或る日のスー よだれ編2
※スーが大型獣をガブッとする残酷表現・グロ描写が少しあります。
踏み出した足で弾みを付けて、スーはジャンプをするように翼を動かした。そこから一足飛びに3メートルほどの距離を縮める。
いつもはこっちがハラハラするほど至近距離に降りてきたりするので、あれ? と思っていると、スーはそこで停まってじっと商人のおじさんと魔術師のおじさんの方を向いた。
「さあ、こっちだよ、おいで」
「スー? どうしたの?」
人間の高さに目線を合わせるように頭を低くしたスーは、じっと商人達を見つめて、首を傾げた。そのまま2、3歩踏み出す。
「えええー! スー、おいで!」
呼び掛けるとスーは私の方をきちんと見るけれど、それからも何度か、その場に留まったままじっと商人達を見つめていた。
どちらかというと、商人達の方へと行きたそうにも見える。ちょっとショックだった。
「どうしようフィカル、スーが養子に出てしまう……」
あんなに懐いていたのにこのままあっさり行ってしまうのかと不安になっていると、隣りにいたフィカルがぽんぽんと頭を撫でて私の注意を引き、自分を指差してからスーを指差した。
フィカルが呼んでくれるということか。そう思ってお願いすると、じっと何か言いたげに見つめてくる。
だから、言いたいことは言葉にしようとあれほど言っているというのに。
「えっとなんだろう、夕飯を好きなもの作るとか……あとはぎゅーっとするとか……ん? 両方?」
しっかりと頷かれた。背に腹は代えられない。というか、いつものことだった。
私が承諾すると、フィカルは一言、さほど大きくもない声で呟く。
「来い」
「グオッ!!」
スーはふわっとその場から私達スレスレのところまで飛び、フィカルに邪魔そうに押し退けられていた。ぐいぐいと顔を押されてもグギュウと嬉しそうな声を上げている。本当にスーはフィカルが大好きだなあ。両思いになれるといいね……。
嬉しそうなスーを見ていると、横から舌打ちが聞こえてきた。
「いやー、非常に残念なことです。しかし、ご覧の通り、私共にも寄ってこようとしていました。どうです? お考え頂けませんか?」
先程と変わらない態度で揉み手をしてくる商人は、まだ諦めていないらしい。
そもそも、彼の言う通りスーがあっちに行こうとしたのが不思議だった。
普段は呼んでいなくても外に出るやいなや隣を歩きたがるのがスーである。今も、甘えた声を出しているにも拘らず、チラチラと商人の方を気にしている。魔除けの香の副作用を使って魔獣を引き寄せることも出来るけれど、商人達からは独特の香りがしないし、魔術師が魔術を使うような素振りも見せていない。そもそも、スーは私達にしか触らせていないままだ。
スーはこの人達の何を気にしているのだろうか。
不思議に思っていると、フィカルがすたすたと歩いて商人達へと近寄った。揉み手のセールストークを繰り広げている商人の横をすり抜けて彼らの荷馬車へと近付くと、魔術師が素早く動いてフィカルの前へと立つ。
フィカルがすっと荷馬車を持ち上げて、口を開いた。
「これは何だ」
「何だと言っても、私共の荷馬車でございます、はい。これで商品をあちこち売り歩いているんですよ、はい」
荷馬車は一般的な大きさで、荷台の四隅に柱を立てて屋根と四方に鼠色の幌を張っている。そのため中身が見えないようになっているが、商人の荷馬車は品物が狙われることもあるため、幌張りのものも珍しくはない。どちらかというとこの一般的なサイズの荷台に対して、3頭立ての馬車になっていることの方が珍しいだろうか。
こちらの馬は、日本で言うと輓馬に近く、大きくて力も強い。荷馬車といえば大体2頭立てである。
カルカチアでヒトクイザケを三段組で載せた荷馬車が3頭立てだったので、相当重い品物を載せているのかもしれない。
よく見てみると、スーも商人達というよりはこの荷馬車を気にしているようだった。
「それ、何が入ってるんですか?」
「それははい、お客様の要望に合わせて様々なものを取り扱っておりますので……。これからも、大口の商談へと参るところで、はい。竜をお売り頂けないのでしたらそろそろお暇を……」
そういって商人は銀貨3枚を渡してきた。
