メリアドール先生がやって来た
城下町へ戻る頃には、すでに夕方となってしまっていた。
疲労が蓄積された状態での帰路は想像以上にしんどく、行きの倍の時間を費やしてしまう。
しかも、体は傷だらけでボロボロの状態だった。
いくら冒険者で溢れた街とはいえ、この状態で歩くのはかなり目立つ。
(このまま帰ったら、確実にノエルに心配されちゃうだろうな)
現に今日、自分は死にかけたんだ。
これまではほとんどHPについて心配してこなかったけど、ポーションの回復量だけだと、いざっていう時に不安だった。
そろそろ回復魔法を覚えた方がいいのかもしれない。
「そうだよね。油断は禁物だ」
水晶ディスプレイを立ち上げると、スクロールして回復魔法一覧を表示する。
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◆ヒール/消費LP20
内容:味方1人のHPを100回復させる
詠唱時間1秒
消費MP5
◆ヒールプラス/消費LP50
内容:味方1人のHPを300回復させる
詠唱時間2秒
消費MP10
◆フルキュア/消費LP100
内容:味方1人のHPを全回復させる
詠唱時間3秒
消費MP15
◆パーフェクトヒール/消費LP100
内容:味方全員のHPを100回復させる
詠唱時間3秒
消費MP20
◆キュアエンド/消費LP150
内容:味方全員のHPを全回復させる
詠唱時間6秒
消費MP30
◆ニル/消費LP200
内容:味方1人をHP100の状態で蘇生させる
詠唱時間2秒
消費MP20
◆ニルオール/消費LP250
内容:味方1人をHP全回復の状態で蘇生させる
詠唱時間4秒
消費MP30
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現在のLPは151。
一応は《キュアエンド》まで習得できるけど、これはパーティーを組んだ際に、主に回復術師が使う魔法だ。
これから誰かとパーティーを組むつもりなら覚えてもいいんだけど、僕にそのつもりはない。
あれだけ散々、悪魔の子って周りからバカにされて、今さら誰かと組むなんてことは考えられなかった。
そもそも<アブソープション>と<バフトリガー>があれば、他の仲間を頼る必要もない。
「……てなると、現実的なラインで《ヒール》と《ヒールプラス》かな」
《フルキュア》も覚えられるけど、今僕の最大HPは150だし。
《ヒールプラス》だけでも十分に事足りる。状況によって《ヒール》と《ヒールプラス》を使い分けるのが一番現実的かな。
ということで、ひとまずこの2つの回復魔法を習得することに。
『《ヒール》を習得しました』
『《ヒールプラス》を習得しました』
水晶ディスプレイでアナウンス画面を確認すると、さっそく水晶ジェムを握り締めて《ヒールプラス》を使用する。
「〝聖なる無垢な癒しよ その永遠の輝きにより エデンの加護とともに彼の者の傷を治せ――《ヒールプラス》〟」
シュピーン!
その瞬間、眩い光が全身を包み込み、一瞬のうちにして傷跡が癒されていく。
「ふぅ……。これでひとまずは大丈夫」
自分の体を今一度点検しつつ、僕はアパートへの道を急いだ。
◇
「ただいま~! ノエル帰ったよー!」
普段よりも気持ち元気に声を張り上げて、玄関のドアを開ける。
「お兄ちゃんっ! おかえりぃ~♪ 今ね、メリアちゃんが来てるんだよぉ!」
「えっ……メリアドール先生?」
出迎えてくれたノエルの後ろに、見覚えのある紫色のポニーテールが見えた。
「ナード君かい?」
いつものように丸ぶちメガネのフレームを持ち上げながら顔を近付けてくる。
これは先生の癖のようなものだ。ちょっと近くてドキドキする……。
「探索お疲れさま。少し上がらせてもらってるぞ」
「あ、はい。えっと……でも、今日はどうしてうちに?」
「この前言っただろう? そのうちお邪魔させてもらうって。それでね」
「あぁ、なるほど」
「ほら見てお兄ちゃん! メリアちゃんがアレ作ってくれたんだよ♪」
ノエルが指さす方を見れば、テーブルに2つのお皿が用意されているのが分かった。
お皿の上には、見たことのない白い物体がのっている。
「あれ、なんです?」
「ブランマンジェさ。宮廷でも出されるデザートなんだ。私は何度か食べたことがあるから、ナード君が食べてみるといい。作りたてが一番おいしいからね」
「だって! お兄ちゃんよかったじゃん!」
たしかに、ダンジョン帰りの疲れた体には最高のご褒美だけど。
「でもいいんですか? せっかく作ったデザートを僕が食べちゃって」
「なに言ってるんだい。教え子がダンジョンの探索を終えて無事に帰ってきたんだ。これを御馳走せずにどうする。さあ、ぜひ食べてみてくれ」
「そうだよ、お兄ちゃん! 遠慮してもメリアちゃんに失礼だよぉ~」
その〝メリアちゃん〟っていうのも、十分失礼な気がするんだけど……。
でも、昔からノエルはメリアドール先生にだけはとても懐いているから。
友達でありながら、親子みたいな関係でもあって、それが僕としてはちょっと微笑ましかったりする。
2人がこう言ってくれているんだし、これ以上僕が何か言うのもヘンだよね。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
そのままテーブルに着くと、ブランマンジェを一口すくって食べてみる。
「もぐもぐ…………んんっ!?」
「どうだい?」
