竜の牙19
この世界には、「竜になる」という慣用句がある。非常に大暴れする、といった意味でも使われることがあるが、大体は「素早く動く」という意味で使われる。
「かみさんが産気付いたと聞いて竜になって帰った」
「竜になって魔物を倒したので、さほど被害はなかった」
といった感じだ。
初めて聞いた時はピンとこなかったけれど、なるほどこうやって竜と接しているとわかる。
空気抵抗などないかのように真っ直ぐこちらを目指してくる影は、先程巨大竜が沢山舞い降りた時と比べると小さい。しかし速さでは同じくらいなのではないかと思えるほど、その影をぐんぐん大きくしていた。
高くなった日差しを浴びてキラリと赤く光る。その背には小さな人影が見えた。
あれはもうそうですよね。
「フィーカールーッ!! スー!!」
近くで沢山の汽笛が鳴っているかのような大きい竜の鳴き声に負けないように叫ぶと、その影はこちらを目指して飛行しながらくるりと一回転した。ヒィと思わず声を出してしまったのは当然だと思う。どうやら背中に乗せている人物は落下しなかったらしい。
近付いてくるにつれて、ギャアギャアと声を上げていた竜のうち2匹が翼をはためかせてゆっくりと地上から離れた。他の3匹も絶え間なく声を上げていて、翼を微妙に広げている。
どう考えても警戒態勢だった。
「やばい。フィカルがやられてしまう……」
私と仔竜を守るかのように翼を広げている、最初に遭遇した巨大竜のお腹に触れて注意を向けてみる。断続的に鳴き声を上げているためこちらも大声を上げなくてはいけなかった。
「あのね!! あれ、敵じゃないから! 私の仲間なの!!」
「グゥウウウウ」
「いや、別に怖がってないから!」
鼻先をスリスリ、というよりもゴリゴリ押し付けてきた巨大竜は宥めるように小さく鳴いて、私の頭上にマシュマロをポロポロ落とす。
伝わっていない。
上空を警戒して竜は時々しかこちらを見ないので、その隙に翼の下から抜け出してみるしかないのか。そっとマシュマロの山から降りようとすると、ぐいっと袖を引っ張られた。
「ギュイーッ ギィ!!」
すやすや寝ていた仔竜がこの騒ぎにすっかり起きてしまっていて、私の袖を歯のない口でパックリ咥えている。竜の翼の下から出ようとしている私を戻すようにグイグイ引っ張り上げて、それから私に背を向けてバサッと翼を広げ、フィカル達の方を見上げてカカッ!! と鳴いている。
「あー、うん、守ってくれてありがとう。頼もしいなー嬉しいなー」
後ろからぐりぐりと頭を撫でると、仔竜はますます得意気になって小さな翼を目一杯広げている。その可愛らしい威嚇行為を見ながら、バレないようにこっそりとマシュマロの山を降りた。
飛び立った2匹はしばらく私達の真上で鳴き声だけを上げていたけれど、スーが速度を落とさないのを見てそちらへと進み始めた。小さな赤い竜に近付いて蹴りを繰り出す大きな竜達は、しかしスルリと躱されてしまう。体を横にしてすり抜けたスーを追いかけてモスグリーンの鱗がきらめいた。
見たことはないけれど、戦闘機のドッグファイトってこんな感じなのだろうか。
「見てるだけで酔いそう……」
倍以上大きい竜相手に、スーは非常に素早く立ち回っていた。モスグリーンの竜は土や岩を使う魔獣のようだったから、火を使うスーには不利だろう。そう何となくのゲーム知識からぼんやり思っていたけれど、空中戦ではそうでもないらしかった。素早く身を翻してはモスグリーンの大きな翼目掛けて炎を吐くスーを、巨大竜は厄介に感じているらしい。それでもこちらへ近付こうとするスー達を体を使って防ぎながら鳴き声を上げている。
