風邪にはマシュマロ1
カヒンッ カヒカヒッ カッヒン!!
「……スー、何してるの?」
早朝に響く変な音に起こされた。
音の元凶がいると思しき庭先に出てみると、スーが真っ赤な頭をブルブルと震わせていた。唸っては翼をバタバタさせ、鼻先をグリグリとあちこちに擦っている。あんまり暴れるので修理したばかりの柵がみしみしいっていた。もう鉄製にすべきか。
スーが素早く斜め上を向いて、それから勢い良く下を向く度にカヒンッと音が鳴る。
静かな朝にカヒンカヒンと響くのはスーのくしゃみだったようだ。
「えーっと、竜も風邪引くのかな」
おいでおいで、とスーの大きな頭を抱えてみる。スーは牙を剥いて舌をベロベロと出したり、小さい手を動かしてはもどかしそうにしていた。
竜の風邪の症状が、人間のものと同じなのかはわからない。
けれども風邪を引いているにしては、電車の切符くらいの大きさの穴が並んで開いているような見た目の鼻は別に鼻水が垂れているわけでもなく、瞳もいつも通り。変なくしゃみをして動きがおかしい他に風邪らしい症状がなかった。
「うーん。夏風邪……ではなさそう?」
カヒンッ! と返事をもらって頭を捻っていると、背中からぎゅっと腕が回った。グリグリと頭を擦り付けているのはフィカル以外の何物でもない。スーの様子がちょっと変なことを伝えると、フィカルは無表情のまま若干面倒くさそうにスーに近寄った。それからちょっと屈んで、私に対してスーの鼻先を指差してみせる。
「え? なんかあるの……おお」
よく覗き込んで見ると、右の鼻の穴に細い棒のようなものが入っているようだった。フィカルに頭を固定されてしまったスーはグギュギュギュウともどかしそうに尻尾を捩っていた。これが鼻に刺さってしまって取り出せず、むず痒かったのかもしれない。
取ってあげるからじっとしててね、と声を掛けて鼻の穴に人差指と親指を突っ込み、途中でちぎれないようにその棒をそっと引き抜いた。
「グー……ギャウウウ!」
むずがゆい! と主張するように鳴くスーを撫でながら棒を引いていくけれど、中々終わりが見えない。ズルズルと出てきた棒は細い木の枝で、時折小さな分かれ目に葉っぱがくっついている。ようやく全てがスーの鼻から出たときには、その小枝は30センチ以上になっていた。
頭を放されたスーは空に向けて一度、大きくカッヒーン!! とくしゃみを放った。
「スー、どうやってこれ、アハハハ、鼻に突っ込んだの?」
細長いが立派な小枝を見ていると、つい笑いがこみ上げてしまう。森の中で餌を探しているスーは割と動きが雑で、枝に留まっている動物を枝ごと食べたりもするし、大きな木の上で色んな枝の上に体を引っ掛けて休んでいることもある。そういったことをしている時に勢いで入ってしまったのだろうが、途中で気付かなかったのだろうか。枝が鼻の中まできちんと入ってしまっていたということは、出そうとして反対に押し込んでしまったのかもしれない。
普段は賢い竜のお間抜けな事件に私は爆笑してしまった。
グールルルゥ……ギャウ!
スーは自分が笑われているということをわかっているかのように、喉で唸って夜でもないのに座り込んで丸くなり、お腹と尻尾の間に顔を隠してしまった。その照れているのか拗ねているのかわかりかねる反応もまた面白い。
私はぽいっとスーを苦しませた小枝を捨てて、スーの首筋に乗っかる。
「ごめんごめん、笑ってないよ〜よしよし。スーはかっこいい竜だよ」
ウググウ。唸り声しか返ってこない紅い鱗の山をひとしきり撫でて慰めてたけれど、意外にスーは強情だった。竜はプライドが高い生き物と聞いたことがあるので、しばらくそっとしておいたほうが良いのかもしれない。
まだこみ上げる笑いを堪えながら、私とフィカルは朝食にすることにした。
家に入ると、フィカルが火にかけたらしいスープ鍋の近くでアネモネちゃんがしたたたた……と走り回っていた。私とフィカルを見つけて、根っこの脚で素早く歩いてくる。
夜は私のベッドサイドの花瓶を寝床にしているアネモネちゃんは意外とアクティブで、ドアさえ開いていれば勝手に1階まで降りてくることが出来る。高いところから降りることは出来ても登ることが出来ないので、帰りは私かフィカルの手が必要ではあるけれど。
床に置いてあるアネモネちゃんのための小皿を拾って水を入れ直すために洗っていると、アネモネちゃんはチョロチョロと足の間を8の字に走り回る。新しい水を床に置くと、Vの形に生えた葉っぱをわさわさ動かしながらぴょんぴょん跳ねて喜びを表現していた。
昨夜の残りのスープに新しく足した具材に火が通ると、私とフィカルは向き合って座って朝食を始める。テーブルに乗せてもらったアネモネちゃんはしばらく私とフィカルの間を行ったり来たりしているけれど、飽きるとテーブルの縁に座って頭を揺らしていた。
「スーのくしゃみってあんな音なんだね。風邪じゃなくって良かったけど、竜も病気とかに罹るのかな?」
フィカルが首を傾げた。
竜は環境適応能力が高く、人間が暮らせないような果ての大地でも棲んでいる種類が多いらしい。雨が何日も降り続いていた雨季でも平気な顔をしていたし、火の魔力を持つスーは焚き火に炙られたとしても怪我をしない。そもそも硬い鱗はほとんどの刃物を通さないとも言うし、生き物の中でも最も頑丈な種類だといえるだろう。
「あんな大きい体を健康診断とかするわけにもいかないもんねえ。最近私達が食べている料理も食べたそうにするし、塩分とかに気を付けるべきかもね」
お腹がぽよんぽよんになったスーを想像すると、また笑いがこみ上げる。竜は体の割に体重が軽いとも聞いたことがあるから、太ってしまったら飛べなくなるのかもしれない。スーは陽気なのでそのまま陸棲竜として森での生活をエンジョイしてしまうかもしれない。
そうやって笑っていた罰があたったのだろうか。
翌日、見事に風邪を引いたのは私の方だった。




