第109話 永田町シティアドベンチャー
「米連の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み従来の政策を打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至りました」
言葉の意味が理解出来たのか記者会見の場が俄かに騒がしくなる。
会場を飛び出していったのは、号外担当の記者であろう。
1943年1月某日午前10時。
時の総理大臣鈴木喜三郎は名言を残して総辞職した。後の『米連情勢は複雑怪奇』の元ネタである。
前年の11月に開催された臨時国際観艦式。
観艦式とは名ばかりの米連による砲艦外交が内閣総辞職を決意させることになった。
この世界の鈴木は史実よりも長生きしていたが、心身が弱っていた。
そのような状態で16インチ砲搭載艦10隻の来航に耐えられるわけがなかった。
「そ、総裁が倒れたぞ!?」
「救急車を呼べ―っ!?」
気力だけで演壇に立っていた鈴木は、辞職表明直後に病院に担ぎ込まれた。
むしろ、良くぞ持ったと言うべきであろう。
「ようやく我らの時代だな」
「いい加減、御老人には引退して欲しかったからな」
「新しい日本は若い力で作り上げていかねばならん」
政友会本部の一室では、今後の対応を協議するために議員たちの懇談がもたれていた。彼らは若すぎると言うほどでは無かったが、年寄りと言うほどでもない。いわゆる中堅議員であった。
「……で、どれだけの支持を取り付けられる?」
「とりあえず6名だな」
「俺のところは5名だ」
彼らは推薦人の確保に躍起であった。
20名の議員から推薦を受けないと総裁選挙に立候補することが出来ないからである。
この世界の政友会の総裁は公選制であった。
20名の議員から推薦を受けることが出来れば、総裁選に立候補する資格を得られる。
史実の政友会においては、党内の有力者間の話し合いや推薦で総裁が決められていた。党大会での承認されて総裁に就任したケースもある。
昭和初期の政党政治は戦後の自民党政治よりも派閥色が強かった。
意思決定は党内の政治力学と合意形成が重要な要素であり、何よりも優先されたのである。
最終的には党内の実力者が総裁に就任することが多かった。
ここらへんが戦前の政治が密室政治と言われた所以であろう。
『しかし、君らの時代でも政党政治と普通選挙は否定されてはいないのだろう?』
『もちろんです。だから、段階を踏みましょうということなのです』
『なるほど。詳しく聞かせてもらおうか……』
この世界の政友会の総裁が公選制になったのは、今は亡き西園寺公望が原因であった。平成会から史実21世紀の政党政治の実情を根掘り葉掘り聞きだした西園寺は、この時代の実情に合わせてルールを改変して採用していた。
ちなみに、政友会総裁選挙は自民党のソレを参考にしていた。
推薦人となる資格は政友会所属の国会議員であること。総裁選に立候補するには20人以上の推薦人を集める必要があった。
推薦人を20人集めることは、かなりの難事であった。
少なくともペーペーの新米議員には出来ることではない。ある程度以上の実績と周囲からの評価が必要となる。
推薦人20人は候補者に対する篩と言えなくもない。
組織がまともであったら、という前提が付くが。
現在の政友会は、衆議院300名余、貴族院200人弱という結党以来最大の大勢力である。しかし、その内情は目を覆いたくなるほど酷いものであった。
後藤新平以来、政友会の総裁は雑多な派閥をいかに従えるかが至上命題となった。飴と鞭で切り崩すか、極力派閥色を出さないか、あるいは妥協の産物で選ばれるか……。
元老が睨みを利かせていた頃はまだマシであった。
彼らの威光に恐れをなして、馬鹿どもは自重していたのであるから。
しかし、最後の元老である西園寺も3年ほど前に亡くなっていた。
自重を捨てた雑多な派閥を止めるものは存在せず、それぞれが好き勝手し始めていたのである。
特に鈴木政権末期は壮絶なものであり、政策一つ通すだけでも膨大な根回しと我慢を伴った。鈴木喜三郎が倒れた原因の一つであることは間違いない。
元老がいなくても総裁経験者が党内で睨みを利かせてくれれば、党内の結束をはかれたかもしれない。しかし、後藤新平も犬養毅も既に政治から身を引いていた。
元老も総裁経験者もいない政友会は無法地帯と化した。
総裁候補者が乱立し、立候補権を獲得するべく推薦人の争奪戦が早くも始まっていた。
仁義なき推薦人争奪戦の結果、総裁選候補者が10名以上という異常事態となった。結党以来、最大の候補者数であったことは言うまでも無い。
総裁選は1月下旬に告示、2月上旬に開催されることになった。
各候補者は総裁選前日まで選挙運動に駆けずり回ることになったのである。
「英国大使はぁ、気楽な稼業と来たもんだぁ~」
コンビニの駐車場でほろ酔いする外人なおっさんが一人。
誰あろう、駐日英国全権大使のテッド・ハーグリーヴスであった。
「っぷはーっ!」
右手にはワ○カップ、左手にはホットスナックの完全武装。
何処からどう見ても立派な酔っ払いである。
最近のテッドは、コンビニに足繫く通っていた。
英国大使館から永田町まで1km程度。深夜のピクニックにはちょうど良い。
『旦那さまが見当たりませんわーっ!?』
『また逃げ出しやがりましたわね!?』
『毎回毎回どんな手を使っているのやら……』
その一方で、大使館は大騒ぎになっていた。
今日こそはと、寝室にメイドたちが突入してみれば主人は不在。現在進行形で必死の家探しが行われていたのである。
やっていることは、家庭から逃げるダメ親父以外の何物でもない。
しかし、こんなことになったのはテッドがやらかしたせいではない。
何もしていないのだから、現在の状況はテッドの責任ではないと言えなくも無い。これまで何もしなかった。否、これまで何も出来なかったから現在進行形でツケを払わされているだけなのであるが……。
事の始まりは、去年の年末にマルヴィナとおチヨがダブルで男児を妊娠したことであった。それはマルヴィナの仮説の正しさが証明されたことを意味していた。
『……こほん、とにかくです。あぁいった下衆な連中から当家を守るためにも、友好的な親族を量産する必要があるのです!』
この事実に狂人――もとい、御家至上主義者である家令のセバスチャン・ウッズフォードがはっちゃけた。彼の提案を正妻と愛人コンビが了承したことが現在の状況につながっていた。
今後も公爵家を存続させていくためには、いざという時のスペアを確保する必要があった。そのためには直系であることが理想なのは言うまでもないが、最悪の場合でも傍系から当主を輩出出来れば問題無い。
普通に考えれば傍系は親族となる。
しかし、テッドの親族は信用ならなかった。何よりも本人が蛇蝎の如く嫌っていた。ならば、どうするか?
