宵祭のあと3
宵祭の供物を報酬として受け取った日。
「ギャーォォオオウ、グゥガオオゥ」
竜は非常にグルメだということでも有名な魔獣である。人間にとって有毒なものでも食べられることがあるということだけ気を付けておけば、あとは竜の食べるものに間違い無しと言われているほどだった。小型で大人しい竜を馴らして狩猟や採集させ、高級食材を売りさばいている商人や冒険者もいるらしい。
スーももちろん例外ではなく、同じ果物を並べたとしても最も熟れて美味しいものを選べる鼻を持ち、頭上高くから丸々太った動物を着実に仕留める素早さがある。
グフッ、グフッと荒い鼻息を出しているその先には、怯えきった動物たちが身を固めて小さくなっている。自分の体よりも何倍も大きい肉食動物に涎をダラダラ流されながらギラギラと見つめられれば誰でもそうなるだろう。
「こーら、スー。牧場に預かってもらうんだから怯えさせちゃ駄目だよ。食べても駄目」
「ギュウグ〜」
「1匹あげたでしょ?」
貰った食材の中に、キタオオガチョウという中型犬くらいの大きさのガチョウが10羽ほど入っていた。脂が乗って普通のガチョウからは考えられないほど柔らかい身に、あっさりとした味わいのフォアグラが有名である。10羽程度では無理だけれど、夜色の美しい羽毛は布団にするととても暖かいらしい。
このキタオオガチョウのうち1羽をおやつとして貰ったスーは、その美味しさに歓喜の雄叫びと炎を口から吐き上げ、まだ生きている食材達を見る目がよりギラギラとしてしまった。
チラチラと私とフィカルを上目遣いで見上げては、鼻先を怯えきった食材達から離そうとしない。溢れ出る涎が半端ないので、あのがめつい商人がまた来た時に売りつけるために溜めておこうかと思うくらいである。
「食べちゃだーめー。わかるよね? 駄目だよ。怒るよ」
鼻先を涎に触らないように両手で挟んでしっかりと言い聞かせると、スーはギュゥ〜と悲しそうに鳴いてべしゃんと地面に力なく倒れ、ぐだぐだと鱗に包まれた体を揺らした。大きさが10倍だけれど、スーパーで駄々をこねる幼児そのものである。
可哀想なのでもう少しくらいあげてもいいかなと思ってしまうけれど、竜の胃袋は大きい。あっという間に私達の取り分までなくなってしまう。
スーは若干食い意地が張っていて、狩りに行ってもまず自分のをバクッと食べてから手伝ってくれるほどである。フィカルが睨みを利かせていると大人しくしているけれど、私達が目を離した隙にカゴに入れた山菜にそーっと鼻先を突っ込もうとしていたことなど数えられないほどだった。
私とフィカルを仲間だと思っているためかすべてを食べ尽くしてしまうことはないし、たまに自分の食事のついでに獲物を持ってきてくれることもあるほど優しいけれど、自分の胃袋を満たすことに対しては中々遠慮がない。
「お裾分けとか調理方法とか、決まったらまた分けてあげるから。ねっ? いい子だねー」
ぺちぺちと額を叩いて宥めながら、涙目になっているスーと一緒に牧場を経営しているトッカさんに引き取られていく食材たちを見送った。それからしばらく嘆きっぱなしだったスーは、日暮れ頃になってフィカルに静かにしろと怒られてジャマキノコを夜食に大人しくなった。
トッカさんが私とフィカルを訪ねてきたのはそれから3日後、ルドさんの旅立ちを見送った日の夕方のことである。
ほっぺはふっくらとしながらもシッカリした体格のおじさんであるトッカさんは若草色のふわふわした髪の毛に麦わら帽子を乗せて、オーバーオールに似た服装をしているいかにも牧場主という出で立ちだった。背は高いけれどおっとりした笑顔で動物たちに好かれそうな人である。
そのトッカさんが深刻そうな顔をして、実は、と打ち明けたのだ。
「家畜泥棒ですか?」
