59.扉の奥
「どのような妙案を?」
ロフは楽し気に首を傾げる。その表情からは期待が滲んでいた。
「もちろん、全部買い取るのよ。誰よりも高くね」
リリアナはニッと歯を見せて笑った。
グランツ家には金がある。
ルーカスは聖女が亡くなってから随分と事業を幅広く展開し、金儲けをしているようだ。
その割にお金はあまり使っていないようだし、少しくらい使っても問題ないだろう。
問題があるようであれば、前世の隠し財産を引き出し補填すればいい。
「問題はどうやって大金を動かすか、よね」
今出回っている『聖女の雫』をすべて買い取るとなると、それなりの金額になるだろう。
そもそも五歳の子どもが買い取ると言って信じてもらえるだろうか?
「お金がご入用でしたら、私の力を使いますか?」
「魔王の力を?」
「あと数日も待っていただければ、この力も回復するかと」
「いい。なんか危なそうだし」
いまだ魔王の力は計り知れない。自身の聖女の力だってよくわかっていないことが多いのだ。
そんな力に頼るのは、あまり得策とは思えなかった。
ロフは残念そうに肩を落とす。わかりやすい態度に、リリアナは苦笑を漏らした。
(お父様のほうがよっぽど魔王らしいわ)
ロフとルーカスを並べ、どちらが魔王かと問われれば十人中九人がルーカスを選ぶだろう。
こんなに愛想がよくてコロコロ表情の変わる男が、魔王などと誰が信じようか。
「私ってお小遣いあるのかな?」
まだ五歳とはいえ、リリアナは貴族令嬢。毎月決まった予算が充てられているはずだ。
その予算から服などを買い与えられるのが常である。
リリアナはあれこれ欲しがる子どもではないから、予算はたんまり残っているだろう。
「お嬢様の予算の管理はまだ家長でいらっしゃる旦那様が行っておりますから」
「そっかあ~。そうだよね」
ルーカスが予算を握っている以上、リリアナにできることはただ一つだ。
「だったら、お父様に直接交渉するしかないね!」
今日の様子から想像するに、何も聞かずに「だめ」と突っぱねることはしないだろう。
子どもらしくおねだりすれば、国の一つや二つ買ってくれそうな気だってする。
ルーカスは表情からは察することはできないが、昔よりも過保護になったのだと思う。リリアナを外に出したがらなかったのも、そのせいだと想像するのはたやすい。
ならば、根気強くおねだりをすれば不可能ではないように思えた。
(気は進まないけど、だめならお兄様に頼んでみるのもありだよね)
一度迷惑をかけた手前、もう一度迷惑をかけるのはいかがなものか。
今回、屋敷から連れ出してくれたのは、ただの気まぐれであると考えたほうがいい。
打ち解けたと勘違いでもして、エリオットの部屋の扉を開けたら最後。顔を歪め、リリアナをあからさまに嫌悪するに決まっているのだ。
(やっぱりお父様にお願いしよう)
リリアナは力強く頷くと、ルーカスの執務室へと向かった。
リリアナは執務室の重い扉に耳をピタリとくっつける。
扉の前ではルーカスの秘書官が木のように立ち尽くしていた。
「お嬢様、この扉は特別制ですので、何も聞こえませんよ」
「そんなの、やってみないとわからないでしょ」
聖女ともなれば、特別な扉だろうと一ひねりである。
リリアナは扉の奥に意識を集中させた。
『僕たちがこそこそ隠れて生きていく必要がありますか?』
『おまえの話は一理ある。しかし、一番は家族の安全だ』
『安全を手に入れるためにも、聖女の雫はどうにかしなくちゃいけないと思いますが?』
『あれはすべて偽物のはずだ。効果などないとじきに気づく』
(二人とも『聖女の雫』をどうするか話してるのかしら?)
音は聞けても透視することはできない。リリアナにわかるのは、エリオットが『聖女の雫』をどうにかしようとしているということだった。
リリアナのためというよりは、不便な生活を終わらせるためと言ったところだろうか。
(お兄様とは利害が一致しているみたいだから、協力は仰げるかもしれないわね。肝心のお父様は難しそう……)
話を聞く限り、ルーカスは『聖女の雫』の問題に介入することに乗り気ではないようだ。
まだ『穢れ』が蔓延していたころの記憶が鮮明だからこそ、ルーカスは「すべて偽物」だと言えるのだろう。
いや、残っているはずがない。ルーカスにとって、それは残っていてはいけないものなのだ。
『父上、リリアナが聖女の雫のことを気にしています』
『……リリアナが?』
『はい。リリアナの安全を守るためにも、父上が指揮をとってさっさと解決したほうがいいのでは? じゃないと、あいつ、絶対また一人で動きますよ?』
(言いたい放題! 本当のことだけど!)
リリアナは扉に爪を立てた。
爪を立てられた扉が小さく鳴く。
『……そこにいるのは誰だ?』
冷静なルーカスの声が扉に向かって投げられた。
沈黙のあと、静かな足音だけが耳に届く。リリアナは慌てて押し当てていた耳を離し、すぐ側に立つルーカスの秘書官の脚の後ろに隠れた。
ギィと重い音を立て、扉がゆっくりと開く。リリアナは秘書官の来ている燕尾服の裾をひっつかみ、顔を覆った。
「リリアナ……」




