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前世聖女のかけだし悪女  作者: たちばな立花


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64.聖女の雫の効果

 言葉にならない叫び声は、繰り返しロフの耳に入ってきた。

 耳の奥を鳴らすような金切り声。状況は見なくてもたやすくに想像できる。

 人間とは、時にひどく残酷になるようだ。とりわけグランツ家の当主とその息子はリリアナに甘い。

 彼女の平和を脅かすような相手に、手加減などしないだろう。


 ロフが到着したときには、数名の男たちが見るも無残な姿で地下牢の床に転がっていた。

 どんなひどい拷問を行ったら、短時間で相手をここまでやつれさせられるのか。

 ロフの足音にルーカスとエリオットが手を止めた。


「何をしている。おまえの仕事はリリアナの側にいることだろう?」


 ロフを咎める低い声が響いた。表情に変化はない。しかし、その声には苛立ちが見え隠れしている。「リリアナに何かあったらどうする」そう言いたいのだろう。

 普通の使用人であったならば、ルーカスがひとにらみしただけで腰を抜かしていたに違いない。


「リリアナお嬢様からの言伝をお伝えしにまいりました」


 ロフは満面の笑みを浮かべ、頭を下げた。

 ルーカスとエリオット、二人の視線がロフに注がれる。

 期待を含むような眼差し。応援の言葉でも運んできたと思ったのだろうか。


「『穢れ』に侵されていない人間に『聖女の雫』を飲ませるのは危険、とのことです」


 すぐに返事が返ってこないところ見ると、想像していた伝言とは違ったのだろう。

 表情の変わらないルーカスの心はまったく読めないが、エリオットの顔には明らかに「がっかり」と書かれていた。

 二人の仲はいつの間にこんなにも縮まったのだろうか。

 ルーカスよりも先に、エリオットが口を開いた。


「で? どう危険なんだ?」

「聖なる光にじわじわと命を蝕まれ、やがては……」

「死ぬ?」

「はい、その通りです」


 エリオットは「ふーん」とつまらなさそうに言うと、埃が積もった机に置いてある『聖女の雫』の瓶を手に取った。

 ゆらゆらと揺らす。

 ロフは彼の手から『聖女の雫』を奪ってしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。

 先日『聖女の雫』を身体に流し込んだときの感覚が忘れられないのだ。身体の中に巣食う黒いものが洗い流される感覚。ロフにとってそれは劇薬だ。

 ロフが手を出す前にルーカスがエリオットの手から奪った。


「事実か確かめる必要があるな」


 ルーカスの視線が『聖女の雫』から牢の床に転がる男に移る。

 意識が残っていた一人の男は全身をガタガタと震わせ始めた。


「確か、『万病に効く』と謳って売っていたようだな。これを飲めば、腐った性根が治るかもしれん」


 ルーカスの声はひどく落ち着いていた。

『聖女の雫』の効果を打ち消す薬がない以上、男に『聖女の雫』を飲ませるということは、命を奪うことに等しい。

 それを平然とやってのけるのだから、彼の人生は苦難の連続だったということだろうか。


「そんな素晴らしい妙薬をただで与えるなんて、父上はなんと慈悲深い人だろうか。……よかったな」


 エリオットはしゃがみ込み、床に転がる男に声をかけた。男は「あ」とも「お」とも区別がつかない音を口から発するばかりで、言葉にならない声をを上げる。


「聖女だった妹は、何もかもを犠牲にして『聖女の雫』を作り続けていた。すべては民を『穢れ』から救うためだ」


 いつも以上に抑揚のないルーカスの声に、男の震えも止まる。

 水底のような静けさ。どこからともなく聞こえるポタポタと水音だけが、地下牢に響いていた。


「ここにある『聖女の雫』だけで何人の命を救えたと思う? この瓶の数は、貴様らが殺した人間の数だ」


 机の上に置かれた瓶は一つや二つではなかった。

 どうやってその数をそろえたのかまではわかっていない。それが判明するのも時間の問題だろう。


「貴様らが売っていた薬で仲間がどう変化するかゆっくり観察するといい」

「た、助けてください……。俺たちはそんなやばい薬だなんて知らなかったんだ……」


 消え入るような声で男は言った。

 男の言葉にエリオットが鼻で笑う。


「どんなものかも知らず売るとはな」

「ここでゆっくり確かめればいい。飲むとどんな効果が出るのか」


 ルーカスは男の真横に転がる失神したうちの一人の口を無理やりこじ開けると、『聖女の雫』を流し込んだ。


「まずは一人。……当分、聞き取りはなしだ」


 ルーカスは空の瓶をロフの手に預けると、背を向けた。


「父上、尋問はしなくてもいいのですか?」

「ああ、そのうち自ら話したくて懇願するはずだ」


 ロフは目を細めた。

 彼の顔は笑ってはいない。いつもの人形のような変わらない表情のままだった。しかし、ロフにはほんの少しだけ笑ったように見えたのだ。

 エリオットは頬をわずかに引きつらせた。


「……父上は魔王よりおそろしいかもな」


 捕まった男たちは牢の中で死よりも苦しい恐怖を味わうことになるだろう。『聖女の雫』に侵され苦しむ仲間を見ながら、「次は自分かもしれない」という恐怖に震え続けるのだ。

 ロフであればそんな面倒なことはしない。目障りでちっぽけな生き物の苦悩など考えず、一瞬のうちに魂まで焼き尽くしているだろう。


(それはもう少し先ということで……)


「そうですね」


 ロフはエリオットに満面の笑みを返した。


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