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行き倒れも出来ないこんな異世界じゃ  作者: 夏野 夜子
とくにポイズンしない日常編
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夜明けのお仕事8

 テューサさんは隣に座ったもののしばらく口火を切ることなく、黙ってお酒の入ったグラスを傾けていた。その視線の先には次々と冒険者達にヒトクイザケを注がれながらも平然としているフィカルがいる。水のようにお酒を飲んでいる姿を私もつられて見ていると、フィカルがこちらに気付いた。無表情な瞳と目が合う。


「あなたは、なぜフィカルと恋人ではないの?」

「え?」


 ぽつりと零された声に、意識を隣へと戻した。お酒が3分の1ほどに減ったグラスを持ちながら、テューサさんは私を睨んでいる。眉間に力が入っていたが、それは苦しそうな表情にも見えた。


「フィカルは顔も良いし強いし、勇者という唯一の称号を得ているわ。魔王討伐の報奨金も持っている。それなのにあなたは何故フィカルと結婚しないの? フィカルに惹かれないの?」

「えーっと……そもそも、相手の凄いところが多ければ好きということはないのでは?」

「フィカルは結婚相手としてこれ以上ない相手でしょう」

「そうかもしれませんけど」


 私は手に持っていた一口サイズのケーキを口に入れて、咀嚼しながら考える。


「テューサさんは、優れた相手と結婚しなければ、みたいな気持ちが強くなっちゃってるんじゃないですか?」

「それが何なの? 悪いとでも言いたいわけ?」

「いえ、別に悪くはないと思いますけど、それ、もしフィカルが怪我とかして顔が変わったり、冒険者が出来なくなったりしたらもう好きじゃないって言ってるようなもんですよね」

「当然でしょう? 選んだ亭主が飲んだくれて金ばかり使うようになったら、誰でも愛想を尽かすじゃない。どんなに好きな相手であっても、耐えられない条件はあるでしょ」

「た、確かに……じゃなくて、えっと、テューサさんは、その条件を高く設定しすぎではないかと……?」


 自分で言いながら、何を言いたいのだろう、とぼんやり考えている。そもそも、疲れているし周りはうるさいしで、あんまり頭が回っていない。

 確かに私ももしフィカルが自分のことだけ考えたり、身勝手に暴力を振るう人間だったりしたら、早々に一人暮らしを選択していただろう。けれどもその選択は、どちらかというと自分に与えられるマイナスを取り除くための選択といえる。顔がいいとか稼ぎが良いとかは、プラスの要素だ。それが多いことに越したことはないけれど、そのプラスの要素がもしなくなっても、ゼロの状態になっても一緒にいたいと思える相手が、結婚には向いているのではないか。

 いや、結婚したことないし考えたことなかったからわからないけど。


 そうテューサさんに考え考え伝えると、テューサさんは顔を歪めて告げた。


「それは理想論というものではなくて? 大体、相手の魅力が消えた状態がどれほどなのかわかりようがないし、それをいちいち確かめるなんて時間がいくらあっても足りないわ」

「なるほどそうですね」


 割と面倒くさいぞ、テューサさん。

 結婚相手を探して焦っているテューサさんには、テューサさんの判断基準があるということだろう。それは良いけれど、私としてはとばっちりを受けることは避けたいのだ。とはいっても、カルカチアにいる時間はもう終わりだ。夜が明けたらトルテアに戻るし、そうすればテューサさんと顔を合わせる機会はほぼないと言ってもいいだろう。来年の収穫作業が始まるまでに相手を見つけてしまうかもしれないし。


 私はそう考えて、すっくと立ち上がった。見上げてくるテューサさんと視線を交わらせる。


「テューサさんがそう考えるのも自由ですけど、フィカルがそれをどう思うかも自由だし、さらに言うと私とフィカルがどういう関係でいるかも自由だと思います。なので、テューサさんがやいやい言っても良いけど、私達がそれに従わなくっても良いわけですよね。やー、自由ってサイコー。OK。じゃあ、帰ります!」


 捲し立ててグッと親指を立ててみせた私を、テューサさんがぽかんとした顔で見上げていた。美人はどんな顔をしても美人のままだから世の中は不公平である。私が勢いに乗ったままイエーイとか言ってテンションを上げていると周囲のお酒に呑まれたお嬢さんたちもノリノリで返してくれる。そのままフィカルを見ると、彼は心得たように立ち上がって器用に人混みを縫ってこちらまで歩いてきた。私は周囲の酔っぱらいとハイタッチなどを交わしながら女子の坩堝を抜け出して、フィカルがいるところまで到着する。もう結構時間は経ったし、ご飯もおやつも堪能したし、さっさと帰って寝るに限る。


 私が帰ろうと声を掛けるとフィカルは頷いて、私を軽々と持ち上げた。あれだけしこたまお酒を飲んでいたのでフィカルからはヒトクイザケの香りが漂っていたけれど、酔っている様子はないし歩みもいつも通りしっかりしていた。抱き上げられた視界でタリナさん達に手を振ると、笑って返してくれた。彼女たちの飲み会はまだまだ終わらないらしい。


 宿屋は私達のように早めに抜け出た人達もいて、思ったよりも人気が多かった。一旦部屋に戻って着替えだけを取り、そのまま汗を流しに直行する。さっぱりした気分で廊下を歩いていると、キリッとした顔の女将さんに呼び止められた。

