竜の牙3
食休みに、私とフィカルはそのまま少しお喋りをすることにした。といってももちろんフィカルから話題を得られることなどないので、9割は私が喋っている。しかしフィカルは私が喋っている時は絶対に私の方を見て話を聞くという集中力を見せているので、聞いてる? と不安になることはない。頷くとか首を振るという返事をくれるし。
ぽかぽかと暖かいけれど風が吹くと気持ちいい。ヒカリホオズキの葉は手のひらを広げたくらいの大きさがあるので、上手いこと日差しから顔を隠すと中々心地よいのだ。
「――それでね、メシルさん達が怒って追いかけて行っちゃったの」
「うそ、それやばいね」
「でしょ? どうなるのか私もついていきたかったけど、皆すごい足速くて」
……ん?
私は何となく違和感を覚えて、そのまま話を続けながら内心首を傾げた。私とフィカルが座っている枝の下では、ガサガサと地面で動く気配がする。スーがまだお腹を空かせていて、下草を漁っているのかもしれない。
地面の方を覗き込むと、やっぱりスーがゴソゴソと何かを食べていた。真っ黒で小さいドーム型の体は、ふわふわとした長い毛や羽などが生えている。小さくて短い手足で一生懸命歩くと、カシカシと聞き覚えのある音がした。
どこで聞いた音だっけ。
そうか、ポチ郎がフローリングを歩いている音に似てるんだ。ポチ郎は中型犬だったから、それより少し小さいスーの足音のほうが軽い感じがする。
ハリネズミの口元に似ている小さい口を一生懸命動かして、モッモッと何かを食べるたびに、紙を丸めたときみたいなクシャクシャという音がする。
私は座ったまま地面にいるスーのふわふわの黒い毛皮を撫でて、そのままフィカルと話を続けようと顔を上げた。
「あれ?」
ざわざわと辺りが騒がしい。私とフィカルはカフェのオープンスペースで座っていて、デザートを待っているところだった。
先に運ばれてきているセットの紅茶が入っているティーカップは、うちにある1番お高いセットと同じ、ノリタケのナントカとかいうやつだ。我が家ではとっておきのときにしか使われない食器だから、ここにお母さん連れてきたら喜ぶだろうな。
――駅前にこんなカフェあったっけ?
「どうしたの?」
フィカルが山盛りのパンケーキにたっぷりクリームを付けて頬張りながら、小首を傾げて聞いてくる。
わー。よく食べられるな。あれだけ食事した後なのに。
それに今のシーン、友達とパンケーキ食べに行ったときとなんかデジャブ。あんなに大きいパンケーキが出てくると思わなくて、お昼ごはん食べてから行ったんだよね。私1枚で限界だった。
モッモッと食事をしているスーを撫でながら私は一生懸命会話を続けようとする。何の話をしていたんだっけ?
「それでね、その、あの人がね……えっと誰だっけ、メシルさんだ」
「忘れっぽすぎでしょ」
メシルさんは……私が働いているところの……あそこ、なんて言ったっけ……えっとほら、カタカナの……
んん?
何で私女子高生なのに働いてる設定なの?
「スミレ?」
モッモッモッモッ。くしゃくしゃ。
スー、そんなに急いで食べたらなくなっちゃうよ。
私の分のデザート、まだ来ないのかな?
フィカルは既に食べ終わっちゃってるし。よく食べるよね。今度食べ放題とか誘ってみようかな。
「スミレ?」
いつの間にかスーが私の膝の上に乗っかっている。撫でると毛皮が気持ちいい。真っ黒な毛に、時々カラスみたいな羽が生えている。なんで飛べないのに羽が生えてるのかな?
モッモッモッモッ……
「あれ、なんか、変じゃない?」
フィカルにそう切り出すと、「あんた大丈夫?」とフィカルが友達の声で聞き返してきた。
駅前で、雑踏で、制服で、……
くしゃくしゃと紙を丸めるような音が大きくて、はっきりしそうだった物事がスーに食べられていってしまう。
「スミレ?」
「……」
「スミレ」
何か言おうとしたけれど、何を言おうとしているのか……
そういえば、友達は、私の事スミって呼ぶよね。
「スミレ」
スミレって呼ぶのは誰?
