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前世聖女のかけだし悪女  作者: たちばな立花


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63/66

63.聖女の役割

 リリアナを見上げる顔には見覚えがある。――以前、リリアナに救いを求めてきた女だ。


「お嬢様、追い出しましょうか?」

「ううん、まだ大丈夫。おばさん、なんの用?」


 二度もリリアナの元に足を運ぶということは、それなりの理由があるのだろう。聞いたところで救えるとは思えないが、もしかしたら本物の『聖女の雫』について何か知っているのかもしれない。


「幼いころから病を抱えていた娘が、『聖女の雫』を飲んで以来、目を覚まさないのです……」


 女は大きな声で泣くと、廊下の絨毯を濡らした。『聖女の雫』を万病に効くなどと触れ回った覚えはない。あれは、『穢れ』を取り除くために作った物だ。

 どうして人は聖女の力を万能だと勘違いしたのだろうか。


「誰かから『聖女の雫』の買ったらなら、残念だけど全部偽物だよ」

「買ったのではありません……! あれは絶対本物です。私の夫の物でした……」

「どういうこと?」

「十年ほど前……夫は『穢れ』に蝕まれておりました」


 女はぽつり、ぽつりと言葉を続けた。


「何日も待って、どうにかいただいた『聖女の雫』を持って帰ったときには、夫は帰らぬ人となっていたのです。そのころ、私のお腹には夫との子がおりました。私は、『聖女の雫』を形見のように取っておいたのです」

「それを娘に飲ませたってこと?」

「はい。娘は病を患い、医者にも匙を投げられました。もう、『聖女の雫』に頼るしかなかったのです。それなのに……」


 女は感極まって再び涙した。

 リリアナはその姿を静かに見下ろす。穢れによって家族を失ったことも、病気で家族を失いそうになっていることも不幸なことだ。

 一緒に涙を流すのが正解だろう。

 しかし、リリアナの胸には靄ものようなものが渦巻いていた。


「いつ、聖女は『聖女の雫』は万病に効くと言ったの?」


 リリアナの口からは五歳とは思えないほど低い声が出た。


(私はそんなこと一度だって言ってない! 『聖女の雫』は穢れに苦しむ人のために作ったものだもん!)


 あのころ、『聖女の雫』は常に足りていなかった。

 その一個で救える命があったはずだ。


「ロフ」


 リリアナが名を呼ぶと、ロフは恭しく頭を下げ「承知しました」と答えた。

 ロフはひょいと女を持ち上げる。

 女がどんなに暴れようとも、ロフはびくともしなかった。


「ロフ、ついでにお父様に『聖女の雫』が危険なことを教えてあげて」

「かしこまりました。お嬢様はお部屋でごゆっくりお過ごしください」


 今は少しでも長く一人になりたかった。きっと、ロフはそんなリリアナの感情を理解したのだろう。

 彼は軽々と女を担ぎ、リリアナに背を向けた。


「聖女様っ! どうか娘をっ! どうして助けてくださらないのです」


 女の声を背に受けながら、リリアナは自室の扉を開く。

 もう女の声はしない。けれど、彼女の声が耳の奥から離れないのだ。

 まるで責められているようだった。


(みんな、自分勝手だ……)


 リリアナはくまのぬいぐるみを抱きしめると、顔を埋めた。

 聖女の役目は終わったはずだ。今や世界を脅かす『穢れ』はもうない。

 なのに、なぜいまだに聖女の役割を押しつけられるのだろうか。

 ただ、聖女の力があるというだけだというのに。


 聖女の両親――リリアナにとっての祖父母はよく「領民は弱い存在だから、貴族である私たちが守らなければならない」と言っていた。

 前世は貴族として、聖女としてその教えをしっかりと守ってきたのだ。

 自分自身を犠牲にして苦しむ領民のため、国民のために走り回った。

 それを後悔したことがないかと言うと嘘になる。

 聖女が人のために駆けずり回っているあいだに、両親は『穢れ』によって命を落とした。側にいれば防げた犠牲だ。


 リリアナはぬいぐるみを抱きしめながら、ベッドに倒れこんだ。


 平和になった今も、なぜ人はリリアナに犠牲を求めるのだろうか。


(私はもう間違えたりしないわ)


 家族を失うくらいなら、悪女と罵られたほうがいい。

 皆が願う平穏を求めることは悪なのか?

 リリアナにはわからなかった。



 ◇



 ロフは騒ぐ女を屋敷の外に追い出すと、ゆっくりと地下に向かった。

 人間はか弱く愚かな生き物だ。

 そんなちっぽけな生物が光りたるリリアナの心を揺るがすのは、許せなかった。

 感情のままに処分することも考えたが、彼女はおそらくそれを望まない。

 ロフにとってリリアナは絶対だった。

 たった一筋の、光なのだ。


 グランツ家の地下の一部は罪人を収容する牢がある。

 貴族のどの屋敷にも大なり小なりあるような一般的なものだ。

 古くから貴族に仕える使用人は、貴族の所有物であるという認識だった。

 そのため、使用人の処罰は主人たる貴族に一任されているのだ。


 グランツ家は使用人に寛大で、この地下牢を使うことはごく稀だったようだ。

 ロフは大した手入れのされていない地下の廊下を歩く。

 湿った空気が肌にまとわりつく感覚は、昔を思い出す。聖女と出会う前の忌まわしい記憶だ。

 地下牢にロフの靴音が響いた。

 奥から野太い男の叫び声が聞こえる。

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