になってしまう。


 そんな様子を見て、アインは嗜虐心に満ちた笑みを浮かべる。


「まあ……躾は後にしておこうか」


 怯えるクラウディアを見て満足したのか、アインはそんなことを言う。


「とりあえず、話を進めようか。あちらこちらに手を回して、僕がこんなところまでやってきたのは、もちろん、理由がある」

「な、なんでしょうか……?」

「コレを見てくれるかい?」


 アインは机の上に資料の束を放る。

 机から落ちないように、慌てて手を伸ばしつつ、クラウディアは資料を開いて目を通す。


「これは……お見合いの資料、ですか?」

「うん、そうだね。よかった。愚図な妹でも、それくらいの知識は持っていたか。なんのことですか、とか聞かれたら、頭を抱えるところだったよ」

「あの、でも……これは……」

「もちろん、キミの見合い相手だ」


 半ば予感はしていたが、そういうことなのか。

 ひとまず、クラウディアは資料の続きを読む。


 相手は、五十代の貴族。

 ファナシス家と親交のある相手で、クラウディアも何度か顔を合わせたことがある。

 親子以上に歳が離れているクラウディアに、欲情の目を送ってくるような、そんな相手だ。


「もしかして、わたくしは……」

「うん。そのグロワール家に嫁いでもらうよ」

「……」


 クラウディアは、地面が崩れてどこかに落ちていくような、そんな絶望感を覚えた。


「ぜんぜん連絡がとれないから、こうして、僕が直接やってきたんだ。感謝しておくれよ?」

「あ、あの、その……でもわたくしは、まだ、魔法学院を卒業しておらず……」

「なにを言っているんだい? そんなもの、すぐに退学してもらうに決まっているだろう?」


 今度こそ、クラウディアは絶望した。


 魔法学院に来て魔法を学んだのは、自分の価値を示すためだ。

 家族に認めてもらうためだ。


 しかし、それはまったくの無意味だった。

 家族はクラウディアを見ることはなく、なに一つ評価することなく……

 彼女のことを、ただの道具としてしか見ていなかった。


「ここに入るのに、少し時間を使ってしまったからね。これ以上、無駄な時間は使いたくない。明日出発するから、準備をしておくように」

「そんな……ま、待ってください。わたくしは、まだ、この魔法学院で学びたいことが……」


 家族に認めてもらうために入った魔法学院ではあるが、愛着もある。

 魔法を学ぶおもしろさも知った。

 家の問題がなかったとしても、クラウディアは、魔法学院に入学したことを後悔していない。

 そして、これからも学び続けたいと思っている。


「お、お願いします! あと、一年……いえ、半年で構いません。その後は、どのようなこともお聞きします。ですから、もう少しだけここで学ぶ許可をくれまあうっ!?」


 クラウディアの懇願は、アインの乱暴な蹴りで遮られた。


 再び床に転がるクラウディアを、アインは容赦なく蹴る。踏みつける。


「やれやれ……ホント、勘違いだけはしないでくれるかな?」

「あうっ……!? い、いたっ、あああぁ……!?」

「クラウディア、キミに選択権なんてないんだよ? 無能であるキミは、僕に従うしかないんだ。それが唯一の道だと、そう教え込んできたはずなのに……ホント、頭が痛いね。この一年で、増長してくれて。嫁に出す前に、躾をしておかないと。でないと、相手に失礼があるかもしれない」

「や、やめっ……うぐ!?」

「あー、黙ってくれるかな? 今、クラウディアの声を聞くと、ものすごくイライラするからね」

「うあっ、ひぅ、うぅ……!?」

「だから、黙ってくれ、と言っているじゃないか。それなのに、なぜ、こんな簡単な命令もきくことができないのかな? ほら、口を閉じて。その無様な悲鳴をやめるんだ」

「あぐっ、うぐ、うううぅ!?」


 アインが蹴り続けているため、クラウディアは悲鳴をあげ続ける。

 そのことをきちんと理解している様子で、アインは尚も暴力を振るう。

 口元は醜悪な笑みが浮かんでいた。


「本当に愚かな妹だね。まずは、ここで躾を始めようか」

「や、やめ……」

「あぁ、久しぶりの兄妹の時間だね。楽しくなってきたよ。お、よかったじゃないか。愚かな妹でも、この僕を楽しませることができる。誇っていいよ」


 手始めにという感じで、アインは椅子を振り上げた。

 それを見て、クラウディアは恐怖に顔を引きつらせて、涙で頬を濡らす。


 ……その時。


 ゴガァッ!!!


 突然、部屋の扉が吹き飛んだ。

 その向こうから姿を見せたのは……ハルだった。

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◆◇◆ お知らせ ◆◇◆
再び新作を書いてみました。
【氷の妖精と呼ばれて恐れられている女騎士が、俺にだけタメ口を使う件について】
こちらも読んでもらえたら嬉しいです。
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