答えは『庶子を大量にこさえる』ことである。
血を引いていればなんとでもなる。ドーセット公爵家の政治力をもってすれば、貴族に取り立てることも決して不可能ではない。
『……あ、そうそう。言い忘れていたけど、お手付きタイムは最初のサイレンが鳴ってから、終わりのサイレンが鳴るまでよ』
『基本的にご飯と睡眠の時間は除外するから安心しなさい』
そんなわけで、最近はメイドたちの夜討ち朝駆けが盛んであった。
唐突にサイレンが鳴って始まり、唐突にサイレンが鳴って終わる。そんなことを繰り返していたのである。
「はぁ、今日は日曜日かぁ。帰りたくないなぁ……」
独り言ちりながら、ホットスナックの鯨コロッケにかぶりつく。
あっさりとした味わいの鯨肉に、濃厚なソースのハーモニー。至福の味わいであったが、テッドの憂鬱な気分を晴らすには至らなかった。
メイドたちの襲撃は、基本的に食事と睡眠の時間は除外されていた。
ついでに、執務している時も。
しかし、日曜日だけは例外であった。
特に予定が無い限り、起床後はあらゆるタイミングで襲撃されるのである。
(とりあえず漫喫で夕方まで時間を潰そうかなぁ)
そんなことを考えていたテッドであるが、周囲が騒がしいのに気付く。
繁華街ならともかく、ここは永田町である。深夜に騒々しくなることなどありえない。
「……なぁ、本当にここに居るのか?」
「分からん。だが、一時期はよく出没したのは事実なんだ」
「他の連中を出し抜くには、あの人の力が必要だからな。何が何でも見つけないといかん」
コンビニやって来たのは、スーツを着た男たち。
それも数人ではない。ぱっと見で10人以上いた。
「先生、目撃者がいるかもしれません。ちょっと聞いてきます」
テッドの耳にそんな言葉が入ってくる。
間を置かずに無遠慮な足音が近づいてくる。
「君、ここらへんでドーセット公を見なかったかね?」
「……」
慇懃無礼な態度に思わず閉口してしまう。
同時に呆れてもいた。特に変装などしていないのに、本人が目の前にいるのに何故気付けないのかと。
「なんだ、金か? しょうがないな……」
そう言って、男は財布から一円札を取り出す。
その態度がテッドの感情を逆なでした。
「ほら、これで話を聞かせてぇぇぇぇ、ぐわぁっ!?」
金を握らせようとした瞬間、男は背中から叩き落される。
とても酔っぱらっているとは思えない、テッドの鮮やかな一本背負いであった。
「な、何事だっ!?」
「おい、誰か警察を呼んでこいっ!」
一部始終を目撃していた男たちが、血相を変えて駆け寄ってくる。
近くで見れば、仕立てに良いスーツを着ている。それなりの地位にある人間なのだろう。
「貴様、うちの秘書になんてことをしやがる!?」
そのうちの一人が居丈高な態度でテッドに迫る。
胸倉を引っ掴んで、ガンを飛ばす。
「えっ、あっ、ああああああ……」
その瞬間、男の顔色が変わる。
ようやく目の前の男が何者か気付いたのであろう。さぁっ、と効果音が聞こえてきそうな勢いであった。
「す、すみませんでした! 全ては秘書の先走りです。どうか、どうか……!?」
「……警察は呼ばなくてよいわけ?」
「め、めめめ滅相も御座いませんっ!」
男はその場で土下座する。
今までの態度が嘘のようなサンシタムーブをかましていた。
「おい、なんで土下座なんか……」
「馬鹿っ!? この御方がドーセット公だぁぁぁぁぁ!」
「な、なんだってぇぇぇぇぇ!?」
衝撃の事実に男たちがパニック状態に陥った。
しかし、そこから立ち直った男たちの動きは速かった。
「「「すみませんでした!」」」
全員そろって土下座である。
それはもう、見事なものであった。
(なんなんだこいつら……)
もう完全に酔いは醒めていた。
こいつらに関わったら、ロクなことにならないとテッドは直感する。
「ちょ、お、お待ちをっ!? 無礼な態度は謝りますからっ!?」
「話だけでも聞いてくださいっ!?」
「公のお力が必要なんですっ!」
「その、ちょっと応援演説してもらえないかなぁ? なんて、いや、ほんのちょっとで良いですから!?」
後ろで何やら喚き声が聞こえてくるが全力でスルーする。
回り込んで土下座してくるのをフェイクを入れつつ鮮やかに回避。さらには縋りついてくる手を振り払って、テッドはその場を立ち去ったのであった。
「……と、いうことがあったんですよ」
「「うわぁ……」」
事の次第を聞いて、ドン引きする今上天皇と侍従長の鈴木貫太郎海軍大将。
珍しくテッドが自主的に参内してきたので何事かと訝しんだのであるが、愚痴とためいきのオンパレードであった。
「英国紳士の常として僕は紅茶党ですけど、このコーヒーは美味しいですね」
「台湾から献上されている豆です。美味しいので最近は常飲していますよ」
会食に供されたのは台湾古坑珈琲であった。
濃厚な香りと口に広がる酸味と苦味が、テッドの気分を落ち着かせてくれる。
平成会のコーヒー狂いモブが暗躍した結果、この世界の台湾は世界有数の規模と品質を誇るまでになった。このことに深く感謝した台湾民たちは、選りすぐりの豆を皇室に献上していたのである。
「確かに、これは酷いものですな」
そう言って、鈴木は嘆息する。
彼の目線の先にはテーブルに広げられた週刊誌があった。
『深夜の永田町で何が 議員たちの一斉土下座』
『渦中の議員は取材拒否』
『警察は事件性は無かったとの一点張り』
壁に耳あり障子に目あり。
深夜の永田町だったにもかかわらず、コンビニでの騒動は週刊誌に取り上げられていた。
これが記事だけならば、事実無根と言い張ることも出来ただろう。
他人の空似と言い張って、けむに巻くことも出来たかもしれない。
