宵祭10
「…………」
「こ、この間振りです、テューサさん」
太陽が半分隠れた頃、カルカチアで出稼ぎをした時と同じ宿屋に着くと入口の前でテューサさんが仁王立ちをしていた。テューサさんは私とフィカルをじーっと見たあと、ふんっと中に入っていく。
何だろう。今回は何がお気に召さなかったのだろうか。フィカルが私の荷物を持ってしまっていたからか? アネモネちゃんが頭というか花を出してキョロキョロしてたから?
もはや不機嫌顔がデフォルトなんじゃないかと思いつつあるテューサさんのご機嫌について考えを巡らせながら受付に顔を出すと、鷲鼻の女将さんが座って帳簿を付けていた。
「随分遅かったね。夕飯は残ってるのを勝手に温めな。部屋は前と同じだよ」
「ありがとうございます、またお世話になります」
明日の仕込みの始まる前に先に夕食にしようとフィカルに言ってそのまま食堂へ行くと、濃い色のシチューが温められている。パンも切り分けて置かれているが、人影はない。
こういったことがあるとこの世界では妖精の仕業だとかいうけれど、生憎私の知っている妖精は悪趣味なキノコでストーキングするくらいしかしない。するともしかしてテューサさんが準備をしてくれたのだろうか。
「婚活の鬼だけど、本当は優しいところもある人なんだろうね……」
早く旦那さんが見つかると良いね、とフィカルに語りかけながら、2人でもそもそと夕食を平らげる。鳥と魚の中間っぽいお肉が入ったシチューはこってりしているので、私は自分のパンを半分フィカルに食べてもらった。フィカルは私がダイエットを成功させたことに異を唱えているらしく隙あらばお菓子だのお肉だのを食べさせようとするけれど、私はその誘惑には負けない。
何をどれだけ食べても体に変化のない人間に、ダイエットの苦しみがわかってたまるか。
翌朝、カルカチアの街中央にある大きな広場へと行くと、既に宵祭の準備がピークを迎えつつあった。多くの屋台骨が組み上がっていて、多くの人があれやこれやと打ち合わせをしている。トルテアよりも大きいカルカチアの広場は円周に沿って、前後に背を向けあった出店の円が2重に作られている。その出店の円には細かく切れ目が入れてあって、人が移動しやすい配置になっていた。
中心近くには祭壇と演舞のための舞台が作られていて、それを囲むように人が立ち見できる空間が広がっている。トルテアでは少ない3階建ての建物もぽつぽつと建っているので、そこから舞台を眺める人もいるのだろう。それでも準備の進捗を見るように、街の人が散歩がてら見物に来ているだけで人混みが出来ていた。
「遅いわよ! さあフィカル、儀式の手順を説明するわ」
祭壇のそばまで行くと、既にテューサさんがイライラと私達を待っていた。リハーサルのために衣装を着ているテューサさんはエメラルドグリーンの長い髪に淡くひらひらした衣装が女神のごとく美しい。不機嫌な女神だけれど。
宵祭の支度役であるピンクの七三分けという髪型のおじさんとテューサさんがフィカルへ儀式の説明を行っている間、私は重い溜息を吐いた。この女神の近くに立つとは、どれほどダイエットをしても憂鬱は払えないだろう。ほとんど同じ衣装を身に着けているだけに余計に差が目立つ。
それでも儀式の間、私は魔術師役として星石の加護を得るためにテューサさんの後ろに付いて立っている必要があるらしい。
宵祭はまず、星石に供物を捧げ、祝詞を上げて1年の感謝を告げる。それから星石による加護を得たとして再び感謝を告げる。本番では普段ギルドの事務所に祀られている星石がトルテアとカルカチアの分で2つここに祀られて、まず聖トトゥの枝を捧げ香やらなんやらを焚き、供物を読み上げ、難解な祝詞を上げるといったややこしい手順がある。
テューサさんが祝詞を読み上げる役になり、フィカルが複雑な捧げ物の手順を引き受けることで、無口なフィカルは事なきを得たようだ。
一連の儀式をぼーっと突っ立って待っている役を担う私は非常に退屈していた。周囲よりも一段高くなっている正方形の舞台の1片に祭壇が設けられていて、残りのスペースで演舞を舞うことになっている。そのあとは無礼講というかお祭り騒ぎになるらしい会場は、中心から見渡してみると物凄く広く感じた。
その広さに、ざわめきが均等に広がっている。どこもかしこも人がいるという光景は、異世界に来てから初めて見るせいか非常に落ち着かなかった。自分の背後がぞわぞわするような、今すぐどこか人気の少ない場所へと逃げ込みたいような気持ちになる。
高校生をしていた頃は大勢がひしめいていてもなんとも思わないどころか、人混みはむしろ好きな方だった。さほど時間が経っていないはずなのに、のんびりしたトルテアに慣れてしまったのだろうか。
一段高い場所のせいで広場のざわめきがすべて見渡せることに若干の恐ろしさを感じて一歩後ずさると、フィカルの背中にぶつかってしまった。
フィカルは聖トトゥの枝を手に持ったまま振り返って、私に首を傾げてみせる。紺色の瞳はいつも通りしっとりと凪いでいて、その目に見つめられるだけで何となく気持ちが落ち着いた。
知らない人ばかりではない。フィカルが近くにいる。
「ちょっと!! 何見つめ合ってるの?! 手順をおさらいしたら演舞の練習でもしなさいよ!」
テューサさんの雷が落ちて、私は慌てて背筋を伸ばした。フィカルが私の頭を撫でて、頭上で聖トトゥの枝がわさわさと鳴る。宿屋で留守番をしているアネモネちゃんは大人しくしているだろうか、と考えると、ようやくいつもの心地が戻ってきた。
もう一度フィカルが儀式の手順を追っている間、私は振り付けを頭のなかでなぞっていることにした。宵祭は明後日に迫っている。




