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行き倒れも出来ないこんな異世界じゃ  作者: 夏野 夜子
とくにポイズンしない日常編
24/864

フィカルの理由

 フィカルの朝はスミレの顔を見ることから始まる。

 家の中にいる間は、何にも邪魔をされることのないフィカルとスミレだけの時間である。本当は同じ部屋でずっと眺めていたいと思っているが、スミレが一人一部屋だと決めたので、仕方なく夜は自分の部屋で眠り、スミレが目を覚ます前にスミレがきちんと存在しているか覗きに行くことになっている。最初の頃に目覚める様子をじっと見つめていたら起きたスミレが怒ったので、それ以来起きそうな気配がしたらフィカルはそっと自室へ戻ることにしていた。

 そんな習慣が出来て2ヶ月ほどのことである。夕食の席でスミレがぽつりと呟いたのだ。


「魔王が凶暴なせいで、魔物が増えて大変なんだって。怖いね」


 フィカルは不安そうにしているスミレを可哀想に思った。スミレが安心できるようにきちんと守らなければ。この辺りの魔物であればスミレは大体自衛出来るのだが、不安であればフィカルに頼ってくれるかもしれない。フィカルがそう期待したのと同時に、スミレがまた口を開いた。


「ていうか、魔王を倒したら一生遊んで暮らしても余るくらいのお金が貰えるらしいよ。すごくない?」


 フィカルは魔王を倒す決意をした。

 フィカルにとって仕事とは、スミレと一緒にいる時間を減らす最大の原因だった。街で暮らしていくには、お金がかかる。森で暮らせばお金は必要ないのでフィカルはスミレと森で暮らしたいと思っているが、スミレはここの人々や暮らしが気に入っているようだ。けれども今の暮らしでは、仕事をしなければ服も食材も買うことが出来ない。スミレは街の住民に習って生活費を計算し暮らしている。食材を買うときも迷って安いものだけを選ぶこともあった。フィカルが冒険者の星ランクをいくつか上げたので最初より実入りは良くなっているが、生活に余裕はない。しかも多く稼ぐには、それだけスミレと離れる時間も長くなる。それが非常に煩わしかった。

 一生遊んで暮らしても余るくらいのお金であれば、遊ばなければ2人で暮らしていけるほどの金でもあるだろう。そうしてフィカルは魔王を倒すことに決めた。


 討伐の依頼であれば冒険者ギルドの掲示板や、依頼書帳で探して受領することが出来る。フィカルは翌朝早速探したが、魔王を討伐するという依頼はないようだった。地域限定の依頼で、トルテアでは受領することが出来ないのかもしれない。

 フィカルは近くにいたルドに声を掛け、魔王がどこに住んでいるかを尋ねる。


「魔王? 伝承では北西の果てにあるトラキアス山にいるって言われてるな。まあトルテアは大陸の東南だし、被害が少ないのが不幸中の幸いだ」


 大陸は大きく、北西の果てまで行くには時間がかかるらしい。そこでフィカルはルドに礼を言って、簡単な仕事をいくつかこなした。

 1日2日で帰って来れない距離なのであれば、この冬にフィカルがスミレの傍にいない可能性を考え、少しずつ進めていた冬越しの準備を整えておくほうが良いだろう。そこからフィカルは実入りの良い仕事を引き受け薪を買い、獣を捌いて肉は燻製にし皮は敷物にして、スミレが快適に暮らせるように工夫をした。途中、それほど長期間スミレと離れてしまうことを考えると魔王を討伐に出掛けるのをやめようかとも思ったが、スミレの安全と金のことを考えて旅立つことにした。


 初めはトルテアの北にある隣街近くで取れる魔石の依頼をこなし、そこで同じトルテアの冒険者とは別れて更に北西へと目指した。旅費は依頼で稼ぎ、その街のギルドを覗いて魔王討伐の依頼がないか確かめ、更に荒れた土地の方へと旅をしていく。

 フィカルがようやく魔王討伐の依頼を見つけたのは、王都にある大きなギルドの事務所でのことである。


「あんた、これが何の依頼書かわかってんのか?」


 王都のギルドでは体格の良い男が受付をしていた。辛子色の頭をしたその男は呆れたような顔をしてフィカルのカードを指差す。


「星4でそれとはよっぼど向こう見ずなのか頭が空っぽなのか知らんけどな、やめとけやめとけ〜。王都の星9ランクも揃って討伐準備してっから、そのうち平和になるからよ」


 そう言って男はぽいっとカードをフィカルへと投げ返す。フィカルはやや困ったが、条件を満たせば報酬は貰えるだろうと踏んでそのまま旅をすることにした。くるりと踵を返したフィカルを、受付の男が呼び止める。


「あ、お前ちょっと待て。王城でも依頼は受け付けてるが、それはウチと管轄が同じだから行っても無駄だぞ。故郷に帰って警備でもしてな」


 なるほど。フィカルは頷いて、その足で王城へと向かった。

 王城の手前にある門で身分証明を求められ、ギルドカードを差し出すと不審な顔をしながらも衛兵が案内をする。高くそびえ立つ大きな城の近くにそれよりは小さい建物があり、そこで依頼を受領できるらしかった。建物の中には制服の男がほとんどで、それ以外は冒険に向かない服装をしているものしかいない。フィカルは視線を多く感じたが、気にせずに受付の男へと話しかけた。制服を着ている受付の男はフィカルの話を聞いた途端に弾けたように笑い出す。


