62.ぜーんぶ、偽物!
グランツ家に集まったのは、『聖女の雫』を売りたい商人だけではなかった。商人から『聖女の雫』を買おうとしていた市民や、スクープを求めて集まった記者たち。野次馬も多くいた。
『グランツ家が聖女の雫を集めるのは、聖女の力を独占的に使うためなのではないか?』
そんな憶測が流れたのは言うまでもない。
聖女の力など、平和な世ではなんの意味もなさないというのに。
(思ったよりもおおごとになっちゃった)
リリアナはルーカスの膝の上に座りながら、集まった人を眺める。
一段高い場所に設置されたリリアナの舞台。中央に置かれた豪奢な椅子にはルーカスが座り、その膝の上がリリアナの特等席だった。
兄のエリオットは椅子の横に立っているというのにいいのだろうか。
しかし、ルーカスもエリオットも、使用人たちも誰も気にしていない様子だ。
「では、一人ずつ『聖女の雫』を確認していく」
ルーカスは抑揚のない声で言った。機械的で感情すら読み取れない。しかし、鋭い眼光にみながゴクリと喉を鳴らす。
ロフの案内でリリアナの前に立ったのは、ひょろりと背の高い商人だ。
木箱に詰め込まれた十個の瓶。リリアナはその一個を手に取った。
「こちらは十年前に配られた『聖女の雫』でございます。証拠に、グランツ家の紋章が底に」
商人の説明を受けてリリアナは瓶の底を見る。確かにグランツ家の紋章が描かれていた。
(瓶からして偽物じゃない。そもそも十年前は専用の瓶なんて用意する余裕なかったもん)
立派な瓶を用意する暇などグランツ家にはなかった。領地の民のみならず国中の民の命がグランツ家に、いや、聖女にのしかかったのだ。
リリアナは瓶の蓋を開け、匂いを嗅いだ。
わずかに薬草の香りがする。リリアナは薬草に詳しくはない。だから、何かはわからなかった。
(病人が元気になったのは薬草のおかげかな?)
リリアナは瓶の蓋をしめると、ロフに手渡した。
「次!」
ロフの音頭で次々とリリアナの前に『聖女の雫』と呼ばれた物が運ばれる。
どれもこれも偽りの物ばかり。
それらしい理由をつけて並べられる『聖女の雫』はどれも本物のような形をした偽物だ。どうしてこんな物に騙されるのかわからない。
前世で聖女は貧富の差関係なく平等に救った。十年後の現在、『聖女の雫』がきれいな状態で出回るほうがおかしいと気づけないものなのだろうか。
(全部偽物ならそれはそれでいいけどね)
聖女の名を勝手に使っての商売は許せるものではないが、本物の処理に悩まなくて済むのであれば幾分か状況はいいだろう。
しかし、そんなリリアナの願いは簡単に崩れた。
最後の一人、人の好さそうな顔の商人が古びた箱を手にリリアナの前に来た瞬間、嫌な予感がしたのだ。
「聖女の力を受け継ぐリリアナ様であれば、私の説明など必要ありますまい」
それだけ言って、商人は箱の中から瓶を一つ取り出すとロフへと預けた。
ロフの手によってリリアナの元へ瓶が渡される。懐かしい癒しの力を手のひらで感じた。
自分の力であって、他人のもののような不思議な感覚だ。
温かくて優しい。
(でも、なんでこの男が本物を持っているの?)