しかし、週刊誌の記事には写真が掲載されていた。
こうなると、名誉棄損で訴えるという伝家の宝刀も使えない。
ちなみに、写真にはテッドも映っていた。
ぼかしや黒線が入って分からなくしてあったが。さすがに同盟国の大使を敵に回す度胸は無かったらしい。
渦中の議員たちは、マスコミからの逃亡を余儀なくされた。
総裁選の最中にもかかわらずである。
『馬鹿なやつらだ。横着するからこうなる』
『自爆してくれたおかげで楽になるな』
『急がば回れという言葉を知らんらしい』
そんな連中を他の総裁候補者たちは嘲笑った。
彼らは正攻法でテッドに応援演説を依頼したのであるが……。
『……応援演説をして欲しいとのことだったけど、はいそうですかと受けてもらえると思ったわけ?』
『えっ?』
『応援する人の為人や政策を知らないと応援演説出来るわけないじゃないか。まずはそこらへんを語ってもらわないと』
『え、えーと……』
彼らの大半は、親から政治基盤を受け継いだ2世議員であった。
選挙運動をせずに当選出来る苦労知らずのボンボンとも言う。
派閥抗争に明け暮れていたので、政争や政治上の駆け引きには非常に手慣れていた。しかし、政治家としての力量には疑問符を付けざるを得なかった。
『政治家は政策を出してナンボだろうが!? 自分で政策を語れない政治家なんぞに応援演説してやる価値などないっ!』
資格無しと断じられた彼らは、怒りの形相のテッドに叩き出された。
最初の自信満々な態度は何処へやら。這う這うの体で逃げ帰ったのであった。
「前総理の苦労が今なら分かりますよ。今の政友会はあんなのばかりみたいですし」
お茶請けのコロンバンのクッキーを頬張りながら、コーヒーで流し込む。
宮内省御用達のお茶請けをもってしても、テッドの表情は晴れなかった。
「確かに、政治家の堕落は目に余るものがありますね。わたしも常々感じています」
今上天皇もコーヒーを啜る。
所作は優雅でありながらも、その玉顔はかすかに歪んでいた。
「首相は議員から選ばれますが、議員を選ぶのは国民です。今の状況は国民の政治の無関心とも決して無関係ではない」
生前に悪夢の民主党時代を経験したが故に、テッドの言葉は重い。
当時のネットでは民主党に危惧する人間が多数であった。しかし、マスゴミに踊らされた大半の日本人は民主党政権を誕生させてしまった。
『埋蔵金がある』
『事業仕分けで無駄を無くす』
『トラストミー』
ネット民の危惧は的中することになった。
ハネムーン期間を過ぎた民主党政権は無能をさらけ出したのである。
「でも、国民が政治に関心を持たない国は良い国とも言えるのです」
「それは何故です?」
今上天皇は、思わずテッドを問い質していた。
真逆のことを言い出したのだから当然であろう。
「国民にとって、何よりも優先されるのは目の前の生活です。生活をより良くするために政治に期待します」
「交通を良くするために橋を架け、トンネルを作る。鉄道やバスを通すために政治家に陳情するわけです」
「でもそれが一通り充実してしまったら? 生活基盤が充実してしまったら、国民の関心は別に移ってしまいます。主に娯楽とか、金儲けですね」
世界有数のインフラに手厚い社会保障、充実した娯楽で政治に興味を持たなくても生活出来る。それはまさに史実21世紀の日本であった。
「……ところで、ドーセット公。その先はどうなったのですか?」
今上天皇の声がふるえていた。
テッドの言葉が生前の体験であることに気付いてしまったのである。
「ウケ狙いの実現性の無い政策を掲げた新政権は次の選挙で圧倒的な敗北を喫しました。野党に転じていた与党も反省を活かして長期政権を築くことに成功しています」
「そうですか……そうですよね」
険しい玉顔を緩める今上天皇。
現在の政党政治に半信半疑だっただけに、救いのある結果に安堵したのであろう。
(元首相が暗殺されたとか、後を継いだキッ○ーとか、イ○バのことは話せないなこれは……)
その様子を見ていたテッドは、この話の続きをしないことを固く誓っていた。
知ってしまったらトラウマになりかねない。
(既視感があると思ったら、この世界の日本は史実21世紀の日本に似ているんだな)
テッドは件の議員たちに抱いた嫌悪感の正体に思い至っていた。
だからと言って、どうしようも無かったのであるが。
誰が政友会の総裁になろうとも、対英協調をしてくれるならばテッドは支持を表明するつもりであった。それ以上のアクションは起こすつもりは無かった。そんなことをすれば内政干渉になってしまう。
1月も下旬になると、世間は総裁選一色となった。
テッドはコメントを求められたが、ひたすらノーコメントで通した。
この時点で、水面下で陰謀が進められていたことを知る由も無かった。
仮に知っていれば全力で潰していたであろう。かつて、テッドが潰した勢力がしぶとく生き残って暗躍していたのである。
「……さて、皆に集まってもらったのは他でもない。ハワイ独立が最終段階に入った」
帝都の一角にある高級料亭の奥まった一室。
上座に座る和装の男の言葉に、出席者たちはどよめく。
集結した男たちの服装は様々であった。
しかし、社会的地位の高い人間であることは共通していた。
「ついにですか。長かったですな……」
「ハワイは米国の出城。ここを獲ることによる戦略的意義は大きい」
「資源はともかく、漁場としては有望だからな。漁業関連株は大いに上がるだろう」
彼らは満州派の支援者だった。
元は、というべきであるが。
かつて陸軍内で一大勢力だった満州派は、関東軍の解体と共に消滅していた。
満州派に注ぎ込んだ膨大な支援は露と消えてしまった。
しかし、彼らはめげずに新たな利権を求めた。