「待って下さい、2杯追加したから6枚って言ってましたよね?」
「もちろんそうですとも!! しかし我々も依頼書通りに出納帳を作っていまして、残りの3枚は改めて後日依頼書と共に送らせていただければと、はい」
あ、これ絶対送ってこないやつだ。
ギルドの仕事は依頼書通りに行うのが鉄則である。仕事中に変更があれば速やかに依頼書を書き換える必要があるけれど、新しく別に依頼書を作るという手段もある。後者は詐欺や言った言わないなどのトラブルに発展しやすく、依頼者も被依頼者も避けるのが普通である。
良心的なトルテアの人々相手では思いつかなかったけれど、そういったせこい商人に遭遇してしまったらしい。
ここで食い下がっても、依頼に商会の許可がいるだのなんだのと言われてしまえば納得する他ない。言い争いになれば、こちらに非があるといちゃもんを付けられて貰った報酬を取られる可能性もある。「騙される方が悪い」がまかり通るのである。
いやな相手に当たってしまったなあ。スーを買おうとしたのも強引だったし。
そそくさと帰ろうとする商人を適当に見送って、見逃すしかない悪に落ち込み、スーにごめんよと謝りながら撫でまくった。わかっていないスーは鼻に私を乗せてご機嫌である。
赤い鱗に癒やされていると、べりっとフィカルに剥がされた。ぎゅうと抱きしめられると、こちらでも私の爪先はぷらぷら揺れる。
「あああ悔しいよフィカル〜……見る目を養わねば……」
ギルドに一応注意の報告を入れて、私とフィカルとスーは家路に就いた。
深夜、星だけが輝く夜。スーはゆったりと翼を動かしていた。闇夜で金色に輝く目にはしっかりと街道を逸れて行く荷馬車が映し出されている。左の側面と背面の幌が取られ、荷台に乗った檻が姿を見せていた。太い柵が四方を取り囲んでいるその檻の中では、水甕に囲まれた商人が大事そうに布で覆った荷物を抱え、魔術師が御者として手綱を握っていた。
荷馬車に近付くために高度を下げたスーを見留めて商人は焦った声を上げる。
「来てる、来てるぞ! おい、どうする?!」
「少し大人しくしていろ。もう少し街から離れる」
東南端の街であるトルテアから更に東へ、荷馬車の進む先には人の気配はなく、荒野と森が入り乱れるような地の果てが続いているだけだった。
スーは目だけを動かして日の暮れた方角を見た。しばらくじっと耳を澄ませて、それから荷馬車の中で響く声にまた高度を下げる。
この荷馬車は進むのが遅くて、スーには少し退屈だった。
「おい、おい、また近付いた! もういいだろう、早くしろ!」
焦った商人の声に魔術師が溜息を吐いて、馬の歩みを止める。それと同時に素早く馬車を降り、杖で地面を突くと今度は荷台の檻に近付き、側面にある扉を開けて自分も檻の中へと入る。商人が慌てた手付きで内側から閂を掛け、魔術師が檻の床を杖で2度突くと、檻の床がズズ、と沈んだ。
その衝撃で声を上げた商人に、魔術師は呆れたように声を掛ける。
「喚くな。檻が持ち上げられないように重量を増したから車輪が沈んだんだ」
「そ、そうか。本当にこの中にいれば安全なんだろうな?!」
「防護魔術も掛けている。まあ、見ていればわかるだろう」
魔術師はそう言ったが、滑空する赤い竜を常に視界に入れ、いつでも魔術を繰り出せるようにしっかりと杖を握っていた。
この男は魔術師会に所属せず、金次第でどんな依頼も受ける男だった。初めはこの田舎で飼われている竜の涎を買いに行くだけと言われ訝しんだが、案の定途中で仕事が次々と増える。魔術師は文句を言わず、その代わりに要望の度に給金を出させた。
当然である。これほど危険な真似をしているのだから。
スーは夜空を滑るように止まった檻に近付き、発達した脚でまず檻を倒そうとした。しかし檻は見かけよりも遥かに重くびくともしない。そのまま飛んでくるりと方向を戻し何度か試すが、中から人間の悲鳴が聞こえるだけで動かない。
空中で何度か円を描いて、スーはまず檻の真上へと降り立った。天板と底板は金属の一枚板で作られており、中の様子が見えない。側面から覗き込むと、人間が2匹、距離を取るように反対側に張り付いている。長い尻尾でその背中を叩いてみるが、どうも人間に当たってはいないようだった。もう一度尻尾を打ち付けてみると、檻は柵状になっているのに壁のように内側にはさわれないようになっている。
