帰り道1
パラパラと小雨が降る音が聞こえたのに、目覚めはぬくぬくと温かかった。
背中にはピッタリとフィカルがくっついていて、私達の周囲はマシュマロ布団がふんわりと覆っている。足元には仔竜が頭を乗せていてさらに一山作っていた。
マシュマロクッションごと私達を囲むようにスーが丸くなり、近くに頭を置いている。起き上がってみると、さらにその外側には茶色がかったモスグリーンの鱗を朝日に輝かせて、巨大竜がゆったりと羽と尾で覆うように屋根を作りながら丸くなっている。
夜中に雨が降り出したことすら気が付かないほどしっかりとした屋根に覆われていた寝床から出るとスーがそっと鼻先を寄せてくる。よしよしと撫でていると仔竜が腕の間からぐぼっと頭を突っ込み、最終的にフィカルが私をスポッと引き抜いた。
「今日は雨だねー。スーで飛ぶのは大変そう」
片翼で6畳の部屋2つほどはありそうな屋根を作り出している巨大竜の懐で、私とフィカルは空を見上げた。
川は僅かに増水しているようだったけれど、私達の地面の高さには届きそうにない。
水場の近くの地面で野宿するときには、寝ている間に氾濫する危険も考えてある程度の距離を取るか、一段高い場所を探す必要がある。
最初、私は巨大竜の背中を借りるのはどうかと提案した。スーの背中に私とフィカルが乗ると、仔竜が必死こいて付いてこようとして、流石に重量オーバーだとスーがグワグワ吠えたためである。
しかし巨大竜の背中に乗ると、私が乗ったときにはおとなしかった竜がフィカルが登った時点で低く唸り、さらにスーが空気を読まずに飛び乗ったものだから太くて長い尻尾が如実に不機嫌を地面に叩きつけていた。
フィカルが指差した木は少々頼りなく、私とフィカルだけならともかく仔竜とスーまで付いてくれば明らかに折れそう。そうやって悩んでいると、巨大竜がのっそりと立ち上がって唸り始めたのだ。ずしんずしんと大きな足で歩いては鼻先を下げ唸る。やがて他の竜も真似をしていたかと思うと、少しずつ地面が隆起し始めたのである。
「で……っかい……岩?」
巨大な竜が1匹体を伸ばしても充分な大きさの平たい岩が見る見るうちに巨大な足の下に出来上がっていく。灰色っぽいそれはところどころ茶色がかっていて、外側は緩やかな坂を描いているものの、一番高い場所は地面に立った私の腰ほどの高さになっていた。
表面はでこぼこしているものの概ね平らで、灰色に混ざった茶色が所々で螺旋模様をえがいている以外は普通の巨大な岩だった。
「凄い凄い! 高いとこ探してるってよくわかったねぇ。ありがとう」
巨大な鼻先に張り付くように抱きつくと竜は大きな目をゆっくりと細める。
そうして私達の野営地が決まったのであった。
足元が泥でぬかるまなかったので、岩の上で寝たのは結果的に大正解だった。
ぽたぽたと大きな翼の先から落ちる雨だれをなんとはなしに眺めながら、スーの炎で沸かしたお湯と干し肉、硬い携行食のパンで朝食にする。
フィカルは相変わらず密着度が上がったままである。乙女の矜持としてお手洗いは死守したけれど、その他は概ね私を抱きしめているか、抱き上げているか、そうでなくとも手が触れている。離れると途端に紺色の瞳が陰るので、突然のボッシュートという衝撃的な消え方をした身としては心配する気持ちを無下にも出来ない。
私にとってもフィカルが傍にいることで感じる安心は心地良いものだった。めちゃくちゃ痛い思いをしたとか、もう死にかけたとかではないけれど、あんな思いは二度としたくないと思う気持ちはフィカルと同じくらい大きい。
食休みを経てとりあえず荷物をまとめてみたものの、霧雨になった天気はまだ続きそうだった。早々に退屈したスーは鞍を外してもらって狩りに遊びにと飛び回り、それに続けとばかりに仔竜も水たまりで転げ回っている。親竜が心配そうに鳴いているのもどこ吹く風だった。
