竜の牙14
鱗と翼を持ち、知能と魔力が高い魔獣を竜と呼ぶ。
竜は非常に多様性に富み、魔力特性の違いはもちろん、主たる食べ物、生息地域によってもその特徴を変える。総じて知能が高いが、大人しく人間と共存している種もあれば、非常に攻撃的で危険な種もある。また縄張りを持ち定住するものが多いがそうでないものもいる。
仲間を見分ける能力があり、仲間でないと認識すれば同じ種の竜でも攻撃することがある。
総じて五感が鋭く素早いため攻撃することは難しい。また繁殖期は獰猛性が増し、卵や幼竜がいる場合は種別を超えてそれを守るため、竜を従えている場合でもそれらに危害を加えようとすることは非常に危険である。
(冒険者ギルド、星ランク3座学講義テキスト「魔獣について2」より抜粋)
目の前にそびえ立つ竜は、もう何だか色々と規格外に大きかった。
一緒に暮らしてきたスーですら、長い尻尾を含めると6メートルほどになろうかという大きさである。体高はその半分くらいではあるが、恐竜めいた頭はのしかかるように正面から抱き着くとお腹の下が鼻先に付き、頭がちょうどスーの眉間を越えるくらいになる。もちろん両手で抱えても余る大きさだ。
竜といっても翼が生えたティラノサウルスといった風貌のスーと、その竜は形はよく似ていた。ガッシリとした鼻先が少し伸びていて、立派な牙が大きい顎に並んでいる。頭と後ろ足がしっかり大きくて、それに比べると手はとても小さくて短い。大きな頭を自在に動かすためにバランスをとる尻尾も頑丈で長い。
しかし眼の前にいる竜は、そのスーの軽く3倍はあるのではないか、という大きさだった。立ち上がるとこの近距離からでは、頭というよりも手やお腹のほうがどーんと迫ってくるようにみえる。鱗も大きく、暗くて判別がしにくいが鮮やかな色ではない。その代わり大きな頭についたこれまた大きな目は鮮やかな明るい黄色寄りの黄緑が光ってよく見える。
一度うんと高い場所に行ったその目がゆっくりと下がってきて、私の間近で強い風が吹いた。鼻の穴がもう大きい。突っ込んでいけば私の頭が入りそうだった。子供の頃に行った奈良の大仏で通った穴を想起させるそれが近付いて、呼吸する度に私の髪の毛が動く。
単純に大きいものというのはある種の恐怖をもたらすのだな、と私は実感した。
風によろめかないようにと体を低くすると、足を縮めて土下座めいた姿勢から少しも動くことが出来なくなった。既に竜に存在を気付かれていることは知っているけれど、指一本でも動かせば食い千切られてしまうのではないか、という恐怖が私の体の隅々にまで行き渡ってもう目を開けるのも怖かった。
心臓や皮膚が恐怖に激しく反応しているのと対照的に、私の心は恐怖が8割を占めている他に、どこか遠くからこの状況を眺めているような部分があった。
ああ、もうこれはダメだ。せめて痛くないといいけど。
せめて最後にフィカルと話をしたかった。お腹いっぱいご飯も食べたかった。
そんな他人事のようなぼんやりした気持ちを心の中で見つめていると、体の上から風が吹き付けては吸い込まれていく。空気が移動する音が何度も何度も聞こえて、しかもそれが段々と激しくなっていくのだ。釣られて私の呼吸も荒くなっている。
まだなのか、と思った時、背中に何かがそっとのしかかった。
「ひゃあ!!」
いきなりかかった重みに飛び上がって驚くと、その重みが消えて風が吹きすさぶ。随分重かったけれど、どうやら鼻先が当たっただけらしかった。瞬間的にぶわっと出てきた汗が鼻息で冷えて気持ち悪い。
――ォオオオオオオオ……
やがて、地響きが起こったように感じた。
それが大きくて低い竜の鳴き声だと気付いたのは、そのうるささに耳を覆って体を丸めてしばらく経ってからである。
