102話 使徒
「使徒?」
聞き覚えのない単語に、眉をひそめる。
そんな俺に対して、フラウロスは、出来の悪い生徒を諭す講師のように、優しく言う。
「使徒というのは、私達魔人の直属の部下のようなものですね。力を分け与えることができて、なおかつ、一つ特殊能力を持つことができます。それがなんなのか、実際に使徒になるまでわかりませんが、とても有用なものですよ」
「……俺が、あなたの味方になると? みんなを裏切って、使徒とやらになると?」
「賢明な判断に期待します」
「断るよ」
即答すると、フラウロスはピクリと眉を動かす。
「なぜ、そのような答えに?」
「普通に考えて、それ以外はないと思うけど。人間止めて、悪魔の手先になるなんて選択肢、選ぶわけがないよ」
「力が手に入るのに?」
「力だけ手に入れても仕方ない」
強くなりたいと思うことはある。
でも、人を捨ててまで力が欲しいなんて思ったことは、一度もない。
使徒なんてものになれば、一緒にいてくれる人がいない。
アリスもアンジュもナインもサナもシルファも……
みんな、消えてしまう。
そんなことをして、なにが楽しいのか?
どうして、満足できるのか?
一人じゃないことは、とても大切なことだと思う。
そのことを俺は、アリスやみんなと出会うことで学んだ。
「そうだ、こうしましょう。使徒になれば、他の者は見逃しましょう。どうですか?」
「断るよ」
「仲間を助けたくないと?」
「もちろん、助けたいよ。でも、後でそんなことを言い出すあなたを、信用できるはずがないだろう」
「困りましたね。私は、目覚めてさほどの時間が経っていないため、まだ使徒は作っていないのですよ。ある程度、力も回復したので、そろそろ真に忠誠を誓う手駒が欲しいところなのですが……」
「残念。他をあたってくれる?」
「そこの男でもいいのですが……やはり、あなたの方が魅力的ですね。あなたにします」
「だから、そんなものは……っ!?」
気がつけば、フラウロスが目の前にいた。
こちらが知覚できないほどの速度で距離を詰めてきたのか。
あるいは、転移魔法を使用したのか。
どちらにしても、やばい。
この距離だと逃げることは……
「ならないというのなら、強引にしてしまえばいいですね」
「ぐぁっ!?」
フラウロスの手が……俺の胸を貫いた。
水に沈むような感じで、肉が裂ける様子はない。
出血することもなくて、痛みもない。
ただ、とんでもない不快感に襲われた。
心を丸裸にされて、それを覗き込まれているような、そんな不快感。
「ふふっ、どうですか? 直接、魂に触れられる感覚は?」
「これ、が……?」
「貴重な体験でしょう? このような経験、普通に生きていて味わえるものではありませんよ。まあ、もっとも……二度と味わいたくないと思うでしょうが」
「あっ……あああああぁっ!!!?」
痛い。
苦しい。
悲しい。
辛い。
感情がめちゃくちゃに弾けて、混ざり合い、再び爆発する。
体の奥底から色々な感覚が湧き上がる。
それを、なんて表現すればいいのか?
俺の貧弱な語彙力だと、うまく言えないのだけど……
例えるなら、そう。
心を侵されるような、味わったことのない激烈な不快感。
フラウロスを拒絶しようとするものの、どうすることもできない。
好きに陵辱されて、蹂躙されてしまう。
心が。
魂が。
堕ちていく……
「あっ……ぐぅ……」
「ふふっ、そろそろでしょうか? 魂の書き換えが完了して、あなたは私の使徒になるのですよ。喜んでいいのですよ」
「俺、は……」
「まだ意識を保っていられることは称賛に値しますが、それもここまで」
「やめ……ろ……」
「さようなら」
俺の胸の奥で、ぐっと、フラウロスが拳を握りしめるのがわかった。
彼女が掴んでいるものは、俺の心。
俺の魂。
それが今……砕けた。
――――――――――――
「……」
虚ろな目をしたハルが、言葉を発することはなく動くこともなく、ぼーっと立ち尽くしている。
それを見て、フラウロスは不思議そうな顔をした。
「あら、どうしたのでしょうか? 確かに、魂の書き換えは完了したはずですが……おかしいですね。すぐに目が覚めるはずですが」
フラウロスがハルの前に立ち、手をひらひらと振る。
それに反応することはない。
「失敗? 久しぶりの作業だから……うーん。困りましたね。せっかく、良い使徒を得られたと思ったのですが。そこの男で妥協しましょうか?」
未だ気絶したままのシニアスに、フラウロスの視線が向いた。
その瞬間、ハルの瞳が紅に輝く。
「えっ?」
「うっ……があああああああぁっ!!!!!」
ハルが獣のように吠えた。
そして、拳を振りかぶる。
「まさか、意識が? どうして……確かに、魂の書き換えは完了したはず」
フラウロスは驚きながらも、慌てることはない。
意識を保っていることは驚いたが、しかし、所詮は人間。
どれだけの力を持とうと、みっともなく暴れようと、その攻撃が届くことはない。
魔人は、絶対無敵の結界に守られているのだから。
それを無視することができる方法は限られている。
そのはずなのに……
「うっ……がはっ!?」
ハルの拳が結界を打ち破り、フラウロスの腹部に突き刺さる。
確かなダメージが通り、彼女は吐血した。
「ばか、なっ……いったい、なにが!?」
フラウロスは、今度こそ狼狽した。
慌てて距離を取り、ハルの様子を確認する。
「グゥ……ウゥ、ウガァアアアアアアアアァッ!!!」
吠えるハルの瞳は、血に濡れた宝石のように赤く輝いていた。
『よかった』『続きが気になる』と思っていただけたら、
ブクマやポイントをしていただけると、とても励みになります。
よろしくおねがいします!