スーは頭を逆さまにして中を覗き込んだまま少し考えた。鼻先でつついてもやはり檻は普通とは違う。先程人間が入るときに使った部分も開けることが出来ない。
不満を表すように足の爪で天板を叩くと、悲鳴を上げた商人の腕の中で呼び声が聞こえた。
「グォオオオオッ!!」
吠えて、炎を吐く。やはり檻の中は何ともない。
スーは段々と苛立ちが募っていった。そして檻の上から飛んで、先程から悲鳴を上げている馬に着地した。1匹はスーに潰され、もう1匹は泡を吹き、先頭の1匹は逃げ出した。それから地面に降り立って、檻を覗き込む。
この入口を開ければ人間を引きずり出せる。そう思うけれど、ここは開かないようにしているようだった。そこでスーは檻へ炎を吐き続ける。荷台の側面が炭になったが、檻はびくともしない。
不意にスーは羽ばたいて宙へと逃げた。
先程までスーがいた場所を大きな牙が掠めている。牙と爪を持った四足の動物は翻って宙にいるスーを目掛けて跳ぶ。それも避けたスーが威嚇の声を上げると、相手も同じように吠えた。
大きな口に鋭い牙、灰色の毛並みは尻尾まで生え揃い、四肢には硬い爪。スーと同じかそれよりも大きいくらいの獣はスーを見上げて唸っている。
気配なく現れたそれの後方には、光る力の円が描かれていた。あれから出たのか、とスーは思い至る。人間にはそういう力を使えるものがたまにいるのだ。
獣はスーが地上へ近付こうとすれば襲い、その牙や爪に掛けようと狙ってくる。そのためスーは一度遠くへと獣を引き離して1発加え、それから低空飛行をして檻に炎を掛けなければいけなかった。
行っては戻り、行っては戻り、手間がかかる。
面倒さにうんざりした頃、吐いた炎で土台の木が軋んだ。崩れた片側に檻が傾いたのを狙って、スーが檻を反対から翼も使って蹴る。獣の爪を避けて檻を見ると、ゆっくりと檻が傾いて荷台から落ち、入り口を下にして倒れた。人間が悲鳴を上げているが、呼び声はまだ聞こえる。
「グルルルルル……」
これで準備は出来た、とスーは唸る獣を見た。次はあれを屠ろう。
四足で地を這う生き物に、竜が後れをとる謂われはなかった。
「ひ、ひいっ……」
目の前で凶暴な大型獣がいとも簡単に仕留められていく光景が繰り広げられ、商人は悲鳴を上げながらもそれを手放さなかった。魔術師はその意地汚さを嗤いながらも額に汗を浮かべている。
竜は賢い生き物だ。しかし、それを目の前にすると理性をなくしてひたすら攻撃をしてくる筈だった。この竜はここに何があるかを知っていても、冷静に我々人間が出られないように出口を下に檻を倒して、それから大型獣を翻弄して爪で切り裂いた。
檻へと注意が向いている間に獣に翼でももがせる、そう考えていた計画はとっくに狂っている。魔術師は意識的に冷静さを保ち、頭を回転させる。
生き残るにはどうすればいいかを。
「おい、それを出せ。竜に見せろ」
「わ、渡さんぞっ! これは私のものだっ!! お前には渡さんッ!」
「落ち着け。それで竜の気を逸らせてもう一度召喚する。防護魔術を一旦解除するから竜の爪と尻尾に気を付けろ」
「駄目だ駄目だ!! あれは炎を吐くんだぞ?! 一瞬の間に燃やされればどうする!」
その一瞬が来ないように賭ける他には、命の保証はない。
防護魔術は外側からの魔術を通さない代わりに、内側からも通すことが出来ない。大地の力を用いた召喚をするためには、杖を通して地面に魔力を通す必要がある。再び防護魔術を掛けるまではほんの数拍で済むが、この抜け目ない竜がそこを突かない保証はない。それでも生き延びるにはもう一度大型獣を利用して少しでも竜を檻から離し、それを手放さなければいけないのだ。
必死になって抱えたものを手放すまいとする商人を宥めすかしていると、檻に大きな音がぶつかった。見上げると、だらりと力を失った灰色の毛皮が檻を覆っている。
その隙間から見える赤い鱗が獣の首筋に噛みつき、赤黒い液体が天井を覆い、側面を流れ落ちた。魔力を持った血液は防護魔術で中には入らない。しかし赤黒いもので急速に失われていく視界に2人は沈黙した。
