60.友達さがし
ルーカスの低い声に、リリアナはびくりと肩を跳ねさせた。
(盗み聞きしてたのバレたかも……!?)
お願いごとをする前にいたずらがバレるのは分が悪い。
リリアナが身構えていると、頭に大きな手が乗った。おそるおそる秘書官の裾から顔を出す。
目の前に広がる光景にリリアナは目を見開いた。
すぐそばにルーカスの顔があったのだ。彼とリリアナでは身長の差が随分とある。見下ろされることはあっても、視線が同じになることはない。
ルーカスが床に膝をつき、リリアナに視線を合わせていたのだ。
彼の大きな手が、リリアナの頭の上をぎこちなく動く。
「どうした?」
(よかった。怒ってはいないみたい。盗み聞きはバレていないのかも)
リリアナはホッと安堵のため息を吐き出した。
「お父様とお兄様が仲間外れにするから」
「それでここに?」
リリアナは大きく頷き、満面の笑みを浮かべた。
「私もお手伝いしようと思って」
リリアナはルーカスの返事も聞かず、彼の横をすり抜けて執務室の扉を潜った。「だめだ」と言われる前に居座ってしまえばいいのだ。
すかさずソファーの上に座る。
エリオットはリリアナを一瞥して、「ほらね」と言った。
何がほらね、なのかは聞かなくてもわかる。「ほら、僕が言ったとおり何かしようとしているだろ?」と言いたいのだろう。
落ち着いだ様子で部屋に戻ってきたルーカスは、リリアナの頭を再び撫でた。
「リリアナは心配しなくていい」
「そうやってお父様は仲間外れにするんだ」
リリアナは頬を膨らませ、不服をあらわにした。まだ子どもだからとのけ者にされては困る。
真実から目を背ければ、何かあったときにルーカスやエリオットを守ることができない。
「仲間外れにしたいわけではない」
ルーカスは落ち着いた声で、リリアナを諭すように言った。
彼はリリアナがこの場にいることを望んでいないようだ。「仲間外れにしたいわけではない」の後に続く言葉は「だが」だろう。
どう伝えたら、ルーカスはリリアナのお願いを聞いてくれるだろうか?
ルーカスとリリアナが睨み合う中、咳払いをしたのはエリオットだった。
「父上、差し出がましいようですが」
どこか面倒臭そうな面持ちなのはいつものことだ。
エリオットにとって、『聖女の雫』の問題など面倒どころか迷惑だと思っているに違いない。
実の母を死に追いやった聖女の置き土産など歓迎するはずもないのだ。それでも、リリアナやルーカスに付き合うのは、なぜなのだろうか?
エリオットはリリアナの頬を指でつつく。子ども特有のふくふくとした頬にエリオットの指が沈んでは浮いてを繰り返した。
「近くに置いておいたほうが安全な場合もあります」
「……そうだな」
エリオットの一言に納得したルーカスは、小さく息を吐いた。もしかしたら、納得したわけではなく諦めたのかもしれない。
リリアナからしてみれば、どちらでもよかった。おまけでも側にいることが大切なのだ。
「リリアナ。今、私たちは『聖女の雫』をどうすべきか相談していた」
ルーカスは静かにリリアナの隣りに座った。ソファーが彼の重みで沈む。
左にルーカス、右にエリオット。親子三人で仲良くソファーに並ぶ日が来るとは思ってもみなかった。
リリアナが望んでいたよりは少しばかり殺伐とした雰囲気ではあるが。
「『聖女の雫』のせいで王都が混乱しているようだ」
「うん。町中みんなその話ばっかりだったよ。ね、お兄様」
リリアナが声をかけると、エリオットは神妙な顔つきで頷いた。
世界を『穢れ』から救った聖女の置き土産が出回れば、民が沸き立つのもおかしくはない話だ。
しかも新しく現れた聖女は魔女と呼ばれた女の娘で、民の声をまったく聴かないのだから仕方ない。
聖女が嫌いなエリオットには面白くない話だろうが。
「おそらく『聖女の雫』は偽物だ。あれは余るほどの余裕はなかった」
ルーカスの言葉にエリオットが頷く。リリアナも同じように神妙な顔つきで頷いた。
「お前がなんで頷くんだよ。昔のことなんて知らないだろ?」
「あはは。つい、つられて」
エリオットのつっこみに心臓が跳ねた。
(危ない危ない。子どものふりも大変ね)
何も知らない子どものふりというのは難しい。五歳の子どもからしたら聖女は一昔前の伝説の人物だ。
『穢れ』が蔓延していた時代など、はるか昔の歴史という感覚でもおかしくはない。
しかし、リリアナにとってはまだまだ最近の記憶である。
「少し騒がしくはあるが、偽物なら関わらないという手もある」
「偽物を掴まされた奴らが馬鹿だし。僕たちの手を煩わせる必要はないけど、おまえはそれじゃいやなんだろ?」
エリオットの言葉にリリアナは何度も頷いた。
「いや! 放っておくのはダメだと思う! 偽物だとしたら、聖女の……叔母さんの名前を勝手に使ってるってことでしょ?」
「……聖女の名前なんてどうでもいいけどな」
「それにそれに、本物の『聖女の雫』がないって証拠はないんでしょ?」
本物の『聖女の雫』はないはずだ。
しかし、心のどこかで「もしかしたら」と引っかかっている。
それを確かめないと、あとで後悔するような気がしてならなかった。
「リリアナ。なぜ、そんなに『聖女の雫』にこだわる?」
「それは……」
(自分が作った物が残っているか気になる。なんて言うわけにもいかないし……。なんて言おう……)
もっともらしい理由。リリアナは眉根を寄せた。
(そうだっ!)
「本物の『聖女の雫』はもうないはずなんでしょう?」
「ああ」
「だったら、もし本物があったらもう一人聖女がいるかもしれないんだよね?」
「……リリアナが作っていなければ、そういうことになるな」
ルーカスは真面目な顔で頷いた。
もう一人の聖女がいる可能性はほとんどないに等しい。もう一人いたら、ロフが何も言わないわけがないからだ。
リリアナは歯を見せて笑った。
「私、お友達がほしいの」
「……は?」
素っ頓狂な声を上げたのはエリオットだった。
「同じ力を持っている人なら、きっと友達になれるでしょ?」
リリアナは無邪気な笑みでエリオットを見上げた。
無理だなんて言わせるつもりはない。
エリオットはリリアナの気迫を感じ取ったのか、頬を引きつらせながらも「そうだな」と小さく返した。
「友達か」
ルーカスが呟くように言う。
リリアナは振り返ってルーカスに抱きつく。子どもらしく。そう何度も心の中で唱えながら、ルーカスの腕を揺さぶった。
「いいでしょ? 私も友達が欲しいの!」
「そうだな。聖女が一人とは限らない。……友達さがしをしよう」