ハワイ独立派が接触してきたのは、その時であった。
ハワイ独立派の結成は、アメリカ風邪が国内で大流行していた頃までさかのぼる。事実上の無政府状態となっていた当時のアメリカに見切りをつけたハワイ王家の末裔は日本に支援を訴えた。
ハワイ王国の末裔による訴えを人道主義を拗らせた日本の新聞社は大々的に報じたその結果、『ハワイにいる同胞を救え』と国内世論が沸騰することになった。
当時の平成会はアメリカ風邪をハワイで食い止めるつもりでいたため、この流れは好都合であった。人道支援として大量の食糧や医薬品がハワイに送られたのである。
その一方で、アメリカ風邪収束後のハワイからは即刻手を引いていた。
アメリカを敵に回すことを避けるためであったが、同時にハワイ独立派の動きをけん制するためでもあった。
ハワイ独立派の活動が低調となったのは、平成会の目論見通りであった。
唯一の計算外は独立派が独自にスポンサーを見つけ出したこと。そのスポンサーが誰であったかは言うまでもない。
「段取りは既に整っています。決起した独立派が警察とラジオ局、新聞社をおさえます」
「武器弾薬は足りるのか?」
「民間船の貨物に偽装して送り込んでいます。小銃と弾薬だけですが、今のハワイは海軍もいないから充分でしょう」
先年に実施されたグレート・レッド・フリートの世界1周公開によって、常駐していたサウスダコタ級6隻はアメリカ東海岸へ回航済みであった。日本が攻めてこないと見切っていたからこそであるが、舐めプにも程がある。
「最終的にイオラニ宮殿を占拠して独立を宣言します」
「そのうえで我が国が独立を承認するわけだな」
「これでハワイの権益を独占出来るな!」
現在のハワイにまともな戦力は存在しない。
それ故に、支援者たちはハワイ独立派の勝利を確信していた。
「とにかく、時間が勝負です。決起のタイミングは今しかない」
「内閣書記官長はこちら側です。総裁選が終わるまでに決着させる必要があります」
「新たな総理が我々に協力してくれるとは限らないからな」
この世界の大日本帝国憲法は平成会によって改定されていた。
改定された部分には総理代行の項目もあり、総理不在時には内閣書記官長が職務を代行することになっていた。
そして、現在の内閣書記官長はこちら側であった。
独立派の決起が成功した際には、ハワイの独立を承認したうえで最恵国待遇にする役割を与えられていたのである。
「……ところで、この件にはドーセット公は関わってこないよな?」
支援者の一人が放った言葉に室内が凍り付く。
熱気のあった空間が一瞬にして沈黙する。その様子はまさに瞬間凍結が如しであった。
「お、おまえっ!? 冗談でもそんなことを言うんじゃないっ」
「思い出してしまっただろうが!?」
「そ、そうだな。すまん……」
その場に居た全員の顔が青ざめる。
全身の震えと冷や汗が止まらない。
彼らは16年前の悪夢を忘れていなかった。
否、忘れることが出来なかった。それこそ、今でも悪夢に見てしまうほどに。
『なんだこれは……?』
『鉄の人形……か?』
『おい……なんか声が聞こえないか?』
彼らの目の前に投げ込まれたシロモノ。
それはア○アンメイ○ンの刑を喰らった人間のなれの果てであった。
『まだ息はあるぞ!? 急いでひっぺがせ!』
『いったいどうすればこんなことが出来るんだ!?』
中身とほぼ同じ形に変形してしまった鉄製ロッカーを引き剝がすのは至難の業であった。それでも、なんとか引っ張り出したのであるが……。
『いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!?』
救出された中身が恥も外聞も無く泣き叫ぶ。
その様子は、将来を嘱望された若きエリートとは到底思えないものであった。
件のエリートは、ちょっと全身骨折した程度で済んだ。
鉄のロッカーが変形するほどの力が加えられて、その程度で済んだのは奇跡的と言っても良い。
『あはは……うふふ……』
しかし、彼は精神に大きな傷を負っていた。
肉体的には回復出来たものの、事実上の廃人状態と化してしまった。
あまりにも容赦のない報復に支援者たちは戦慄した。
それ以降、テッドを絶対に敵に回さないようにと固く心に誓っていたのである。
ちなみに、アイ○ンメ○デンの刑を執行したのはテッドではなくマルヴィナであった。圧倒的なフィジカルから繰り出す拳打で成し得たのであるが、誰もそのことを信じようとはしなかった。
『ハワイはネイティブハワイアンの手によって統治されるべきである! 今こそハワイ王国を復活させるのだ!』
1943年2月某日。
かねてからの計画通り、ハワイで独立派が決起した。
『緊急電です。ハワイで独立派が決起しました!』
『今すぐ内閣書記官長に伝えろ。いつでも動けるようにとな』
『了解です』
この動きに支援者たちも即応した。
ハワイ王国の復活宣言に合わせるべく、暗躍していったのである。
『ハワイにおける原住民の蜂起は日本の陰謀である! この卑劣な行動に対し、アメリカ連邦は断固たる措置を取る!』
1943年2月某日。
トロツキーの宣言は世界中に衝撃を与えることになった。
『くそっ、俺はもう逃げるぞ!』
『俺も俺も! こんなのやってられるか!』
『おまえら!? 持ち場を離れるなぐわぁっ!?』
独立派の決起は、その日のうちに鎮圧された。
彼らの誤算はハワイに抵抗する戦力が残されていたことであった。
独立派はそれなりの勢力であったが、ロクに訓練されていない素人同然の集団であった。少数とはいえ訓練された軍隊に勝てるわけが無かったのである。
「それで、裏は取れたのか?」
「信じたくありませんが、独立派の決起には三八式小銃が大量に用いられたようです」
