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行き倒れも出来ないこんな異世界じゃ  作者: 夏野 夜子
とくにポイズンしない日常編
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きのこ再び7

「スミレ、しばらく振りね。フィカルも元気そう」


 鈴の音色のような声でおっとりと話し始めたシシルさんは、いつ見ても美しい。

 シシルさんの親であるガーティスとメシルさんは揃ってギルドで働いているけれど、シシルさんは普段は機織りをしていて、ギルドが忙しくて人手不足の時だけ手伝いで顔を出してくれる。


 カルカチアでヒトクイザケ造りをする娘が男の憧れとなるように、トルテアでは「機織り娘に岡惚れ男」という言葉があるくらい、機織りは憧れられる職業だった。


 その昔、美しい娘の織った美しい布に惚れた妖精が、布に加護を与えたという有名なお伽話がある。

 布に特殊な効果や染め方をする場合、魔草が多く使われる。魔獣が魔王の領域であるのと同じように、魔草は妖精の領域とも言われていて、特に織機しょっきに加護を与える妖精は美しいものが大好きらしい。実際に織機の妖精は姿を見せたことがないけれど、美人が織ったほうが布に加護が付くらしいから不思議だ。


 シシルさんは普通より大分早い8歳のころから機織りを習い、もう十年以上ずっと機を織っている。

 面食いの妖精に気に入られた、機織りの名手なのである。


「シシルさんごめんなさい、寒くなかったですか? 今あったかいお茶入れますね」

「私が急にお邪魔したんだからいいのよ。それにそんなに待ってないの」


 うふふ、と笑いながら、シシルさんはアネモネちゃんと指で握手している。

 私はうっきうきで薪に火を付け、やかんに水を入れる。その場の空気を変えるような美人が訪ねてきてくれたらそりゃテンションが上がる。

 相変わらずの無表情だけれど、フィカルの顔も美形なのだ。美しさが溢れているこの部屋にいると、なんか女子力とか上がりそうだった。アネモネちゃんもシシルさんの美しさにくねくねと身を捩っている。わかる、わかるよアネモネちゃん!


 私は戸棚から、ムカの唐辛子漬けが入った瓶を取り出した。

 ムカはツルンとした食感の百合根のようなもので、そのままでは味はないけれど唐辛子漬けにすると辛さが大変なことになる代物だった。こっちの唐辛子は青いものが主流だけれど、鮮やかな青に染まるほど漬けたムカは辛すぎて料理にほんのちょっと足すくらいしか出来ない。しかしこれがシシルさんの大好物なのである。聞いたときには3回ほど聞き返してしまった。


 私とフィカルには干した果物を、シシルさんには小皿に唐辛子を水で落としてもいないムカの唐辛子漬けをそのまま入れて出した。シシルさんはお礼を言って、うふふ、と笑顔で爪楊枝にそれを刺してぽいぽいと2、3個口に放り込んでしまう。もう見てるだけで辛い。

 ちなみに普通の人間の場合、ほんの爪の先ほどの欠片でもそのまま食べると、顔を真っ赤にして汗を垂れ流しながら水を何杯も飲むハメになる。

 マカロンでも食べているように軽やかに微笑んでいるシシルさんは凄い。しかし、中々減らない我が家のムカを消費して頂いてありがたい。


「それで、今日はどうしたんですか?」

「そうそう、私、スミレをいたわりに来たのよ。アレが出るのでしょう?」


 アレ? と首を傾げると、シシルさんはソレよ、と白魚の指を私の椅子の近くに向けた。私の隣には毒々しい目玉模様がいつの間にか生えてきている。間を置かずにフィカルの手がそれを掴み、扉を開けて番竜に放り投げた。


「もう可哀想で可哀想で……。憂鬱でしょう?」

「はい。あれ、もしかしてシシルさんも?」


 シシルさんは美しい顔を歪ませて僅かに頷いた。俯いた顔は悲しみを表現するには過ぎる美しさで、さぞ苦労したのだろうという気持ちが伝わってくる。

 私はフィカルが生えたそばからぶん投げてくれているので、まだネガティブになるくらいで済んだ。今日はアネモネちゃんのことでいっぱいいっぱいだったので、さほど心臓に負担をかけている暇もなかった。

 しかしおっとりしているシシルさんがあのキノコに憑かれていたのであれば、さぞ心がすり減ったことであろう。


「ちょっとでも気持ちが明るくなればいいと思って、色々持ってきたのよ」


 シシルさんはお見舞いの品をいくつか私にプレゼントしてくれた。

 ヨウセイマユを使った美容水はお肌をつるつるにしてくれるらしく、マンゲツバナという貴重な花の香水は気分を軽やかにする効果があるらしい。幸運の加護を込めたハンカチはフィカルとお揃いで、赤い竜の刺繍がされている。私は桃色、フィカルは紺色のそれは微妙に色味の違う糸を使って織られていて、ひと目で手間と技術が掛けられているとわかるものだった。