檻の中が見えなければ竜の気を逸らすことは出来ない。しかし、防護魔術を解くとたっぷりと魔力を含んだ血液を浴びてしまう。魔力が濃い血肉は魔獣の格好の餌だった。この辺りの弱い獣はまだしも、この量では夜明けまでに魔術師でも手こずる獣がどれほど来ることか。
やがて聞こえる、節の付いた長い竜の咆哮。
魔術師はそこで覚悟した。
魔力の多い血肉は美味い。しかしこの獣は筋張っていて噛みにくい。そこでスーは獣をもっといい方法で使うことにした。
人間とそれの入った檻の上に、獣の血をたっぷりと掛ける。獣の図体は重かったが、どうにか載せることに成功した。赤黒くなって中が見えなくなったけれど、まだ喚ぶ声は聞こえてくる。
そこでスーは先程から騒がしい方角の空へ向かって、大声を出す。
卵泥棒がここにいるぞ――と。
竜は実力主義で、種族が例え同じだったとしても命を狙ってきたものに対してはどちらかが死ぬまで戦うこともある。仲間以外がどうなろうとも基本的には関知しない。
しかしその竜が、自分がどんな種類であれ、それがどの種のものであれ大事にする。
それが卵なのだ。
殻に覆われている生き物は、等しく大事にしなければいけない。生命が生まれてくるために、それは守られなければいけないものだからだ。だからそれが適切ではないところ――例えば人間の手の内であるとか――にあるのであれば、自分とツガイの卵でなかったとしても、それは助け出すべきだ。卵が呼べば手を出すし、卵を探す竜がいれば手伝う。自分の卵であれば命を賭して、何を犠牲にしても守る。それは竜の本能だった。
とはいえスーは、本能から僅かに外れた竜だった。
群れを作る種類であったにも拘らず単独で暮らし、知能をもって魔獣を制してきた。仲間のものではないから、卵が呼んでいても我を失うほどでもない。
しかし、卵は守られるべきだ。
そこで弱った卵に力を吹き掛けた。けれども檻で届かない。魔獣の血は濃厚で、覆っていれば僅かでも影響があるだろう。叫んだ方角から既に竜の応えが返ってきている。もう間もなく何頭もの竜が檻を取り囲み、これを噛み壊して卵はまた守られる。
ふと下を見ると、血が檻の中まで滴っていた。人間が1人は卵を抱え、もう1人は立ち上がって何かを言っている。
「ここまでだ。悪いがこのまま大人しく心中する気はない」
「ど、どういうことだっ?! お前、お前を雇っているのは私だぞ!!」
「竜の大群が来るぞ。この血でどこに飛ぶかはわからんが、逃げた方が助かる確率は高そうだ」
「待て!! 私も連れて行ってくれ!! 報酬も弾む! この卵もやるから!」
「悪いが自分一人で精一杯だ。……あんたが欲を掻かなければ、竜の涎と卵で一稼ぎ出来たろうに」
檻の中から1人が消えたが、卵はまだあるから問題はないだろう。檻を覆っていた膜がなくなって、濃厚な魔力を浴びた卵が喜んでいる。きっとこの卵はもうすぐ孵化するだろう。スーは自分の善行に満足した。
もう一度吠えて居場所を示し、それからスーは乾いた地面に降り立って自分の体に丁寧に炎を吐いた。ベッタリと付いた獣の血は黒く煤け、更に炎で舐めると艶のある本来の鱗が光る。美しさは竜の誇りだ。
汚れが付いていないことを確かめ、スーは飛び立った。
森で眠ろうかとも思ったが、スーはフィカルの巣を少し覗くことにする。音を立てないように離れた道で翼を畳み、足音を立てないように巣へと忍び寄る。
すると見計らったように高い方の窓が開いてフィカルが顔を出した。反射的にビクッと身を竦めたスーをフィカルがじっと見つめている。
それからフィカルは空気の流れを読むように東の空を眺めて、美味しいキノコをスーに分け与えた。
閉められた窓を見つめて、スーは丸くなる。夜明けにはまだ遠い。
卵の呼び声が早くこの巣から聞こえるように、願いながら目を閉じた。
前半をごっそり入れ忘れていたので編集しました(2017/03/07)
すみませんそしてご指摘ありがとうございました!
ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/09/19、12/15)