「それがトロツキーの根拠か……」
1943年2月上旬。
内閣調査部ビルの一室では、調査の途中経過が報告されていた。
「そもそも、三八式は輸出してるだろう。それだけで日本が関与しているというのは乱暴過ぎないか?」
「そんなことが分からないほどトロツキーは無能じゃない。口実として適当だから利用しているのだろう」
「だが、どうしたものか。我が国がシロだと表明したところで、あちらさんが納得するとは思えないが……」
有ることを証明出来ても、無いことを証明するのは難しい。
いわゆる悪魔の証明であるが、モブたちは頭を抱えたい気分であった。
「引き続き、こちらの潔白を訴えるしかない。到底受け入れてくれるとは思えないが」
「それでも、やらないよりはマシでしょう。焼け石に水でしょうけど」
「幸いにして、これまでの行動で我が国は国際社会で信用を得ている。粘り強くやっていくしかないな」
この世界の日本は大陸の権益を放棄しただけでなく、侵略の危機にあるフィンランドに手を差し伸べるなど国際社会で高い支持を得ていた。もちろん、英国唯一の同盟国であることも大きい。
「前総理は職務遂行出来る状態じゃない。内閣書記官長に声明を出してもらおう」
「その内閣書記官長についてですが、気になる情報が出てきました。特定の勢力に買収された疑惑があるんです」
「なんだと!? いったい何処の勢力だ!? 下手をすれば外患誘致罪だぞ!?」
外患誘致罪は元々は大日本帝国憲法で制定されたが、日本国憲法下でも刑法第81条として存続している。適用されれば死刑のみの重罪である。
「そっちのほうはさらなる調査が必要だな」
「仮にクロだったらどうします?」
「外患誘致罪の適用は下策だろう。そんなことすれば、ハワイの一件を暗に認めたと取られかねない」
「史実で適用例が無いわけだ。これほど扱いが難しい法律も無いな……」
しかし、史実においては戦前戦後を通して適用された事例は存在しなかった。
量刑が死刑のみという極端さが適用を難しくしていると言える。
「むしろ泳がせて背後の連中をあぶり出しましょう」
「そのほうが建設的だな」
「どうせ新総理が決まれば退任だろう。その前に辞表を提出するかもしれんが」
結局、内閣書記官長は逮捕されずに泳がされることになった。
その一方で、証拠隠滅で躍起になっていた某支援者連中は根こそぎ逮捕されることになった。こちらは外患誘致罪の未遂罪が適用されて臭い飯を食うことになる。
「で、とりあえずどうしましょう?」
「結局はそこに戻ってしまうんだよな」
「米連の声明で多大な社会不安が広がっています。これを早急になんとかする必要がある」
サウスダコタ級戦艦10隻が来航してから、それほど月日は経っていない。
そのような状況で、トロツキーの声明は日本に対する宣戦布告に等しいものがあった。
当然と言うべきか、現在の日本国内は深刻な社会不安が巻き起こっていた。
内閣調査部としては、これを早期に払拭する必要に迫られていたのである。
「新型戦艦を大々的に喧伝するとかどうです?」
「確かに有効だろうが、アメリカを刺激するのは避けられん。今の奴らなら戦艦の量産をしかねんぞ」
「週刊護衛空母ならぬ、月刊戦艦とか普通にやりそうなんですよね……」
「それに海軍が了承してくれると思えません。特に紀伊級はハワイ攻略のための秘匿戦力ですし」
敵の脅威に対して、対抗する戦力を喧伝することは社会不安を払拭する有効な手段と言える。問題は、その戦力を持つ海軍が賛成しないことが確実なことであるが。
「駆逐艦や戦闘機、潜水艦を大々的に喧伝するのはどうです?」
「戦艦に比べて、パンチ力に欠けるというか……」
「うちらはともかく、この時代の人間には響かないんじゃないですかねぇ」
戦艦は戦力としてだけでなく、象徴的な意味合いも強かった。
冷戦期における核兵器的な立ち位置と言えなくも無い。
史実を知っているモブからすれば、戦艦が時代遅れになることは周知の事実であった。しかし、この時代の人間にそれを理解させる時間も労力も存在しなかった。
「史実で中国が日本鬼子呼ばわりしたのに対抗したことがあったじゃないですか。あれをやるのはどうです?」
「面白いですね。この時代にはネットは無いから、パンチの効いたイラストを新聞に載せましょう」
「それは良いアイデアだな。さっそく絵師を集めてデザインを決めよう」
史実におけるリーベングイズは、中国における日本人に対する蔑称の一つである。しかし、史実21世紀の日本人はこれを別の概念に書き換えてしまった。
具体的には日本鬼子というキャラを作り出した。
ネットで代表デザインが募集され、野生のプロ絵師たちによってバリエーションが急速に広まっていった。
この日本の行動は概ね好評であった。
またやらかしたかと、多少の生暖かさを含んではいたが。
その結果、日本鬼子でネット検索すると『リーベングイズ』ではなく『ひのもとおにこ』の萌え絵が大量に出てくるようになった。概念の書き換えは見事に成功したのである。
前例の無い反撃(?)を喰らった中国は無力であった。
直球で攻撃することも出来ず、されど振り上げた拳を簡単に下ろすわけにもいかず。それでも、最終的に受け入れざるを得なかったのであるが。
同様の事例は2025年にも発生している。
首相に対して首を切るなどと無礼な発言をした中国総領事はネット民のおもちゃにされた。
件の総領事は結局謝罪することは無かった。
しかし、任期が満了したとして急遽帰国してしまった。逃げ帰ったとも言う。
日本鬼子の件と同様に、中国はこの反撃に対して何も出来なかった。
内容的にいろいろとアレな絵や動画がネットに投稿されてしまい、最終的には自らを被害者呼ばわりして醜態をさらすことになった。
