誰が為の王
「やっぱり、信じられませんよ!」
心なしか、声に怒気を込めてイズンが言う。
俺たちパーティーは、シグルズに用意してもらった王宮内の客間に来ていた。さすがは王宮の部屋で、質素ながらも昨日泊まった宿屋より広いし清潔だ。
人数分の部屋を用意しようとしてくれたシグルズに「一部屋でいい」と告げると、「そうか」と言いながらシグルズは楽しそうに微笑んでいた。残念ながら、実情は楽しいハーレムなイベントとは程遠いのだが……。
「全ての国を統治されているヴィズル国王が、他国の王を殺すなんて有り得ません!」
イズンは怒りが収まらないのか、ひっきりなしにシグルズの言葉を否定する。
俺が召喚された街――アースガルドは神によって祝福された場所だ。
統治するヴィズル国王は、神々の父であるオーディンの魂が宿っていると考えられている。
この世界にはいくつかの国があるが、アースガルドという要所を治めるヴィズル国王こそが王の中の王だ。
(本人曰く堕落したらしい)神に仕える神官である僧侶のイズンは、当然、ヴィズル国王およびオーディンを崇拝している。
信じられない、というのにも無理はない。
神族は人間族の味方だと考えられているからだ。
俺は北欧神話を読んだ事があるから、必ずしもそうとは思っていない。
オーディンは、人間の英雄を自分の配下(戦死者)に加える為に、時には人間を死に追いやる。
シグルズの父と兄もそうだった。類稀なる英雄たちは、オーディンによって祝福されて戦に勝ち続ける。そして、力を十分に高めた末にオーディンの手によって殺される。
神話では、シグルズも父兄同様に殺される運命だ。
予言を回避する為に、勇者に竜殺しを頼む。ここまでは、ゲームの通りだった。
しかし、ヴィズル国王を憎むという設定は、ゲームにはなかった。
そもそも、英雄たちは自ら(死してなお国王に仕える)戦死者になることを望む。
それが名誉あることだからだ。
死してなお英雄として戦う。そして、未来に名を残す。それが戦士たちの誇りだ。
それは神話でも、ゲームでも変わらない。
それなのに、"この世界"のシグルズの考えが変わったのはなぜだ?
シグルズは、父兄を殺されて、ヴィズル国王を恨んでいると言っていた。
そして、復讐をしたい、とも。
何か、このゲーム世界でおかしなことが起こっている。
いや、――それを言ったら既にもう取り繕えないところまで来ているのだ。
なぜ、勇者である俺は魔王に捕えられ、今となってはシギュンと一緒に旅をしているんだ?
元勇者だったロキは、『この世界は、元勇者が魔王になって君臨した世界』と言っていた。
その魔王は既に死んで、今の魔王はシギュンということではあるが。
勇者=異世界の住人、が魔王になることによって、この世界がおかしくなったんだろうか?