やがて焦れたように地上にいた2匹も飛び立つ。それを見て慌ててマシュマロを覆う翼の影から抜け出した。
「フィカル! 危ないから逃げ……」
走りながら声を上げて、はたと気付く。
フィカルは勇者だ。つまり、魔王を倒した経験がある。しかも一人で。
複数から攻撃されるというのは不利な状況ではある。しかしよく知らないけれど、魔王はこの巨大竜4匹分よりも弱いということはないだろう。
スーの素早い動きに対応して横っ面を蹴るくらいの身体能力はあるのだ。
「……竜さんたちー!! 危ないから逃げてー!!」
叫びながらドッグファイトの行われている下を目指して走ると、私の脱走に気付いた巨大竜が大きく鳴いて立ち上がり、ズンズンと追いかけてくる地響きがする。
攻撃してこない竜だと知っていても、この状況、めっちゃ怖い。自分を踏み潰しそうな巨体が走ってきているというだけでもう無条件に逃げてしまう。これはもう本能的なものだと思う。恐竜怖い。
ヒィィと内心叫びながら、私はかつてないほど真剣に走った。前方ではスーが巨大竜の間を縫うように急な角度で高度を下げて、それを大きな影が追いかけている。
「ギャオオオッ」
「スー!」
紅い鱗が垂直に降りてきて、地面すれすれで持ち直してこちらへと羽ばたく。懐かしい鳴き声が近付いて来たけれど、その傍へ行く前に巨大竜に追いつかれてしまった。
巨大な足に挟まれて頭上から大きな頭が威嚇の声を上げる。その手前、前足には仔竜が掴まれていた。
鋭い牙を見せつけるように口を開けて叫ぶ巨大竜を全く恐れていないかのように速度を下げないスーがすごいスピードで近付いてくる。その背中でマントをはためかせて立つフィカルが腰の剣をスラリと抜いたのが目視できた。
竜をめっちゃ睨んでる。
「わー!!」
これはやばい。
私が声を上げている間に間合いを詰めたスーを巨大竜が噛み砕こうとして、それを紅い鱗が避けて横を通り過ぎていく。その代わりに大きな牙を弾いたのは速さを利用してスーの背から降りたフィカルだった。
剣を竜の口の中に叩き込んで、それを分厚い鱗とびっちり並んだ牙で弾いた竜は頭を振る。それで弾かれたように地面に転がったフィカルは素早く起き上がって再び剣を構えて走った。
「だー! ダメダメダメダメ! フィカール! 竜こわくないいい!!」
どっちが負けてもイヤ過ぎる。
巨大な足の間から走り出すと、竜を睨み上げていたフィカルがようやくこっちを向いた。
フィカルの剣と竜の鼻先の間に飛び出すと、紺色の瞳を見開いたフィカルが慌てて受け止めてくれる。カラン、と剣が落ちる音がした。
「……スミレ」
「フィ、だ、こ、竜」
猛ダッシュの息切れがどっと来た私をフィカルが抱き上げて、頭を私の首筋に埋めてぎゅうと抱きしめる。爪先がぷらんと浮いた。
「スミレ、スミレ、スミレ……スミレ」
その力は息切れが酷くなりそうなほど強かったけれど、私を呼ぶ声が不安を音にしたようだったので、私もフィカルの首に腕を回す。ぎゅっと力を込めると、フィカルの体温が伝わってきた。
その温かさや、フィカルの呼吸で僅かに波のある力、首筋をくすぐる銀色の髪がじわじわと私に染み込んできて、つんと鼻の奥が痛くなった。
「ふぃ、フィカルゥ〜」
「スミレ」
なんやかんやの最中にはそれほど感じなかった恐怖が、一括払いでやってくる。フィカルと同じように銀色の髪がかかった首筋に目を埋めて、ぐずぐずと鼻を鳴らした。
もう大丈夫。
もう安全なのだ。