リリアナは表情を変えないように注意して男を見上げる。リリアナが本物だと気づいたことを絶対に悟られてはならない。
「他のやつに比べて瓶もボロボロなんだね」
「新しい聖女様は知らないかもしれませんが、十年前はあのように凝った瓶など用意する暇はなかったのでしょう」
「ふうん」
リリアナは手に持っていた瓶を床に投げ捨てた。
床に落ちた瓶は砕け、四方に散る。『聖女の雫』が跳ねてリリアナの頬を濡らした。
「なんということを……! ああ! 大切な『聖女の雫』がっ!」
商人が慌てて床に這いつくばり、『聖女の雫』をすくいあげようとするが、時すでに遅し。『聖女の雫』は床に広がっていた。
「つまんない! ぜーんぶ、偽物じゃない」
リリアナはよくとおるように大きな声で言った。
その言葉に野次馬たちが反応する。
「どういうこと?」
「偽物を掴まされたってこと!?」
「新たな聖女が偽物だって言うんだから偽物なんじゃないの?」
「そもそも十年前の『聖女の雫』が残ってるってことがおかしいのよ」
風船のように彼らの不安が大きく膨らんでいく。
ルーカスがリリアナを抱いたまま立ち上がった。
「聖女の名を騙り、金儲けをした者たちを全員捕らえよ」
彼の感情のこもっていない声がこだました。
逃げ惑う商人をグランツ家の騎士が取り押さえていく。あっという間に数十人いた商人たちが捕らえられた。
野次馬は呆然とその様子を眺めているばかりだ。
「ルーカス・グランツがここに宣言する。グランツ聖公爵家は聖女の名を騙り『聖女の雫』を取引する者を許しはしない」
(明日の新聞の一面はこれで決まりね)
これで、『聖女の雫』は偽物であるという噂と同時に、取引をしたらグランツ家を敵に回すということが世間に広まることだろう。
噂が王都のみにとどまることはない。少しずつ、地方に広がっていけば、判断を誤って『聖女の雫』を口にする者は減るはずだ。
ルーカスはすべての商人が取り押さえられたのを見届けると、集まった者たちに背を向けた。
「どうして聖女様は我々を助けてはくださらないのですかっ!」
誰かが叫ぶ。
ルーカスがぴたりと足を止めた。
「そ! そうだ! 前の聖女様は俺たちを助けてくれた!」
「私たちだって、聖女様が助けてくれたら偽物なんて買うことはなかった!」
「うちの子の病気はどうなるのっ!?」
叫び声が増えていく。
多くの訴えを受けてもなお、ルーカスの表情は微動だにしない。しかし、仮面のように動かない表情の奥では悲しんでいるのかもしれないのだ。
(非難されるのは私だけでいい)
リリアナが振り返ろうとした途端、ルーカスが口を開いた。
「なぜ、娘が助けねばならない?」
ルーカスの静かな声に、誰もが口を閉ざした。予想していなかった言葉にリリアナは驚いて彼を見上げることしかできない。
彼はリリアナをしっかりと抱きしめる。そして、首を傾け集まる市民に視線を向けた。
「世界の危機は去った。聖女など、もうこの世には必要ない」
「だけど! 困っている人を救うのが聖女様だろ!?」
「誰がそう決めた? 神か? 王か?」
「そ、それは……!」
「聖女の役割ならば、前聖女が十分に果たした。それがグランツ家の答えだ」
ルーカスは小さく息を吐きだすと、リリアナを抱いたまま屋敷の中へと入っていく。
市民はまだ叫びながら何かを訴えていたが、彼の興味はもう屋敷の外にはなかった。
リリアナはルーカスを見上げる。
「どうした?」
「あのね、あの場では全部偽物って言ったけど、一つだけ本物があったの」
「……そうか。どれだか覚えているか?」
「最後のやつ。あれからは癒しの力を感じたの」
どうして残っていたのかはわからない。しかし、前世で作った物に違いなかった。
一つしか確認していないが、箱の中の物すべてが本物だろう。なぜ、今も残っているのかはわからない。
けれど、残っている『聖女の雫』の分、人が救えたはずだったのだ。
助けたい人はたくさんいた。『穢れ』の犠牲者には、ルーカスと聖女の両親も含まれている。
彼らは、自分の分の『聖女の雫』を人に分け与え、『穢れ』に蝕まれて死んでいった。
もし、あの『聖女の雫』が正しく使われていれば、両親は死ななかったかもしれない。
「リリアナ。あとは私たちに任せなさい」
ルーカスはリリアナを廊下に下すと、頭を撫でる。
「でも……」
「尋問は大人の仕事だ。子どものおまえはまだ知らなくていいことがたくさんある」
「うん」
「いい子だ。疲れただろう? 今日はもう部屋で休みなさい」
尋問程度なら平気だ。前世でもっとひどい状況と立ち向かってきたのだから。
しかし、今のリリアナは五歳の幼い子どもでしかない。ルーカスを信じ、任せるのがいいのだろう。
リリアナは促されるままロフと一緒に自室へと向かった。
おそらくルーカスとエリオットは地下牢へと赴くのだろう。
「お嬢様、お疲れ様でした。せっかくですから何かスイーツを用意しましょうか」
「うん。あまーいスイーツでも食べようかな!」
ちょうど、昼と夜の真ん中くらいだ。小腹がすいたような気がする。
「では、お部屋でお待ちくださ――」
「聖女様っ!」
ロフが言い終える前に、女が別の部屋から飛び出してきた。
転がるように床に這いつくばると、リリアナの足首を掴む。
「どうか! 娘をお助けくださいっ!」