ロキはこうも言っていた。『ヴィズル国王は、全世界を支配する為に力を蓄えている』と。
自称でロキ(悪戯好き)を名乗っているくらいだ。彼がふざけている可能性もあった。
でも、ロキの言うことが真実だとするならば、俺たちはいずれヴィズル国王と……。
……いくら考えても分からない。
自分の目で色々見て、考えを深めていくしかないのか。
俺は俺にできることをやろう。俺は慕ってくれる仲間(嫁)たちを守りたいだけだ。
「ねぇ、聞いてます? アリカさん」
イズンが俺の顔を覗き込んで、目の前で手をひらひらさせていた。
「あ、ごめん。考え事してた」
「私が真面目に話をしてるのに、聞いてくれてないんですね」
怒ったようで、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
「ごめんって、イズン」
「ちゃんと聞いてくださいよ。
ヒルドさんは記憶を失ってるし、スカジさんは聞いてても分からないんですから」
ヒルドは俺たちを遠巻きに眺めながら、柔和に笑っているだけだ。
もし記憶があったら、魔族に敵意をむき出しにするので、怪我の巧妙かもしれない。
魔王のシギュンがパーティーに加わっているなど、絶対に認めてくれないだろう。
当のシギュンはと言うと、例によって話に入って来れなくてつまらないので、俺の背中を昇ったり降りたりして遊んでいる。
もう慣れてしまったので、何をされていても気にならなくなってきた。それはそれで俺の反応がなくてつまらないようで、シギュンはたまに「ありかー」とか騒ぎながら、俺をぺちぺちと叩いたりする。
「失礼しちゃうっ! まーその通りなんだけど」
スカジは伸びをして、俺の膝の上にごろんと横になった。
イズンは、嫌悪感をあらわにして、スカジの頭を俺からどけようとする。スカジはそれに抵抗しようと、頭を振ったり、俺に抱きついたりする。振動が俺の身体を揺らす。
イズンはもはや話よりも、スカジを俺から引きはがすことに集中しているようだ。
あんまりアレ付近で妙な動きをしないで欲しい。
「シグルズにはシグルズの考えがあるんだろうし。頭から否定しても仕方ないよ。
おいおい話を聞いてみよう。まずは明日の竜退治のことを考えないとね」
スカジの頭が膝から離れたタイミングで、俺は身を引いて、立ち上がる。
背中に乗ったままのシギュンが「わーおんぶだー」と喜んだ。
「ちょっと見ててあげて」とヒルドに預けると「つまんないのー」と喚いた。
ヒルドはシギュンを胸に抱きながら、頭を撫で始める。
ベッドでの攻防戦は、緊迫状態に陥っていた。もはや俺の姿は目に入っていないらしい。
「トイレ行ってくるね」とヒルドに告げて、俺は部屋を後にした。
「ふぅ……」
お手洗いの水の冷たさが、俺の気分を爽快にしてくれる。邪な気持ちまで洗い流してくれそう。
思考がすごくクリアだ。
男はみんな賢者になる才能を秘めているな! なんて馬鹿なことを考えながら、部屋までの道を歩く。
辺りは暗く、足音が静かな廊下に響きわたる。
「アリカ殿か?」
静寂が呟きによって破られた。声のした方に向き直ると、視線の先、テラスにシグルズが立っていた。
俺はシグルズに近づいて、「素敵な部屋をありがとうございます」と挨拶をする。
「昨日今日はばたばたとしていてすまない。
竜のファヴニールの被害は大きいのだが、手をこまねいていてな。
ぶしつけな依頼をしてしまって重ね重ね申し訳ない」
「いえいえ、元々竜のファヴニールを倒す予定だったので、ちょうど良いですよ」
「竜退治を!? それは凄いな。それもヴィズル国王の命令なのか?」
どこまでどう話していいのか分からない。シギュンが魔王であることは、誰かに話す訳にはいかないし。
「ヴィズル国王は関係ないですよ。なんというか……俺たちパーティの個人的な問題です」
そうか……、と呟いて押し黙った。気まずい沈黙が流れる。
しかし、シグルズは何か言いたがっているような雰囲気だったので、俺は言葉を待つ。
テラスから見える街並み。街灯の類はなく、辺りは真っ暗で何も見えない。
「その、……君は異世界から召喚された勇者なのだよな?」
「ええ、そうですよ」
「となると、ヴィズル国王の配下として任務を請け負っているということではないのか?」