 女将さんはエメラルドグリーンの髪をしたテューサさんとは全く違う赤錆色の髪をしているけれど、よく見ると気の強そうな目と尖った鼻は似ている。テューサさんも年を取ると鷲鼻になるのだろうか、となんとなく想像した。それにしても、異世界の髪色は遺伝性がよくわからない。旦那さんは何色なんだろう。


「あんた、飲まなかったのかい。ここのヒトクイザケは絶品なんだよ」

「えっと、20歳までは飲まないと決めているので……」

「何だいそりゃ。成人してるんだから味わっときゃいいだろう」


 フンと女将さんは鼻を鳴らして、ちょっと待っときなと厨房へと消えた。

 持論を自信たっぷりに掲げているところなど、まさに親子である。そう考えながら待っていると、女将さんは中身のたっぷり入ったヒガシヒトクイウリを持ってきた。ウリの表面は乾いて茶色になっているので、ヒトクイザケを入れたものだ。

 それをズイッと突き出されて、思わず受け取ってしまう。


「娘が迷惑掛けたみたいだからね。やるよ。トトルの葉を入れて酒精を弱くした物だ。果物も漬けてるからあんたでも飲めるよ」

「あ、りがとう、ございます……?」

「今が飲み頃だからね。さっさと飲むんだよ」


 女将さんはそういうとすぐに厨房へと引っ込んでしまった。

 お詫びの品ということだろうか。

 タプタプと音のするそれを抱えながら部屋へと戻ると、既にフィカルもお風呂から上がってぼんやりと座っていた。不思議そうに私の腕の中を見たので説明すると、こっくりと頷いて器を用意する。

 ジュースを飲むのに使っていた小さな木の器にフィカルが掬ってくれたお酒は、ほんのりと桃のような甘い匂いを立ち上らせていた。鼻を近付けてみても、それほどアルコール臭が強いとは感じない。


「……頂きものだし、ちょっとくらいなら飲んでもいいかな?」


 フィカルに飲んでもらうとしても、お詫びとして貰ったのだから少しくらいは賞味をしてもいいかもしれない。お酒の底には色々な果実が入っていたし、女将さんが手間を掛けて作ったものなのだろう。

 そう思って、フィカルが差し出した器を両手で受け取った。すると、フィカルの両手が私の手を包み込むように更に添えられる。ん? と思ってフィカルを見上げると、フィカルが何かを呟いた。


「――」


 とぅるる、といった感じの響きが混ざった、聞き取れない音について首を傾げていると、器が持ち上げられて私の口へと近付けられる。飲んで、というようにフィカルがじっと見つめていたので、ほんの少しだけ傾けて唇を濡らす程度に含んでみた。甘い香りが口の中に広がり、僅かにシナモンに近いスパイスの味も感じる。

 その甘い美味しさに驚いていると、フィカルが私の手を包んだまま器を自分の方へ近付け、反対側に口をつけてお酒を一口飲んだ。

 それからまた何かを呟いて、私にお酒を一口。今度は飲み込むほど口の中に入ってきたので、濃い甘さとふんわりと口を温めるような僅かな感覚が広がった。


 フィカルが残りのお酒をくーと飲み干すのを見ていると、空になった器からようやく手が離れる。

 何だったのか、と聞こうとして、フィカルの顔を見て私は固まってしまった。


 フィカルが笑っている。


 いつもの表情筋が人よりも少ないのではと疑いたくなる顔が、ふにゃ、と音がしそうなほどにかつてない微笑みを浮かべていた。整ってやや冷たい印象の顔が優しさを含んで、普段にはない魅力を湛えている。紺色の瞳も温かく細められ、目尻から頬にかけてがほんのりと赤く染まっていた。

 初めて見るその表情を私が唖然と見上げていると、フィカルは器を手に持ったまま私に擦り寄り、首筋に額をスリスリと擦り付けた。その勢いに押されるように後退して、私とフィカルはベッドに受け止められる。


 またたびでも与えられた猫のようにフィカルに懐かれながら、私はしばし呆然としていた。

 なんだろう、あの可愛くて無防備な笑顔は。そして唐突なスリスリ攻撃……はいつものことだけれど。

 フィカルは力を抜いているのか、ふにゃふにゃと重くて地味に抜け出せない。説得と力技で何とかベッドを這い上がり、掛け布団を掛けた。フィカルが持ったままだった器はテーブルに置きに行ける状態ではないので、枕元の端の方に置いておくことにした。

 気付くと、フィカルは既に寝ている。これほど無防備な寝顔を見たこともなかった。頬はまだほのかに熱を持っているようで赤い。


 もしかして、酔ったのだろうか。

 あれほどカパカパお酒を空けておいて無事だったのに?


 酔いが時間差でやって来るとかあるのだろうか、などと考えながら、点けたままの灯りのことを忘れることにして私も目を閉じた。

 疲れによる眠気に、湧き出たばかりの疑問も流されていってしまう。

 口に入れた果実酒は甘く、ふわっとした温かさを体の芯にもたらしていた。






ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/12/15)

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― 新着の感想 ―
この作品好きすぎて3週目です!3週目の前に別作品を読み、やっと腑に落ちたシーンが多々ありましたが、このシーンもそのひとつで。フィカルが柔らかく表情を弛めて笑ったのは、スミレに魂を渡せたからなのかなと思…
[一言] フィカルとスミレがお酒を飲んでホワホワしたシーン、作者様の別作品を読んだ後に読むと「これがあれか!」となってより面白い。
[良い点] 主人公がテューサに言い返した処 [気になる点] テューサが鬱陶しくてげんなりです 主人公はわざわざ相手してやることないのに、律儀というか気が弱すぎというか… 根は悪い子じゃない とは何処…
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