『トロツキーと言ったら、ピッケルか?』
『いやいや、眼鏡でしょう。萌えに眼鏡はかかせません』
『最近は禁煙パイポを吸っているそうじゃないか。これも取り入れるべきだな』
ピッケルを持った眼鏡の少女『トロツキーちゃん』のデザインが完成したのは1か月後のことであった。トロツキーちゃんは、新聞だけでなく同人誌のネタとして広く受け入れられることになる。
「……結局、ドーセット公に頼るしかないのでは?」
「それしかないかぁ」
「部長。頑張ってください」
「簡単に言ってくれるな。最近の大使館はいろいろと物騒で近づきたく無いんだよ……」
結局、最後に頼れるのは神様仏様テッド様なのであった。
テッドと長らくの付きあいである内閣調査部長――眼鏡くんは菓子折り片手に大使館に日参することになるのである。
『政友会総裁選が無期延期になった原因はこれか』
『前代未聞 総裁候補全員が辞退』
『例の発言が原因か 無責任極まる』
1942年2月中旬。
衝撃的な見出しが、その日の朝刊の一面トップを飾ることになった。
「どうしてこうなった……」
朝刊片手に、テッドは頭を抱えていた。
このような事態になるとは思ってもいなかったのである。
「旦那さま。来客でございます」
「こんな朝早くから? いったい誰かな?」
来客の報告にテッドは顔をしかめる。
こんな朝っぱらから来訪してくる人間の身元も用件も真っ当なものとは思えなかったのであるが……。
「木戸内大臣です」
「オッケイ。すぐ行くから応接室にお通しして」
「かしこまりました」
それも来訪者の名前を聞くまでであった。
急いで身なりを整えると応接室に駆け出したのであった。
「このような時間に申し訳ない。しかし、火急の件でありますからな」
「いえいえ。ご用件は察しは付きますのでお気になさらず」
5分後。
テッドは大使館の応接室で木戸幸一内大臣と対面していた。
史実の木戸は賛否両論な評価をされる人物である。
昭和天皇の側近として戦争の回避と終戦に尽力した面と、内大臣として戦争へ傾斜する流れを助長した面の両面がそのような評価になってしまったのかもしれない。
(さて、いったい何を言い出すやら……)
テッドは木戸に対して警戒を怠っていなかった。
実績はともかくとして、彼の人物評が極めて悪いことを知っていたからである。
「……じつは、次期首相に検討をつけております。ドーセット公にお墨付きを与えて欲しいのです」
テッドの予想通り(?)木戸はとんでも無いことを言い出した。
心の準備が出来ていたので、眉を顰める程度で済んだのは僥倖であった。
「新聞の報道では、立候補者は全員降りたと聞いていますが?」
「その通りです。わたしが推薦する人間は政友会の人間ではありません」
事も無げに言ってのける木戸。
それは曲りなりにも続いてきた政党政治の否定であった。
「申し訳ないが、それは了承出来ませんね」
「なっ!?」
テッドの返事に木戸は硬直してしまう。
まさか断られるとは思ってもいなかったのだろう。
「貴公は勘違いをされている。僕は本国の政策の代理人に過ぎない。極端な話、これまでの親英政策を続けてくれるなら誰が首相になっても良いのですよ」
「ならば、わたしが推薦する人間にお墨付きを与えても良いではないですか!?」
ダブスタとしか思えないテッドの言葉に木戸は激昂する。
「それは僕の職責を超えています。応援演説くらいならともかく、公的なお墨付きを与えることは内政干渉のそしりを受けかねない」
対するテッドは問答無用に切って捨てた。
そもそも、応援演説だってグレーゾーンどころかファウル一歩手前。公的なお墨付きなど論外である。
史実の駐日大使、特に民主党の大使のネットでの炎上ぶりは生前のテッドの脳裏に焼き付いていた。日本の政治に極力関わりたくないと考えるのは当然のことであろう。
「とはいえ、せっかく来ていただいたのに無下に帰っていただくのも無粋というもの。とりあえずその人物をお聞かせ願いますか? 人物次第では、それなりの対応をさせていただきましょう」
しかし、テッドはこのまま手土産無しで木戸を返すつもりもなかった。
史実の木戸は昭和天皇の人物評に相当な影響を及ぼしており、今回の件であること無いことを今上天皇に吹き込みかねない。
「……なるほど。貴公の真の思惑を知る由はありませんし、知るつもりもありませんが、このご時勢にはベストの人選かもしれません」
「では……!?」
はっきりと分かるくらいに木戸は目を輝かる。
幸か不幸か、彼の挙げた候補者はテッドのお眼鏡に適う人物だったのである。
「この後、陛下に上奏するのでしょう? その時に僕の名前も添えると良いでしょう。僕如きにどれほどの価値があるか知りませんけどね」
「いやいや、ドーセット公の御力をお借り出来て百人力ですぞ。では、これより参内してきますので。これにて!」
自分の思惑が上手くいって嬉しかったのだろう。
来た時とは対照的に、目に見えてウキウキしていた。
「……」
鼻歌でも聞こえてきそうな木戸の背中を黙って見送る。
ドアが閉まると、テッドは盛大なため息をついたのであった。
『虎穴にいらずんば虎子を得ずだね』
上奏文にテッドの名前が併記されたのを見た今上天皇は、特に反対することなく了承したという。
『突然組閣の大命を拝し、全く予期出来ないことで茫然とした』
なお、組閣の大命を受けた件の人物は終始狼狽していたという。
あまりにも突然のことで、足が震えて分からなくなったとも伝えられている。
1943年3月某日。
新内閣が発足した。
それは政党政治の終わりを意味するものであった。
同時に、この世界の日本が戦争の準備を始めたことを意味していたのである。