「そうなんだよ。ちょっとした動物避けの魔術は掛けてあるし、牧場は網で囲ってるんだけど昨夜やられてね。うちの羊もいくつかやられたし、スミレちゃんから預かってたキタオオガチョウも2羽やられたみたいなんだ」
「泥棒って、多いんですか?」
「トルテアは治安がいいから多くはないけど、まあ年に何度かはあるね。魔術陣に引っかからないってことは術が掛けてあるって知ってる人間だろうし、スミレちゃんとこの高級食材を預かってる話は結構広まってたから」
街の誰かを疑うなんてしたくないんだけど、とトッカさんは落ち込んだように言う。トルテアで唯一の牧場主であるトッカさんのお肉は市場ではお馴染みになっているし、小さい街なので歩けば知り合いに会うことも珍しくないここで誰かを疑うのは辛いことだ。
格安で動物を預かってくれた恩もあるので、見張りでも申し出ようか、と考えて嫌な直感がひらめいてしまった。
「とにかく対策はするけど、一応被害があったことだけ伝えておこうと思ってね」
「そ、そうですか。まあうちは貰い物だし被害も少ないから……」
「いや、稀少で高額な食材だからね。これ以上被害が出ないよううちも気を付けるから」
落ち込んだ背中を見送ってから、私は庭に目をやった。最近はここを自分の寝床だと決めている大きな竜は、今はいない。朝に姿を見たきり、今日の仕事にもいなかった。元々フラッとどこかに飛んで行くことも珍しくないだけに気にしていなかったけれど。
「……」
フィカルを見上げる。紺色の瞳で静かに見つめられて、私は溜息を吐いた。
まだ短い夜にトルテアが浸かったころ。
町の北側に位置する牧場で、キラリと月に何かが反射した。それはするりと魔術陣を避けて、音もなく敷地を滑っていく。美味しそうな匂いは昨晩の小屋ではなく、少し離れた場所に集められていた。スーが鼻先で小屋を壊さないように開けると、怯えた気配が固まっている。喜々としてそれにかぶりついていると、後頭部に衝撃を受けた。
「ンギャウッ?!」
そのまま容赦ない攻撃が3度4度と繰り返されていく。それに翻弄されながらも慌てて咥えたものを飲み込むと、小屋の隅の木箱が開いた。仲間の匂いにスーは観念する。
「スーウー!! あんたって子はー!!」
かくして家畜泥棒は御用となった。
被害はトッカさんの羊4匹と、キタオオガチョウ10羽全滅。フィカルはスーを久しぶりにビシバシと締め上げ、私はトッカさんにペコペコと謝って羊の被害分を弁償した。羊の代金にジャマキノコを付けて渡すと、トッカさんは笑って許してくれた。
「てっきり人間だと思ってたら、竜はほんとに賢いんだねえ。牧場の警備を見直しするきっかけになったし、うちのことは気にしないでね」
「本当にすいませんでした」
「まあまあ、ヨウセイブタは別扱いだったから無事だし、他のも残ってるから落ち込まずにね」
コメツキバッタのように謝りまくって帰宅し、流石に私もスーへと説教をした。ネチネチと怒っていると、最終的にスーは縦長の瞳孔が走る黄色の瞳から大粒の涙をぼたぼた落とし、ヒンヒン鳴いて森の方へと飛んでいってしまったのである。
「……ちょっと言い過ぎたかな」
ふるふるとしっかり首を振ったフィカルとその姿を見上げたその日から、スーは私とフィカルの様子をうかがいながら遠巻きにしている。視界にチラチラと紅い鱗が映り込む位置で大人しくしているだなんて、今までになかったことだ。美味しさからついタガが外れてしまってスーも反省しているのであろう。
しおらしいスーは私とフィカルの様子を窺いながら距離を縮め、とうとう同じ広場の焚き火の向こうまで近付いてきているのだった。
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/15)