「こんな凄いもの、貰っちゃっていいんですか?!」

「いいのいいの。あんなのに目を付けられた不幸を、少しでも吹き飛ばさなくちゃ」

「ふ、不幸」


 仮にも妖精の加護を得た仕事をしている身でありながら、シシルさんがジャマキノコのことをハッキリと不幸と言い切った。

 四六時中いきなりあのどぎついキノコが傍に現れ、周囲は特に気を使ってくれるわけではなくご馳走がただで手に入ると軽く慰められ、しかもそれが毎日毎日続く。それがどれほど憂鬱だったかとシシルさんは溜息を吐いた。


 思わず私も同情的になってしまう。ガーティスさんは明るくてあまり深刻に物を捉えない性格でもあるし、奥さんのメシルさんもくよくよしないタイプなので、このストーキングされる気持ちを分かち合える相手がいなかったのかもしれない。さぞストレスが溜まったことだろう。


「シシルさんもお辛かったんですね……」

「そう。だからスミレもコレを甘やかしちゃ駄目よ」

「……んっ?」


 憂いを込めた瞳で力説され、私はいきなり出てきたよくわからない言葉に瞬いた。


「甘やかす、ですか?」

「そう。コレが息吐く暇もなく生えてくるの、気が滅入るでしょう? きちんと躾したほうがいいわ」

「……あの、そもそもジャマキノコって躾とか出来るんですか?」


 色のセンスがおかしいのとサイズが大きいこと以外は、普通の食用キノコだと思うのですが。

 また私とシシルさんの間に生えてきていたジャマキノコを指差して、私は首を捻る。アネモネちゃんとコミュニケーションが出来るのはまだわかるけれど、このキノコは存在でアピールする以外に私へ意思疎通を図ってきたことはないはずだ。


 私が悩んでいると、再び取り除こうとしたフィカルの動きを制して、シシルさんはおもむろに懐からナイフを取り出し、ジャマキノコの天辺にブッ刺した。

 いきなりの蛮行に思わずヒエッと喉が鳴る。


「いい? こうやって刺してね。ネチネチと嫌味と文句を聞かせるの。しつこくね」


 刺したナイフでグリグリ抉りながら、シシルさんはニッコリと笑った。


「何度か繰り返すと、出て来る頻度が減るわよ。私はこれに気付くまで1年くらいかかったの」


 もっと早くにやればよかったわ、と悔やんでいるシシルさんはいつも通り、妖精の如き美しさと形容されるシシルさんのままだ。しかしその手は憎らしげにジャマキノコを貫いている。


「そそ、そですか……」

「出来るだけ具体的に言うのよ。事あるごとに生えてくるのがキモいとか」

「わか! わかりました!! やってみます!!」


 それ以上薔薇色の唇から暴言が出てくるのを防ぐために、私はしっかりと了解の意を示した。するとシシルさんは満足したのか、ナイフを抜いて仕舞う。テーブルの上からそれを覗き込んでいたアネモネちゃんは、ジリジリとシシルさんから後退っていた。フィカルは無表情ではあるけれど、私に目を向けている。いや、私はそんなに豹変したりは……しないはず……。


 それからシシルさんは、我が家のムカの唐辛子漬けを半分に減らしてから、にこやかに雨の中去って行った。

 美人の新たな一面を垣間見て、嬉しいような、恐ろしいような。


 ちなみにシシルさんの教え通り、頻度が多すぎる、あと柄と色が無理、といった文句をキノコに唱え続けたところ、どぎついムラサキとピンクだった傘の色はムラサキとオレンジになった。ハロウィンか! と突っ込んでしまったけれど、目玉の数も2つまでになった上に、大体1時間に10回以上は驚いていたのが1日に5回ほど生えてくるくらいに落ち着いたため、私はシシルさんへ大瓶に入ったムカの唐辛子漬けを差し入れすることになった。


「いやーほんと良かった。今日は焼肉でお祝いだー!」


 私のテンションも持ち直して一安心したらしいフィカルと保存していたアバレオオウシの肉でホームパーティーをしてみた。タレの材料としてムカの唐辛子漬けを使ったけれど、4分の1を細かく砕いてつけダレにしただけで辛めの味付けになっていた。そのまま食べるとか、やっぱり無理。

 異世界は私の知らないことがまだまだ沢山あると確信した数日間だった。





ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/09/19)

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