136話 魔人レティシア
学術都市から、馬車で一ヶ月ほどの距離にある小さな村。
その宿の一室に、レティシアの姿があった。
「うぐっ……ぐ、ううううう……あっ、うあああああ……」
ベッドに寝るレティシアは、胸元をかきむしるようにして悶えていた。
顔を赤くして、次いで青くして……
獣のように吠えている。
何度も何度も寝返りを打つ。
その顔は汗でびっしょりと濡れていた。
「くっ、うぅ……」
やがて、レティシアは目を開けた。
はぁはぁと荒い吐息をこぼしつつ、ベッド脇のサイドテーブルへ手を伸ばす。
そこに置かれている錠剤を口に含み、水で流し込む。
コクン、と喉が鳴る。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
呼吸はまだ乱れている。
ただ、苦しみに悶えることなくて、落ち着きを取り戻し始めていた。
「まずい、わね……日に日に、発作がひどくなって……くっ、下手したら一気に意識を持っていかれそう」
完全に落ち着いたところで、レティシアは、膝を立ててベッドの上に座る。
立てた膝に頭を乗せるようにして、体を休める。
今は一歩も動きたくない。
指先一つ、動かすのも億劫だ。
ひたすらにじっとして、体を休めていたい。
「それなのに……なにか用かしら?」
「ほう、儂に気づいていたか」
さきほどまで、部屋にいたのは確かにレティシア一人だった。
しかし、今は違う。
齢八十を超えているような老人が、いつの間にか姿を見せていた。
彼の名前は、マルファス。
レティシアと同じ魔人だ。
「冷たい態度じゃな。せっかく、様子を見に来たというのに」
「善意なら歓迎するわ。でも、あなたの場合はそうじゃないでしょ? モルモットが元気かどうか。薬がどんな影響を及ぼしているか。それを確認するのが一番の目的じゃない」
「まあ、否定はせぬよ。研究こそが、儂の生き甲斐じゃからな」
人をモルモット扱いするような発言をしておきながら、好々爺のようにマルファスが笑う。
彼は笑みを携えながら、レティシアに問いかける。
「それで、調子はどうかな?」
「最悪ね」
「おや。儂の薬は失敗したかのう?」
「最悪の気分だけど……でも、なんとか私は私でいることができている。だから、薬の効果はちゃんと出ているわ。安心なさい」
「ふぉっふぉっふぉ、それを聞いて安心したわい。研究が失敗していたのではないかと、ヒヤヒヤしたぞ」
「ったく……」
レティシアは舌打ちした。
マルファスに対する不満、不信を露骨に示してみせたのだけど、彼はなにも気にしない。
マルファスが考えていることは、己の研究に関することだけ。
それ以外のことはどうでもいい。
同胞であるフラウロスが敗れた時も、驚きじゃな、の一言だけだった。
仇を討つなんて考えることはないし……
フラウロスを食べたレティシアに対して、協力さえしてしまう。
己の研究が進むならば、なんでもする。
それが、マルファスという魔人だ。
「これ、副作用はどうにかならないの? まともに動けないほど強烈で、意識がなかった頃とあまり変わらないんだけど」
「すまないのう。魔人化の侵食を抑制しつつ、人間としての意識を保つ……そのような研究は初めてでな。なかなかにうまくいかないのじゃよ。何度も治験を繰り返して、研究を進めていけば改善されるだろうが、すぐには無理じゃな」
「それじゃあ、あたしはしばらくの間、ずっと副作用に悩まされるっていうことね」
「おや。このまま儂に協力をするのかな? 強烈な副作用があるのならば、いっそのこと、悪魔に心も魂を委ねてしまえばいいのではないかね? そうした方が楽だろう。見たところ、キミの副作用は、死ぬよりも辛いように思えるが」
「そうね、死んだ方がマシって思えるわ」
レティシアは深いため息をこぼした。
その表情は疲れ切っていて、ハルと一緒にいた頃の強気な色は欠片も残っていない。
それもそのはず。
レティシアの体を蝕む副作用は、マルファスが考えているものの数段は上なのだ。
常に全身を切り刻まれているかのような激痛。
頭の中をめちゃくちゃにかき回されるかのような強烈な不快感。
その他、ありとあらゆる負荷がかかり……
レティシアの体はボロボロだ。
魔人でなければ、とっくに死んでいるだろう。
「でも、いざという時のための保険は用意しておきたいの」
「いざという時の保険とは、あの方が真に覚醒した時、かな?」
「……」
「いやはや、人間の心とは面白いものじゃな。自分を犠牲にして大切な者を救う。お主は、それを実際にやろうとしている。興味深い、実に興味深い。儂の研究対象として……そして、パートナーとして、これ以上ないほどに最適じゃ」
「口の減らない魔人ね。これ以上、つまらないことを言うのなら……食べるわよ?」
レティシアから冷たい殺気が放たれる。
マルファスは両手を挙げて、肩をすくめてみせる。
「ふむ、気に触ったのなら謝ろう。儂はお主と争う気はない。今も言ったが、良きパートナーと思っているし……なにしろ、戦いになれば、儂は負けるじゃろうからな。元々の格は儂の方が下。その上、お主はフラウロスを食べている。勝てる要素は一パーセントもないじゃろう」
「なら、余計なことは言わないで」
「気をつけておこう」
そこまで話したところで、レティシアは小首を傾げる。
「そういえば……あなたは、なにをしに来たの? ただ単に、私の様子を見に来た、っていうことはないでしょう?」
「うむ、うむ。察しが早くて助かる」
マルファスはテーブルの上に地図を広げた。
レティシアはベッドから降りて、地図を見る。
村から数日の場所に印がつけられていた。
「これは?」
「悪魔の魂が眠る場所じゃよ」
「こんなところに……」
意外と近いところに同族がいるのだと、レティシアは素直に驚いた。
「悪魔、っていう単語を使うっていうことは、まだ魂だけの状態なのね? 誰かに憑依して、魔人になってはいない?」
「うむ、その通りじゃ」
「……」
「さて、これをどう思う? 封印されている状態で、悪魔の魂は身動きもなにもできない。好きにすることができる」
レティシアは、マルファスの言いたいことをすぐに理解した。
要するに……
この老人の姿をした魔人は、この悪魔を食べないか? と誘っているのだ。
「仲間じゃないの?」
「確かに。しかし、儂はお主の方に興味がある。さらなる力を得たお主がどう動くのか、その行く末を見届けたいと思っている。なればこそ、協力しようではないか。そのためならば、同胞であろうと売ろうではないか。全ては、儂の知識欲を満たすために」
「魔人って……ううん、悪魔って、ホントに救えない存在ね」
レティシアはため息をこぼす。
しかし、地図に記された場所から目を離すことなく、しっかりと記憶に刻み込む。
「まあいいわ。あなたが私を利用するように、私もあなたを利用するだけ。ここに悪魔の魂があるというのなら、喰らうまでよ」
「力を欲しているのかな?」
「ええ」
レティシアは即答した。
そのまま、暗い顔で応える。
「もっともっと強い力を手に入れないと……ハルに追いつくことはできないし、いざという時に、助けることができないから」
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