『東條大将に組閣の大命降下』
『東條内閣成立へ 国土防衛に全力』
『現役軍人の総理は25年ぶり』
1943年3月某日。
史実よりも1年半ほど遅く東條内閣が成立した。
『日本は戦争を覚悟したらしい』
『同盟国としては頼もしい限りだな』
『日真安保で動きやすくなるな』
東條内閣の成立は友好国から歓迎されていた。
いざ有事となれば、頼りになるのは軍人なのである。
「まさか、東條閣下が総理になるとはなぁ」
「史実通りっちゃあ、史実通りなんだがな」
「まぁ、この世界なら悲惨なことにはならんだろ」
陸軍省内の端の端、明らかに隔離されている区画。
通称『タヌキの巣』と呼ばれる一室で、モブ軍人たちは東條内閣成立の記事詳細を読んでいた。
平成会であるにも関わらず、軍人の道に進んだ変わり種。
軍内部で彼らは平成会派と呼ばれていた。
「ん? 何か騒がしくないか?」
「ここは陸軍省の島流し場所なんだぞ? こんなところに来る暇人なんているわけないだろ」
「そりゃ、そうなんだが……」
計算屋を含めて便利屋として陸軍内部では重宝はされているものの、この場所に来る物好きはいない。たまに来るのは仲間扱いしてくる経理局の連中だけだったのであるが……。
「いや、やっぱり気のせいじゃない。足音が聞こえてくるぞ!? それも一人や二人じゃないっ!?」
「まさかガサ入れか!? ヤバイ、お宝を隠さないと!?」
「いや、うちは真っ当にやってるだろ。ガサ入れを喰らい覚えは無いぞ!?」
「じゃあ、なんだってんだよ!?」
近づいてくる足音は空耳では無かった。
見られて困る同人誌やら模型やら、その他いろいろと危ない趣味なモノをモブたちが必死に隠したのは言うまでも無い。
「邪魔するぞ」
「東條閣下!? 何故ここに?」
思わぬ珍客に驚く平成会派のモブたち。
タヌキの巣に顔を出したのは、禿――もとい、頭頂部の髪が薄い壮年の男性――東條英機陸軍大将だったのである。
「……うむ、美味い。久しぶりだが元気そうで何よりだ」
「「「は、はぁ……」」」
上座に座った東條は美味しそうにお茶を飲む。
対するモブたちは、ガチガチに緊張していた。
「そ、それで……閣下はどのようなご用件で?」
総理大臣がこんな場末に足を運んでくるのは厄介ごと以外に考えられない。
それでも、奇跡的に簡単な案件であることを願いつつモブは言葉を紡ぐ。
「その件なのだが。じつは貴様らを首相秘書官に任じようと思ってな」
お昼のランチを頼むが如き気軽さで宣う東條。
しかし、その内容はあまりにも重大であった。
「「「ふぁっ!?」」」
モブたちが驚愕したのも当然であろう。
首相秘書官と言えば、総理の側近中の側近である。
「「「……」」」
その場に居たモブたちは、ちらりとアイコンタクトする。
誰を生贄――もとい、秘書官に推挙するかの駆け引きは既に始まっていた。
首相秘書官――正確には内閣総理大臣秘書官であるが、戦前より存在するポストであった。ただし、その職務内容や人数は戦前と戦後ではだいぶ異なっていたが。
「というわけで、貴様ら全員今日から儂の秘書官だ!」
「「「な、なんだってー!?」」」
内閣官房組織令第11条により、戦後の秘書官の定数は5人と定められている。
しかし、戦前の秘書官は明確な定員が法律で定められていなかった。
法律で定められていないので、実質的に人数制限は存在しない。
そのため、陸軍の平成会派全員を秘書官に召し上げても違法ではない。東條がその気になれば、であるが。
そして、モブたちにとって不幸なことに東條はやる気満々であった。
彼は平成会派モブの有能ぶりを忘れていなかったのである。
「貴様らには、儂の秘書としてバリバリ働いてもらうぞ!」
「ま、待ってください!? そういうことなら内閣調査部のほうが……」
モブの発言はその場しのぎではない。
内閣調査部は内閣直属の諮問機関であり、こういった面倒ごとのために存在するのであるから。
実際、後藤新平は内閣調査部を手足のように使いこなした。
おかげで内閣調査部のモブからは『丸眼鏡の悪魔』呼ばわりされることになった。
「その内閣調査部との仲立ちを頼みたいのだ。儂は陸相も兼任するから内閣調査部と常に連携が取れるとは限らん。いざとなれば代理としての会合出席も頼むぞ!」
「「「あ、アイエエエエエエエ!?」」」
ぐうの音も出ない東條の正論にモブたちは撃沈するハメになった。
タヌキの巣を追い出された彼らは、首相官邸にお引越しすることになったのである。
『お、おまえらもここに来たのか!?』
『陸と海の平成会派が勢ぞろいだなこれは……』
平成会派のモブたちは首相官邸2階の大客間に集められた。
ここに計算機やら通信設備などを設置して、秘書官としての仕事に励むことになる。
『閣下、勘弁してください。とてもじゃないですけど、この納期は無理ですってば!?』
『何を言っておるのだ? 儂に出来ることが貴様らに出来ない道理はあるまい』
東條が2代目『丸眼鏡の悪魔』を襲名するまで、さほど時間はかからなかった。
モブたちからは、後藤よりも質が悪いとすら言われる有様であった。
後藤よりも質が悪いと言わしめる所以は、東条自身がコンピュータを積極的に活用して仕事を効率化してくることが原因である。内閣調査部でのみ活用されていたメインフレームを大いに評価し、自分用にわざわざ発注したほどであった。
かつては教室並みのサイズだったメインフレームも、この時代には室内に置けるサイズにまで小型化されていた。自分の執務室に据え付けた東条は、チート級の処理能力をもってバリバリ仕事をこなしていた。
『定時? なにそれ美味しいの?』
『もう終電過ぎちゃったよな』