1分くらい続いたそれは一度途切れて、また同じように響き出す。大きすぎる音は体の中心だけではなく、皮膚までびりびりと痒いくらいに震わせていた。
もし私の心臓が弱かったら、これだけでぽっくり逝けている。
体を硬くしてその音に耐えていると、不意にそれが弱まった。弱まってもまだ肌はビリビリするけれど、耳をしっかり塞いでいれば動ける程度には弱まっていた。
座り込んだ状態で上半身だけ起こすと、空間が妙に暗い。灯りが遮られているのだ、と気付いたときには、頭上近くに竜の腹が接近していた。
「わー潰れるー!」
鳴き声が大きいので、自分の声がきちんと出ているのかすらよくわからない。迫ってきた大きな鱗が輝く天井に再び身を防ぐと、もこもこと地面が揺れる。
両手で耳を塞いでいるのでバランスを取り切れずに転がると、何かゴツゴツしたものが体の下に入っていた。
遅れて来る浮遊感。
体を伏せていた土がぼろぼろと落ちていって、目を開けてようやく気が付いた。
ティラノサウルスめいた竜の小さな前足。大きく鋭い爪が4本ずつ付いているその手のなかに私は掬われていたのである。
「なんでー! ちょっとー! なんでー?!」
私の渾身の叫びは、竜の咆哮の前に儚く消し飛んでいった。
まるで新芽が出た小さな苗を掬うかのように、私を座っている地面ごとそっと持ち上げた竜は、大きな手ながらも器用に私が転げ落ちないよう、かといって潰してしまわないよう、絶妙な空間を保って手の中に囲っている。片手の爪のうち3本が私の体を下から支え、1本は私の足が踏ん張れるような壁になっていて、残りの手は飛び出してしまわないように私の体の少し上にかかっている。上の手と下の手の間が微妙に開いていて前が見えた。
まるで小学生に捕獲されたモンシロチョウである。
相変わらず激しい汽笛か何かのような声を上げている竜だけれど、顔の正面ではないので音はそれほど攻撃的に感じなくなった。音量自体も最初よりは下がっているような気がするけれど、耳が麻痺しているのかもしれない。
ゆっくりと高度を上げた手の中でビビッていると、ゆっくりとした縦揺れが加わる。ずしん、と響くそれは、竜が足を踏み出した音だ。すると地面の下にパッと明るい光が浮き上がった。
竜の体全体が入るほど大きな円形の魔術陣がかかっている。それが光ると、バチバチと電気が走るような音が聞こえる。陣が光る度に、竜は苛立ったように吠えた。
「おい、――!!」
「――だっ、あそこの――」
その魔術陣に反応したかのように、前方から魔術師がわらわらと寄ってきた。既に私の位置は彼らの頭上高くにいて、竜の声もあいまって彼らが何を言っているのかはよくわからない。
魔術師達は一定の距離を保ちながらも弧を描くように並んで、杖をこちらに翳し始めた。すると魔術陣の光が強くなる。竜の鳴き声も強くなって、更にバチバチがひどくなる。あちこちがまさに電気っぽくバチバチ光り出して、竜の身動ぎがひどくなっていく。
この巨大な竜をここへ留め置くのに、魔術を使っていたのだろう。続々と集まってくる魔術師達の力はしかし、竜の暴れ方に段々と負けていっているように見える。
低く風を切る音は尻尾を動かす音なのだろう、ビシ、ビシ、と強い衝撃で陣が明滅する。
まるでシェイクされているような揺れと魔術師達の健闘をアリーナ席で堪能していると、異変に気付いた。
体が揺れているのは竜が暴れているせいだと思っていたけれど、それだけではない。
目線より少し低い位置に遠く見えるヒカリホオズキの照明の列が途切れかけていた。よく見ていると、それはボロボロと壁から取れて地面に落ちている。それだけではなく、天井からもばらばらと土の塊が降ってきていた。
竜の動きよりも小刻みにずっと続いている揺れは、地面そのものの揺れなのだ。