「な、なんですかこれは!? 初めて食べる味です! 口触りがものすごく心地よくて、ひんやりとした感触が癖になって、砂糖の甘みとアーモンドの香りが口の中で絶妙に絡み合って……。幸福感が倍増されるっていうか、その……」
「つまり、おいしいってことだね?」
「はいっ! 頬がとろけるくらいにおいしいです!」
「お兄ちゃんも気に入っちゃったね。実はノエル、これで2杯目なんだよ~♪」
「マジで! なんて羨ましい!」
「こんなに喜んでもらえて、こっちとしても作り甲斐があったってもんさ」
「やっぱメリアちゃんの作る手料理は最高だよぉ! んんぅっ~! しあわしぇ~♡」
昔からメリアドール先生は料理を作るのが上手かった。
1人で孤児院にこもっているノエルのことをいつも気にかけてくれて、こうして何度か訪ねに来ては、手料理を御馳走してくれた。
(先生こんな美人なのに、いまだに独身なんて変わってるよなぁ……)
実際、学校でもメリアドール先生の人気は高かった。
あのダコタでさえ、先生の前じゃ借りてきた猫のようになっていたし。
(噂だと、先生は教師になる前、凄腕の騎士だったって話だけど)
本当のところはよく分かっていない。
直接聞いたわけじゃないし、プライベートなことになるから。
優しく穏やかな一面がありつつも、先生にはどこかミステリアスな雰囲気があった。
◇
それからしばらく3人でわいわいと話して盛り上がる。
今日のノエルは体調がいいみたいで笑顔も多かった。多分、メリアドール先生が来てくれて、リラックスできたんだと思う。
やがて……。
楽しい時間もあっという間に終わりを迎えてしまう。
「――っと、もうこんな時間か。それじゃ、そろそろ私は帰らせてもらうよ」
「あっ、はい」
「悪かったね。ダンジョン帰りの疲れたところにお邪魔してしまって」
「そんな、とんでもないですよ。こちらこそ、おいしいデザートありがとうございました」
「メリアちゃん! また遊びに来てね!」
「うむ。またノエル君のために、おいしいデザートを作ってあげよう」
「やったぁ♪ 約束だからねー!」
飛び跳ねて喜ぶノエルの水色の髪を優しく撫でると、先生は僕に声をかける。
「ナード君。ちょっと外までいいかい?」
「はい?」
言われた通り、2人揃ってアパートの外へと出る。
すでに辺りは暗くなっていて、結界越しに覗ける夜空には、いくつもの星がキラキラと光って輝いていた。
先生は一度、アパートから漏れる明りに目を向けると、突然こんなことを訊ねてくる。
「キミ、随分前にセシリア君のパーティーを抜けたんだろう?」
「!」
そうだ、すっかり忘れてしまっていた。
メリアドール先生には、パーティーを追放された件をまだ話していなかったんだった。
「す、すみません……。先生にお伝えするのを忘れてしまって……。実は僕、今1人でダンジョンに入ってるんです」
「そうみたいだね。それに、謝ることなんてないさ。冒険者がパーティーを組んだり、抜けたりするのは自由だからね。授業でもそう教えただろう?」
「は、はい……」
「卒業生の話はちょこちょこ耳に入ってきてね。特にセシリア君は成人の儀式で飛び抜けて高いステータスを授与されたから。両親は2人とも有名な冒険者だし、注目の的なんだよ」
注目の的……。
たしかにその通りかもしれない。
僕が【鉄血の戦姫】に入っていた時から、セシリアは周囲から一目置かれていた。
A級ダンジョン踏破も時間の問題だって騒がれていて、セシリアはそれをとても誇らしげに思っている感じだったし。
「……でも、最近はいい噂を聞かなくてね」
「え?」
「冒険者ギルドで、幅を利かせて高価な武器が自分たちに回るように細工したり、他のパーティーと言い争いをして喧嘩沙汰になったり、酒場を貸し切って日夜迷惑に騒いだり……。それと、A級ダンジョンのクエストにも失敗したようでね。最近の評判はあまり良くないんだ。パーティー内でも仲間割れを起こしたっていう話もある」
「仲間割れ……ですか?」
「うむ。今はセシリア君とダコタ君の2人だけのパーティーとなっているようだね」
ということは、デュカとケルヴィンは【鉄血の戦姫】を抜けたんだ。
ちょっと信じられないけど、先生が言うんだから間違いない。
「キミがセシリア君と組んでいた頃は、こんな話は聞かなかったからさ。ナード君がまたセシリア君と組んでくれたらいいなって個人的には思うんだが……。もう彼女と一緒にパーティーを組むことはないのかい?」
「……申し訳ないですけど、僕はもうセシリアとはパーティーを組みません」
僕は先生の目をまっすぐに見てそう答えた。
これは紛れもない僕の本心だ。
ズタズタに裏切られた心の傷が癒えることは一生ないんだから。
そんな僕に対して、メリアドール先生は静かにこう口にする。
「ならこの話は終わりだね」
正直、説得されるものだと思っていたから、先生のその反応は意外だった。
「えっ? あの、いいんですか?」
「いいも何も、ナード君はもう立派な大人だ。学校も卒業したわけだし、私はどうこう言える立場にいないよ。悪かったね、変なことを訊いたりして」
「い、いえ……」
「でも、そうか。うむ……。今のキミならソロでも上手くやっていけそうだ」
メリアドール先生はどこか嬉しそうにそう呟くと、ポンポンと僕の肩を叩いてその場から立ち去る。
「ノエル君によろしく。またお邪魔させてもらうよ」
先生の背中が闇夜に消えて見えなくなるまで、僕はどこか不思議な気持ちで見送った。