「おい皆、この星4ランク様が何と魔王を倒しに行くらしいぞ!!」

「本気か?」

「誰か説得してやれ!」


 より騒がしくなった周囲にフィカルは眉を顰める。受付の男はわかったわかったと手を振ってフィカルを追い出そうとしていた。依頼書にサインもしていないので、それでいいのか、とフィカルが聞き返すと、受付の男は溜息を吐いてぞんざいに頷きながらフィカルのカードを返却する。


「おい誰か、魔王討伐の方法をこいつに教えてやってくれ」

「さぁ来い。こう見えて騎士は暇じゃないんだぞぉ」


 馴れ馴れしく肩を組んできた男を避けながら外へ出ると、開けた場所へと案内される。どうやら訓練所らしかった。そこで戦いを挑んできた男を何人か倒して、フィカルはさらに旅を続ける。人間を相手にしている暇はフィカルにはないのだ。


 最低限の生活費だけを稼ぎながら、フィカルはとにかくトラキアス山を目指した。段々と街が堅牢になり規模が小さくなり、町と町との距離も開いていく。途中までは移動手段として馬を利用していたが、ある地点で脅えて進まなくなってしまった。そこで他の動物を使った荷車に乗せてもらうようになり1日の移動距離が短くなったが、竜を捕まえてからは早かった。

 竜は空中を進むので荒れた地形や毒草に気を付ける必要もなく、また1日に進む距離も飛躍的に長い。騒がしいのが玉に瑕だが、気にするほどでもない。途中途中で街によって必要物資を手に入れ、フィカルはトラキアス山へと登った。


 魔王と対峙してから、帰り道は行きよりも数倍早かった。それも竜に乗っているためである。街で暴れると面倒なので、宿に泊まるときは街の門前で竜を追い払わなければいけない。翌朝街の反対側から出発するときも同じ竜が待ち構えているので、人間を運ぶのが好きな種類なのかもしれないとフィカルは思う。もしそうであれば、スミレを乗せてあちこちへと旅が出来るだろう。スミレは海が見たいと一度言っていたので、それも叶うかもしれない。


 王城の受付へと戻り、魔王討伐の条件である繊維状の魔石を差し出すと、前回とは打って変わって辺りは水を打ったように静まり返った。それから前回よりも大きな騒ぎになり、フィカルは別室へ通され、王城の小部屋へ移され、さらに謁見室へと足を運ぶように言われる。その時点で既に3日ほど消費しており、フィカルは段々と苛々が溜まっていた。夜中、フィカルの寝ている部屋に目掛けて竜が来るので毎晩退治するというのもそれに拍車をかけている。


 幸い謁見室で貴族らしき人間に囲まれながらも報酬をもらうことが出来たので、フィカルは怒りを収める。スミレであれば両手で抱えるような袋の中には、金貨がぎっしりと入っている。まだ色々と言われてはいたが、適当に返事をしてフィカルは帰ることにした。

 金が十分手に入った今、スミレと離れて暮らす理由はない。



 久し振りにスミレと会い、昼間は竜や子供達に邪魔をされたものの夕食は今まで通りに2人で食べることが出来てフィカルは満足した。報酬の入った袋を差し出すと、スミレは不思議そうに中を覗いて金貨を取り出した。


「え……これ、もしかして、お金?」


 高そう……と深刻そうに呟いて、スミレはフィカルに返そうとする。スミレのためのお金なので、スミレの手にしっかりと握らせると、意味が伝わったらしかった。しかし、スミレはなぜか慌てた顔をして首を振る。


「いや、ちょっと待って。生活費だったら多分これ1枚で十分だと思う」


 すべてを生活費のために稼いできたのに、丁重に断られてしまう。

 後日、換金所でふらついていたスミレはその場で金庫を2つ買い、1つをフィカルに渡して報酬である金貨を入れておくように言う。フィカルが頷いて金庫をスミレの部屋に置こうとすると、心臓に悪いからやめてと真顔で断られてしまった。金貨の気配が苦手なのだろうか。


「生活費として使わせてもらうのは嬉しいけど、自分で稼いだお金なんだから好きに使っていいんだよ」


 スミレはそう言うのに、フィカルの望み通りにすべてを受け取ってはくれない。

 更にフィカルの誤算だったのは、生活に余裕ができたにも拘らずスミレが仕事をやめなかったことだった。それでもフィカルが仕事をする必要がなくなったため、フィカルはスミレの傍で手伝いをすることが出来る。1日のほとんどをスミレと過ごす生活は実現した。それだけで、魔王を倒しに出掛けた価値はあっただろう。


 朝、フィカルはスミレとともに朝食の準備をして食べ、スミレが仕事をする様を見て、ときには手助けする。手助けをすると、スミレは笑って感謝する。夕食も一緒に食べて、同じ家で眠る。時には夜をギルドで過ごすこともあるが、スミレはいつもフィカルの手が届く範囲にいる。市に行けばスミレの食べたいものを買って、2人で分け合うことができる。休みの日の過ごし方は色々あるが、雨の日に何もしないという過ごし方が出来るようになった。遅めに起きて、ゆっくり食事をして、昼寝もする。目覚めるとスミレが腕の中にいる。

 フィカルは非常に満足していた。






ご指摘頂いた間違いを修正しました。(2017/08/02)

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― 新着の感想 ―
[一言] 魔王…名前すら出てこない…不憫。
[良い点] フィカルにとっての幸せは、スミレが平和に笑って暮らしてること、という事が良く分かる話でした。胸がほんわかする話だ~
[良い点] 魔王の扱いが空気すぎるwww
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