「……いえ、そうではないです。俺もヴィズル国王の良くない噂をいくつか聞いています。
まずは、各地を回って自分の目で色々確かめてみようと思っているんです」
「そうか……アリカ殿は、異世界からの勇者だから、盲目的に国王を信じることもないのだな」
「そういうシグルズ様はどうなのですか?」
シグルズは笑って「様はいい」と言った。「かしこまった言葉も必要ない」
「えっと、じゃぁ、シグルズはどう思っているんですか?」
「我らは主神オーディンの宿るヴィズル国王を崇拝している。私も以前はそうだった。
ヴィズル国王の為に戦って死ぬことこそが、我らの生きる意味なのだと。
だが、アリカ殿のような異世界の者と話す内に、私の考えは変わっていった」
シグルズは言葉を切って、テラスから見える街並みに目を向けた。
真っ暗で俺には何も見えないけれど、この国を統治しているシグルズの目には、何かが映っているのかもしれない。
「我が国、我が父や兄が近隣の国と戦うきっかけになったのは、ヴィズル国王だ。
我が国は必死になって、その期待に報いた。しかし、結局は父も兄もヴィズル国王によって殺された。
国は大きくなった。大きくなり過ぎたのだ。だから、ヴィズル国王が攻めてきたのだろう。
当時の私は喜んだよ。父と兄は、国王に選ばれた勇士なのだと。死してなお、国王に仕える戦士なのだと。
しかし、兄嫁は兄が死んだことで狂ってしまった。そして、その悲しみに耐えきれずに死んだ。
私は兄嫁を見て、名誉なんてモノはただの言葉だと悟ったのだ」
遠い過去を思い出すかのように、シグルズは遠くを見る目になった。言葉自体も誰かに聞かせるというよりは、独白のようだ。紡がれる言葉には抑揚がなく、淡々とした口調で語る。
「そんな折、異世界から来たという勇者に出会った。彼は神の名を騙っていたな。そう、ロキと」
「ロキ!?」
「知っているのか?」
予想外の言葉に反応してしまった。どうしよう、シグルズはロキのことをどこまで知っている?
俺とロキ関係や、シギュンが魔族の王だという秘密がばれてしまってはまずい。
「いえ、話に聞いたことがあるだけで、俺は……。シグルズは、今ロキが何をしているか知っていますか?」
「いや、今は知らぬ。出会ったのも随分前だ。
彼は異世界の勇者の中でも特別変わっていたな。というよりは、突飛な考えを持っていた。
この世界の全てを知りたい、と言っていた。そして、人々を導きたい、とも」
「そう……ですか」
相変わらず、訳の分からないやつだ。やたら大きなことを言う。
「私が兄嫁の死の整理がつかない時、ロキがやってきて色々と話をしてくれた。
私のヴィズル国王に対する疑念に間違いがないこと。悪い予言は変えることができること。
他の勇者にも沢山会った。異世界から来たものは、みな違うことを言うのだな。
私が当たり前に信じていた考えを、いつも否定してくれたよ。私はその度に様々なことを学んだ」
「まぁ、俺たちは勇者は、この世界の風習を知りませんからね」
「それで受ける恩恵もあるだろう。私は君たちのような柔軟な発想が羨ましい。
私も君たちのように様々なことを考えてみたいと思っている。この世界について。
ヘグニには、『シグルズ様は乱心なされている』と言われるがな」
そういって、シグルズは笑った。俺もつられて笑う。
ヘグニは、この世界の常識の権化みたいなものだな、と俺は思っていたからだ。この世界は「こうだ」と決まったことに疑問を頂かずに貫く人間が多い。
でもそれは、俺の仲間たちだってそうだ。事あるごとに、理屈を抜きに反発してくる。
言葉を重ねても、最初の"常識的な考え"からちっとも動いてくれないのだ。ただ、最近では色々と話し合いながら、納得しないまでも否定ばっかりされることもなくなってきた。一緒にいる時間が長いからだろうか。
「こんなに素直に話せたのは久しぶりだ。城の者にこんな話をすると、頭が狂ったと思われるからな。
アリカ殿、ありがとう」
シグルズが差し出してきた手を俺は固く握った。
「明日の竜退治、くれぐれも気を付けて欲しい。
彼、ファヴニールもかつては人間だったと聞いている。それがヴィズル国王から受け取った呪われた黄金のせいで精神が狂い、竜になってしまったのだ。
彼にはもう人間の言葉は届かない。
せめて、苦しまずに逝かせてやってほしい」




