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ねぇ、…聞こえてる?

お題で過去編です。

番外の中の別枠で投稿させていただきます。

*シリアスです。

『あの日』以来、凪はこの場にいながら遠くを見るようになった。

 何かを悟ったように、魂だけをどこかに飛ばしてしまったかのように。

 元々喜怒哀楽が激しい方ではなかったが、決して無表情でもなかった彼女から表情が薄れていった原因を桜子は知っている。

 否、桜子だけでなく、彼女を知る大多数が知っているだろう。

 世界から見たら些細な出来事かもしれないけれど、ここで生きている自分たちにとっては十分に大きなことだった。


 気を付けていた、つもりだったのだ。

『彼女』をなくしてからの凪の変化も、彼女の父の変化も知っていたから。

 けれどもつもり・・・だけでは足りなかった。

 自分の覚悟は足りなくて、子供でしかない自分にできることなど少なくて、掌の上にあると思っていた日常はさらさらと零れる掬い取った水のように落ちていき、残ったのはほんの僅かなもの。

 僅かに残ったものを掌にとどめようと必死に足掻いているのに、それすら指の隙間を縫って落ちている気がして恐ろしい。

 恐ろしい…そう、桜子は生まれて初めて本能からくる本物の恐怖を味わった。

 ホラーゲームをした時のような、あるいはジェットコースターに乗り込んだ時のような、どこかわくわくする恐ろしさではなく、純然なる恐怖。

 凪を失う・・かもしれない。

 桜子自身はただ一人を失う恐怖におびえているのに、最愛と称していいそれを経験したばかりの、一番親しい相手をなくしたばかりの凪にそんな空虚で生きろと願う。

 どうしようもないエゴだ。自分は失うことに怯えているのに、その癖最愛の相手には独りでも生きろと強いている。


 ふるり、と体が震える。

 季節は初夏。梅雨も明けたので気温も決して寒くない。

 それなのにふと見た己の肌は、泡立つように鳥肌が立っていた。



「凪」



 こんなに近くにいるのに、縁側から空を見上げたままの少女には届かない。

 夜の星空を見上げた少女はいったい何を想うのか。

 何を見て、何を感じ、何を生きがいとしていくのか。

 身体は癒えたと医者は言った。生涯残るような傷もなく、日常生活を王来る上でもう大丈夫だと誇らしげに笑った。

 では心の傷はいつ癒える。通院しろと言われても拒否をした彼女の心は、いつ。



「なあ、凪。こっちを見て」



 手を伸ばし、背後からきゅっと抱きしめる。

 生まれた時から住んでいる家の毎日だって見る景色なのに、いつもより闇が深い気がした。

 今宵は十六夜の月。静かな光を放つ月は決して暗さを感じさせるわけでもなく、虫の鳴き声も聞こえてむしろ煩いくらいなのに───どうしようもなく寂しくて仕方ない。



「……一人になんてしない。私が、私たちが、傍にいる。だから」



 頼むから、置いて行かないで。

 虫の声に紛れるほどのささやかな音量の言葉は、自分たちのどちらが発したものかすら判断がつかなかった。

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