「今日1日は休んでもいいと思うけど、食料が保つかなぁ」
「狩る」
数日分の携行食が入った袋を覗き込んで計算していると、フィカルが頼もしい言葉をくれた。
キルリスさんにフィカルが教えてもらったところによると、私達の住むトルテアから悪徳集団竜の牙があった場所までは竜で飛んでも大体5日ほどかかる距離らしい。王都からは大体真っ直ぐ南に行けるとはいっても、トルテアからよりもさらにかかる。
キルリスさんはまず王都でがさ入れの手配をした後、魔術でトルテアへ飛びまずフィカルをスーごとアジトの近くまで転移させたらしい。そこで壊滅状態の現場をさがし、さらに南へ数時間飛ばして私達を見つけたということだった。
魔術を使わない道程であれば結構な距離である。キルリスさんの手助けがなければ、私は竜の子供として生活し始めていたかもしれない。
竜の牙の魔術師達を一網打尽にするために、キルリスさん達が地下牢に行っているだろう。そこまで行けばまた魔術でトルテアまで送ってもらえるかもしれないが、忙しい中でわざわざ魔力を割いてくれるかどうかは謎だし、そこまでお世話になるのは気が引ける部分もある。
食料を調達しながらの旅ではどうしても遅くなりがちだけれども、さほど急ぐわけでもないのでスーやフィカルが無理しない程度の旅路で帰ろう、と話し合ったのだけれども。
「あれっ? スー、なんか怪我してない?」
飛び回って帰ってきたスーがブルブルと雨粒を払うのを見ていて、紅い鱗がくすんでいる場所があった。
おいで、と呼ぶと嬉しそうに近付いたスーの体の横をまじまじと調べる。大きな翼を捲った根本に、斜めに引っ掻いたような大きな傷が走っていた。胴体に近い翼の1部分から腹の方に僅かに鱗が剥がれて血が滲んでいる。翼を畳んでいるとちょうど見えない位置だった。
「フィカル! 見て、大変!」
呼ぶまでもなく私の背中にひっついているフィカルは、傷をまじまじと見て、おもむろにそれに触れた。
「ギュッ!!」
「やめてあげて痛そう」
ビクンと体を揺らしたスーは目を僅かに潤ませていた。
見ている感じだと、さほど深いものではない。生々しい傷ではあるものの、血が垂れていないのもその証左だろう。
「昨日空中で大乱闘してたときに怪我しちゃってたんだ……」
気付いてあげられなくてごめんね、と撫でながら、周囲を見回す。よくよく見ると、巨大竜たちの鱗もあちこち剥げているところがある。
人間用の傷薬は果たして効果があるのだろうか、と悩んでいる私の前からスーが少し離れてから傷口に鼻先を寄せてぶわっと炎を吐いた。
「ぃいい痛そう〜……!」
傷を焼くだなんて拷問の一種だろうか。顔を顰めて見ているけれど、スーは痛くないらしかった。丁寧に傷口に炎を吐いて、ついでにあちこちの鱗にも炎を吐きかけている。
再び確認した傷口は未だ残っているものの、先程よりは僅かに治ってきているようにも見えた。
竜の骨や鱗から作った武器なども、炎に翳したり水に漬け込んだりすることで強度を保つ性質がある。それぞれ竜の属性のものによって傷も治すことが出来るのかもしれない。
身繕いを終えたスーがくわあと牙を見せながらあくびをしたのを眺めながらそう思った。
「スーが怪我してるなら無理させたくないよね。とりあえず晴れたら歩いて移動しようか」
ひとりで飛ぶ分にはまったく問題なさそうだし痛むならギャンギャン吠えそうなスーだけれど、とりあえず無理をさせるよりはせめて治るまでは安静にさせてあげたい。
そのために移動の時間がかかるようになったとしても、その方がいいだろう。
フィカルを見上げると、こっくりと返事が落ちてきた。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/15)




