竜の牙16
「疲れた……」
30分ほどボディランゲージを駆使した結果、巨大な竜はとりあえず地上に降り立ってくれた。大きな翼はゆったり動かしていても速く飛べるようで、私と竜が捕らえられていた地下牢のある場所からは、すでに景色が違うほど離れてしまっている。
荒れ地ばかりだったはずなのに、今私の周囲にはちょっとした草が生えている。背の低い木も見えていた。
私が何度も脱走を試みるので、竜は唸りながらも手で作った檻から私を開放してくれた。助けてくれたのかと思っていたけれど、歩き出そうとすると脚や顎や尻尾で邪魔をされて動けなくなってしまった。
巨大な竜が座り込んで頭と尻尾で作ったサークルから出られない。
竜がその巨大な頭を地面に伏せていると、ちょうど立っている私の顔くらいの位置に爬虫類らしさが出ている眼球があるため物凄く目が合う。
体が大きいから当然のように目も大きくて、瞬膜が横から瞳を自動ドアのように開け閉めしては、縦長の瞳孔が私をフォーカスするようにきゅうと動いているのがよく見えるのだ。
私がちょろちょろと歩くと、フスーと大きく鼻から息を吐く。尻尾の先端を乗り越えようとすると汽笛のような低音の鳴き声を響かせて尻尾を動かすし、無理に逃げればゆったりと体を持ち上げてついてきては新しい囲いを作ってしまう。歩幅が違いすぎるので、私が必死に走った距離は竜の2、3歩にしかならないのだった。
モスグリーンめいた鱗を持つこの竜は、私を今食べる気もないけれど、逃がす気もない。
「保存食とか……モズのハヤニエとか……」
干物にされて竜の巣に置かれる自分を想像するとマジで笑えない状況である。
「フィカルー!! フィーカールー!!!」
「グォオオオオオオウ」
私が空に向けて声を上げると、何、遠吠え? とばかりに竜も同じように吠える。その行為自体は可愛いといえなくもないけれど、私の声が掻き消されてしまうので少し黙っていてほしい。しばらく大声コンテストを繰り広げ、惨敗した私は地面に膝を付いた。
切実な問題が私に迫っている。
「おなか、すいた……!!!」
繰り返される粗食、そしててんやわんやが続いたせいで、私の胃袋の中はすっかり空っぽだった。
魔術師達は私の攻撃力を全く脅威に思っていなかったらしく、ボッシュートされた当時持ったままだったポシェットはそのまま私の腰に付いていた。中に入れていたのは数日分の食費が入った財布と、小さなナイフ、そしてフィカルが持たせてくれたおやつのドライフルーツである。
もちろんドライフルーツは既にない。小さなイチジクに似た甘みのあるそれは3つしかなく、地下牢生活でうっかり食べてしまったのである。こんなことならもっとたくさん貰っておくべきだった。なんならジャーキーとかも入れておくべきだった。今度からは街に行くときにもおやつは完備しておこう。
お金は帰りに市場で買い物しようと余裕を持って入れてあったものの、いかんせん店がない。お金があっても幸せは買えないとはこのことか……。
かくなる上はその辺の草を食べるしか、と顔をあげると、ちょんとジャマキノコが生えていた。ハロウィンカラーの迷彩地に付いた2つの目玉模様がこちらを見上げているようにみえる。
「な……生のキノコ……」
キノコって、生食できるのだろうか。お腹壊しそうな気がする。とは言っても、この竜は火竜ではなさそうなので火を点けてくれることはないだろう。仮に火を出せたとしても私がジャマキノコをこんがりする前に竜が口から吐いた炎で私がこんがりいきそうだ。
「そもそも食べれるものだし……いや、この状況でお腹壊したらそれこそ致命的じゃ……しかし喉乾いた……でもジャマキノコで喉は潤せない……」
このまま解決策が見つからないのであれば、食べるしか選択肢はなくなってしまう。
はあ……とジャマキノコに乗せた腕に頭を置いて考え込んでいると、私とジャマキノコの間に何かが入ってきた。
新しいジャマキノコである。
なんだか普通のものよりちょっと半透明で、張りつめたような丸さがある。
触るとプルプルしていた。
「水分増量した……」
そういう問題じゃない、ような気がする。
とりあえず、ナイフでさっくりとジャマキノコ水分増量Ver.を食べれるサイズに切り出してみる。ジャマキノコは切ると断面が血のように赤い色をしているため、プルンと感が増してさらに生食を戸惑わせる見た目になっている。
ごくり、と口に入れる覚悟を固めていると、竜が咎めるように唸った。
ぺとんと伏せをしていた巨大な頭を持ち上げると、軽々と私の頭上を越えてしまう。潰されそうな気がするので、あまり上に来てほしくないのだけれど。
竜が息をすると、最初に生えたジャマキノコはコロリと転がった。私がプルプルキノコも転がっていかないようにと抱えると、不満そうに喉を鳴らす。体が大きくて声が低いので、雷がゴロゴロいっているような音に似ている。
大きい鼻先を私の手元に近付けてきては唸っているので、どうやら私がジャマキノコを食べることに反対しているらしい。
私がジャマキノコを独り占めしようとしているから?
キノコの生食は危険だと教えてくれるため?
干物を作るのに絶食させてるとか?
私がプルンとしたキノコ片を片手にもんもんと悩んでいると、頭上から音がした。
ケプッ
ぽすん、ころん。
軽くて不思議な音と共に、何かが私の頭に落ちてきた。痛みを感じないほどの何かは、そのまま私の隣にコロリと落ちる。
白くて四角っぽい丸さの、柔らかいもの。
「あっ?! これ、マシュマロ布団!!」
持ち上げるとさらさらふにんと心地よい感触がするそれは、私が風邪を引いた時にフィカルがどこからか調達してきた万能クッションである。体温を逃さず熱を溜め過ぎず、最適な湿度と感触を保つ巨大なマシュマロは、既に私の睡眠に欠かせない布団と化していた。
ケプッケプッケプッ。
ころんころんころん。
びっくりしている私に、次々とそのマシュマロが降ってくる。
巨大な竜がパカッと口を開けると、そこからポロポロと溢れてくるのだ。
「りゅ、竜の吐……分泌物だったのこれ……」
衝撃を受けている間に、沢山降ってきたマシュマロで私は包囲されていた。表面はさらさらしているマシュマロ同士は並べるとペトリとくっつくので、ほんわかと包み込まれて空腹から来る寒さが和らげられている。一つを座布団代わりにすると、地面に座っているゴツゴツ感が消えた。
私がベッドを作れるくらいにはマシュマロを出した竜は、満足そうに鳴いてまた頭を地面に付ける。
黄緑っぽい瞳をゆっくりと細めているのは、昼寝をしようとでもしているのか。
「……いやだから問題は何も片付いてないからー! フィカルーッお腹空いたー!!」
ツッコミの勢いでジャマキノコを食べると、お腹は壊さなかったしまずくはないけれど美味しくもなかった。