風景がどんどん暗くなっていく。だから、そんなに食べたらお腹壊すってば。スーはほんとにたくさん食べるなあ。
モッモッ。カシカシ。くしゃくしゃ。
「スミレ」
「あ……スーの羽、抜けちゃった。どうしよう」
ずっと撫でていたから、背中の羽を一枚取ってしまったみたいだった。真っ黒のカラスに似た羽。スーは気にせずにモッモッと食事を続けている。私の分のパンケーキも半分あげようかな。
「大事に持っておいたほうがいいんじゃない?」
「だよね。定期入れに入れとこっかな」
パンケーキまだかなあ。それで誰がどうなったんだっけ。
誰が呼んでるんだっけ。
モッモッモッモッモッモッモッモッ……
どんどん暗くなっていくなぁ。よく食べるなあ。
「スミレ」
「スミレ」
「スミレ」
「……ふぁっ?!」
ユサユサとフィカルに揺すられて、私は飛び起きた。そうしたら足が空を切って枝から落ちそうな感覚がして、慌ててフィカルにしがみつく。しばらくじっとして冷静になってみると、しっかり座っていたので別に落ちそうにはなっていなかったようだ。
寝起きに空中は非常に心臓に悪い。
「びっくりした……ていうか、寝てたわ」
寝ぼけていたので一目瞭然だろうけれど、恥ずかしさをごまかすついでに自己申告してみた。周囲は葉擦れの音と鳥の鳴き声くらいしか聞こえない。もちろん私達の他には誰もいないし、木の上3メートルほどにテーブルも食器もない。
フィカルに支えられたまま足元を見ると、地面で丸くなっているスーが首だけでこちらを心配そうに見上げていた。紅い鱗に包まれた体はもちろん大きくて、尻尾はヒカリホオズキの幹を1周している。目が合ったからかスーもよっこいしょと体をゆっくり起こして、私の方に鼻先を伸ばしてきた。少し開いた口からはギザギザの牙が見えていて、鼻の穴からはフスフスと生暖かい息が出ている。
そうそう、この大きさだよね。
なんであの小さい変わった生き物をスーだと納得してたんだろう。夢って理不尽なことを当たり前に感じるのは何故なのか。フィカルが現代日本にいるっぽい夢だったし。フィカルも普通に喋ってた感じだったし。
フィカルがそっと私の背中を撫でる。
「魘されてた」
「えっ、そうなんだ。別に怖い夢っていう感じでも……なかったような……?」
思い出そうとすると、今さっき見ていた夢だというのにほとんど内容が出てこなかった。フィカルやスーが出てきたような……スーが変な音を出しながら食べてて……
「あんまり覚えてないや。でも起こしてくれてありがとう」
ぐーっと伸びをすると、あくびも一緒に出る。
「なんか最近うたた寝が多いなぁ。天気が気持ちいいからついウトウトしちゃうんだよね、ごめん」
私が謝ると、フィカルはふるふると首を振っていた。私はついつい昼寝をしてしまうことが多いけれど、フィカルは私が寝る前も目が覚めた後も大体同じなので昼寝をしているかよくわからない。比較すると私のほうが働いてないのにぐーぐー寝ていて申し訳ない。
「じゃあ、張り切って残りの収穫しちゃおっか!」
フィカルは心配そうな目をしばらく向けていたけれど、こっくりと頷いて私を抱っこで隣のヒカリホオズキまで運んだ。更に上へ登るフィカルが「見てろ」とスーに命じると、喜々として唸ったスーが私の真下で羽の生えていない翼をはためかせている。
トルテアの街の皆が使うヒカリホオズキを、この3日間で収穫し切る計画なので、しっかりと仕事をしなくては。
「ん?」
気合を入れて握った右手には、黒い羽根がいつの間にか挟まっていた。ふわふわだが艶のない真っ黒な羽根だ。近くに鳥も来ていないし、うちに羽根のある生き物はいない。
「なんだろうこれ……まあいいか」
何となくその羽をポシェットの中の財布にしている巾着に入れて、私は改めてぼんやりとあちこちで光っているヒカリホオズキを収穫し始めた。




