103話 覚醒
「その赤い瞳……魔人?」
フラウロスがぽかんと、目を丸くした。
殴られた痛みも忘れてしまうほどに驚いて、動きを止めてしまう。
次いで、笑う。
「あはっ、ははは! まさか、このようなところで同胞と再会するなんて。さすがに、こんな事態は想定外ですね。欠片も考えていませんでした」
「……」
「魂の書き換えをしたことで、悪魔の力が覚醒して、魔人に……そのようなところでしょうか? なるほど、なるほど。納得ですね。あれだけの魔力、人間にしてはありえないと思っていましたが、まさか、同胞だったとは」
「……」
「使徒を得られないことは残念ですが、同胞が目覚めることの方がなによりも大事ですね」
「……」
「魔力だけでは……判別できませんね。あなたの真の名前は?」
「……ぐっ」
「?」
「あああっ、ああああああぁっ!!!」
ハルは叫び、唸り、吠えた。
獣のように駆けて、フラウロスに迫る。
「未だ、私を敵と認識しますか。魔人としての覚醒は、中途半端……いえ、失敗? どちらにしても、教育を施す必要がありますね。ふふっ、かかってきなさい」
フラウロスは余裕の笑みで、ハルを迎え撃つ。
その笑みは、慢心からくるものではない。
積み重ねられてきた経験と、確かな自信から生み出されたものだ。
フラウロスが魔人として覚醒したのは、少し前のこと。
未だ完璧とはいえないが、それでも、力を扱う術は身につけた。
覚醒した当初は、有り余る強大な力に振り回されて、自爆すらしてしまうほど。
それほどまでに、魔人の力は制御が難しい。
フラウロスでさえ、己の力を完全にコントロールするのにしばらくかかった。
ハルは、魔人として覚醒したばかり。
力のコントロールなんてできるわけがない。
そんなひよっこに負ける道理はない。
「さあ、来なさい。魔人とはどういうものか。特別に、私が教育をしてさしあげましょう」
フラウロスが構えた。
ハルは特に策を練るわけでもなくて、ただ力任せに、真正面から突撃する。
めちゃくちゃな戦い方だ。
そのような攻撃で、自分を倒せると思っているのだろうか?
そんな自我すらも残らないほど、暴走しているのだろうか?
フラウロスは若干、苛立つ。
教育は厳しくいくとしよう。
フラウロスは、右手に結界を集中させた。
無敵の結界を持つけれど、相手が魔人となると効果はない。
同じ力を持つ相手……もしくは、それ以上の相手になると、攻撃を防ぐことはできない。
当たり前の話だ。
ただ、うまくやれば防ぐことはできる。
全身に張られている結界を一点に集中させることで、その効果を何倍にも増す。
そうすることで、同族からの攻撃を傷つくことなく受け止められる。
……そのはずだった。
「がっ!!!?」
ハルの拳が振り抜かれた。
フラウロスの多重結界を、紙のようにまとめて砕き、その顔面を殴り飛ばした。
フラウロスが吹き飛び……
その上に、跳躍して追いかけてきたハルが飛び乗る。
馬乗りになり、そのまま左右の拳を乱打する。
「ぐっ、あああっ、ぎゃ……!?」
フラウロスの悲鳴が立て続けに響いた。
己の結界が貫通されていることを、ここでようやく悟る。
なぜ? どうして?
一点に集中させた結界を打ち破るなんて、聞いたことがない。
悪魔の中でランク差はあり、フラウロスより強い者はたくさんいる。
どちらかというと、フラウロスはランクの低い悪魔だ。
ただ、相手がどれだけ格上だったとしても、こんなことはできない。
一瞬で結界を砕くなんて、いくらなんでもありえない。
悪魔の力を超えている。
「ぐっ……調子に、乗るなぁあああああっ!!!」
相手が同胞であることを忘れて、フラウロスはありったけの力で魔法を放つ。
ゼロ距離射撃。
しかも、魔人の力を乗せた渾身の一撃で、ハルを吹き飛ばす。
ハルは、上位の悪魔の魂が宿った魔人なのかもしれない。
しかし、完全には覚醒していない状態で、戦闘の基礎である結界の多重展開すら使用できていない様子。
まともに直撃すれば、魔人であろうと致命傷だ。
「まったく……」
フラウロスは立ち上がり、口の中に溜まる血を吐き捨てた。
「私としたことが、やりすぎてしまうなんて。瀕死でも、生きているのならどうとでもなりますが……難しいでしょうね。まったく、不完全な覚醒がこんな事態を招いてしまうとは……忌々しい封印ですね」
舌打ちしつつ、床に転がるハルのところへ。
そして……途中で足を止める。
「……」
ハルが無言で立ち上がる。
生きていたことを喜ぶフラウロスだが、その顔はすぐに凍りついた。
「無傷……?」
傷らしい傷は見当たらない。
吹き飛ばされた際に、服が汚れた程度だろうか。
ありえない、そんなことはありえない。
全力の一撃なのだ。
例え結界を多重展開したとしても、完全に防ぎきれるものではない。
「そんな、バカなことが……あなたはいったい……?」
「ウゥ……ウァアアアアッ」
ハルの目が閃いて……
次の瞬間、激烈な爆炎が駆け巡る。
フラウロスは咄嗟に結界を多重展開するものの、やはりというべきか、一瞬で全てを砕かれてしまう。
無防備な体だけが残されて、爆炎に晒される。
撹拌機に入れられたかのように揺さぶられて、上下左右の感覚が消失する。
「あっ……ぐぅ……!?」
ほどなくして爆炎が過ぎ去り、フラウロスは地面に倒れ伏す。
たった一撃。
それも、戯れの一撃でフラウロスは瀕死の状態にまで追い込まれていた。
長い間、時間をかけて人々の魂を食らい、成長してきたというのに……
その成果が、一瞬で水の泡と化してしまう。
「これは、いったい……? なんで、このようなことが……」
「グゥウウウ……」
獣のように唸るハルからは、黒い霧のようなものがあふれていた。
夜よりも深く、闇よりも濃く、果てしない悪意。
「まさか、あなたは……いえ、あなたさまは……」
ハルは魔人などではなくて、さらに上位の存在だ。
フラウロスは、そのことにようやく気がついたものの、今更……遅い。
「オォオオオオオッ!!!」
闇があふれ……そして、フラウロスは喰われた。
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