『今日もお泊りかちくしょう……』
東條は、陸海軍の平成会派と内閣調査部を鬼のように扱き使った。
定時で帰ることなど夢のまた夢。よくて終電。高確率でお泊り。いつの間にかに内閣書記官はブラック社畜と化していた。
『2個師団でいいから海外展開するのに必要な物資を計算しておいてくれ。三日後な!』
『『『あ、アイエエエエエエエエエエ!?』』』
モブたちの汗と血反吐によって、日本の戦争準備は急速に整えられていった。
30年近く続いた日本の平和は、あっけなく終わろうとしていたのである。
ついに東條さんが総理大臣に。
現役軍人が総理になったら、友好国はともかく敵対国は警戒するでしょうねぇ。
>米連情勢は複雑怪奇
元ネタは史実の平沼内閣から。
本当は冒頭にあるように長ったらしいのですが、省略されて今に至っています。今回のタイトル候補だったのですが、過去にも似たような題名を付けていたので没になりましたw
>号外の鈴
戦前の号外で販売員が鳴らしていたそうです。
今は見たことがないですね。
>前年の11月に開催された臨時国際観艦式。
本編第108話『グレート・レッド・フリート』参照。
>西園寺公望
最後の元老として史実では有名な人。
この世界でも史実と同じくらいに亡くなっています。
>衆議院300名余、貴族院200人弱という結党以来最大の大勢力である。
今の感覚だとめちゃくちゃ多いですが、戦前の議会は衆議院466名、貴族院373人なので割合的にはそれほどでも無かったり。それでも充分すぎるほどですが。これに平民党も加わって連立政権を樹立しています。
>「英国大使はぁ、気楽な稼業と来たもんだぁ~」
元ネタはハナ肇とクレイジーキャッツのドント節の改変です。
昔は割と有名だったけど、今は知らない人のほうが多いかも?
>コンビニ
永田町4大不夜城の一つ。
残りは内閣調査部ビル、喫茶キャッツアイ、満喫。霞湯も24時間営業だけど、あれは霞が関だから除外。
>ワ○カップ
言わずと知れた大関。
この世界では飲兵衛なモブが製造元に企画を売り込んでヒット商品になっていたりします。
>それはマルヴィナの仮説の正しさが証明されたことを意味していた。
昏睡逆レ……もとい、意識が無い状態でおせっせすると子供が生まれやすいという説。
>(とりあえず漫喫で夕方まで時間を潰そうかなぁ)
この世界の満喫も仮眠が出来るので、時間を潰したいときはテッドくんも多用してます。
>「分からん。だが、一時期はよく出没したのは事実なんだ」
自援SS『変態日本官僚事情―内閣調査部編―』参照。
>この世界の台湾は世界有数の規模と品質を誇るまでになった。
戦前の台湾もコーヒー栽培をしていましたが、戦後になってすたれてしまいました。最近になって、コーヒー好きが復活させて日本にも輸入されています。なお、おいらの実家の屋久島でもコーヒー栽培されています(どうでもいい
>「でも、国民が政治に関心を持たない国は良い国とも言えるのです」
元ネタは麻生閣下のお言葉。
日本版パンとサーカスとでも言うべき言葉かも。
>(既視感があると思ったら、この世界の日本は史実21世紀の日本に似ているんだな)
日米安保の代わりに日英同盟、自公連立の代わりに政友会と平民党の連立などなど。この世界でもトップクラスに住みやすい国だと思います。
>イオラニ宮殿
旧ハワイ王国の宮殿にして、アメリカ合衆国内に現存する唯一の宮殿だった建物。
一時期は州庁舎として利用されるも、現在は歴史的建造物として保全されています。
>それはア○アンメイ○ンの刑を喰らった人間のなれの果てであった。
元ネタはリアルバウトハイスクールの南雲慶一郎が学生自体にやったリンチの名称。鉄製ロッカーに被害者を閉じ込めて金属バットで乱打するというえげつないものだったり。マルヴィナさんは素手でやってるからだいぶ有情ですよね。え?違う?
>その様子は、将来を嘱望された若きエリートとは到底思えないものであった。
マルヴィナさんを誘拐監禁(?)しちゃったからね。反撃を喰らうのはしょうがないね(´・ω・`)
>独立派の決起は、その日のうちに鎮圧された。
描写してたらダルくなりそうだったので、ばっさりカット。
結果、即落ち2コマに…(ノ∀`)アチャー
>特に紀伊級はハワイ攻略のための秘匿戦力ですし
スペックについては、自援SS『変態日本海軍事情―新型戦艦建造編―』を参照。
>『トロツキーちゃん』
この世界版の日本鬼子。
ボサボサ髪に眼鏡、口に禁煙パイポを咥えつつ、両手にピッケルを持っているメスガキちゃんです。有志によってアダルトバージョンや男の娘、その他豊富なバリエーションがあります。新聞や同人誌のネタとしても頻繁に採用されています。
>実績はともかくとして、彼の人物評が極めて悪いことを知っていたからである。
率直に言って屑呼ばわりされてます。
特に軍人たちからの評判は非常に悪いです。
>『現役軍人の総理は25年ぶり』
この世界の寺内内閣から数えた年数になります。
>通称『タヌキの巣』と呼ばれる一室
コメントにも書きましたが、出身も階級もバラバラな集まりを誰かが『同じ穴の狢』と称したのが始まりです。貉=タヌキでタヌキの巣というわけです。正確に言うと貉はアナグマを意味するのですが、タヌキも意味しているのでノープロブレム。
>内閣官房組織令第11条により、戦後の秘書官の定数は5人と定められている。
実際は8人で運用しています。あくまでも暫定的な対応なそうですが。
>しかし、戦前の秘書官は明確な定員が法律で定められていなかった。
実際は2、3人がせいぜいだったそうです。
この世界の東條さんは平成会にほれ込んでいるからしょうがないね(´・ω・`)




