七十五話(過去)「異世界転生してチート使って無双してくるwww」
雪が降り始めた。口から漏れる息が白く、肌が冷気に触れて突き刺されたかのように痛い。きっとこの雪は、一刻も満たない内に辺りの景色を白銀へと染め上げることだろう。
「ハッ、ハッ、ハッ……ッ!」
寒い。とても寒い。この世界に生まれてから十年間、俺の生涯は狭い部屋の中にしかなかった。ルーナが俺に気を使って、過ごしやすい温度を保ってくれていた小さな部屋。だからこそ、俺は三つある命の内一つしか失わなかったのだろう。それを痛感する。未だ虚弱な俺の体を襲う冷気が、それを俺に教え込ませる。
景色が流れていく。他人から見ればのろまだが、俺にとっては全力の疾走。心臓が張り裂けるかのように鼓動し、体を支える足の筋肉が悲鳴を上げる。
「ハッ、ハッ、ハハハハッ!」
体力が限界を迎えようとしている所で、俺はその足を止めて地面に転がる。そして体を包み込んだ疲労感に身を委ね、その心地よさに笑い声を発した。空からは冷たい雪が降り注ぐ。雪の冷気が、剣のように感じた。
手の感触を確かめる。肌に吸い付くような皮の感触。そっと指を這わせると、絹よりも滑らかだ。
それを目の前に持って行く。光が反射し、その刀身に俺の顔が写り込んだ。
「……っ!」
思わず目を反らす。胃からこみ上げてきたものを、無理矢理飲み込む。全身に蔓延した違和感を、考えないようにする。すると頭が楽になり、再び喜びが溢れてきた。
「―――――――ハハハ!」
俺の物。これは、俺の物だ。
「俺の、財宝だ………!」
財宝に触れている場所から、暖かい熱が伝わってくる。剣のような雪が、財宝に落ちるたびに消えていく。まるでそこだけ、別の世界が存在しているかのように。最初から雪などなかったかのように、消えていく。
兄が持ち帰った、所有者のいない財宝。俺はそれを己の欲望のままに、盗んだ。
それは驚くほど、簡単な作業だった。ルーナが俺の側を離れる一瞬の隙に、部屋を出て屋敷の宝物庫へと走る。扉を開けて、それを手に取り、屋敷を出る。それだけの、単純な作業だった。恐ろしいほどに、楽だった。
冷静な思考を持っていれば、それが異常であるということは分かるだろう。ただ当時の俺は、あまりにも冷静とは言い難い。その短剣の形をした財宝に心を捕らわれていた。そのことしか、考えられなかった。時間が経つほどに、欲は高まっていった。
「俺の、物だぁぁ!!」
声が周囲に響いていく。冬の冷気のおかげで魔物の大半が冬眠しているからといって、とても危険な行為だ。逆にこの時期に活動が活発になる魔物だって存在する。当時の俺も、ルーナから教えられて知識としては頭に入っていたはずだ。だが、そんなことを忘れるほどの高揚、興奮。それが俺に我を忘れさせていた。
「……、さ―――――」
うっとりとした表情で、俺は財宝を見つめる。近寄るその声に、気が付かない。
「……様ッ! ハーン様!」
体がビクリと震える。今世において、その声を聞き逃すことはなく、聞き間違えることもない。そう断言できるほどに聞き慣れた彼女の声。
ルーナ。彼女が俺を追ってきた。
「ハーン様! ハーン様ッ!」
彼女はまだ、俺を見つけていないようだ。そっと体を起こし、逃走の準備を行う。そして足を動かそうとした所で、まるで誰かが足を掴んだかのような感覚がした。直接的に何者かが干渉している訳ではない。そこにいろと誰かが命令したかのように、俺はそこにいなければならない気がした。その感覚が、誰かに足を掴まれたかのようだった。
それは寒さで足が悴んでいたからなのかもしれない。それでも結果的に、俺はその場に留まり、ルーナは俺の姿をその瞳に捕らえた。
「そこにいらっしゃいましたか! ハーン様! ああ、ああ、ああ! よかった、お怪我はごさいませんか!?」
その感覚に身を任せていると、ルーナが俺を発見する。彼女は俺が死んでしまっているとでも思っていたのか、涙を流して俺の無事を喜んでいた。体に付着した雪を、寒さで赤くなった手で払ってくれる。瞳がグルグルと動き、俺の様子を観察した。その動きは俺に怪我が存在しないことを確認するまで止まらなかった。
「ルーナ………」
そこで俺は、この状況がそんなに悪くないものに感じた。俺は彼女にも見つからないように一人で財宝を盗み出したが、真摯に伝えていれば最初から彼女は俺の共犯者になってくれたように思う。
彼女は瞳の影響で、俺に従順だ。俺を愛している。だからきっと、彼女は俺のことを分かってくれる。そう、当時の俺は考えた。
「ルーナ、ルーナ。君は、俺の味方だよな?」
そしてそんな、卑怯な言葉を口にした。彼女にはその問いに、一つの答えしか出せない。それを分かっていながら口にした。俺が作り出した彼女の好意を理解し、その感情を利用しようと作意を持った。
「見てくれよ、俺の、財宝だ」
見せびらかすように。自慢するように。彼女の視界に財宝を入れる。意図せずに、彼女に剣先を向ける形になった。まるで脅しているようだった。分かっているな、と。お前は俺の味方なのだから、協力をしろ、と。
「―――――――――そんなことは、どうでもよいのですッ!」
……しかしながら、彼女は財宝を一瞥もすることはなかった。ルーナは寒さで悴んでいた手を両手で包み込むと、少しでも暖かくなるようにと俺の手を揉んだ。一瞬、俺は火傷を負うかと思った。それほどに、彼女の手が熱く感じたのだ。
手から財宝が零れ落ちた。雪の上に、財宝は音もなく降り立つ。手が震えているのを自覚する。突然の熱に体も驚いているのだろう。そこで、先程まで感じていた財宝の熱が嘘偽りだったのだと理解した。
「お出かけになるのなら、何故ルーナに一声掛けて下さらないのですか! こんなに冷たくなってしまって……っ! せめて、せめて、もう少し暖かいお格好をして頂ければ…ッ!」
ルーナは俺の体を抱きしめた。彼女に触れた場所から、火のような激しい熱が襲いかかってくる。彼女の両手が体中を這う。少しでも、少しでも、少しでも早く俺の体が暖まるように。
「……ルーナ、ルーナ」
口から何故か、彼女の名前が溢れてくる。空から降り注ぐ雪のように、それは、止まる様子がない。
「ルーナ、ルーナ、ルーナ、ルーナ……―――」
止まらない。口の動き、声帯の震え。彼女の名前が、俺から溢れてくる。それはまるで雪が全てを覆い隠すように、俺の中に存在する何かを、塞いでしまおうとしているかのようだった。
「はい、はい、はい、はい………ハーン様」
彼女は、ルーナは俺の言葉一つ一つに返事をした。それは決して義務的なものではなく、その言葉一つ一つに、暖かい感情が込められていた。その熱は、ドラゴンの財宝からは感じられない熱だった。
そこから、どれほどの時間が経過したかは覚えていない。どれほど彼女の名前を口にしたのか分からない。ただ理解していることは、今の俺が覚えていることは、頭の中が空っぽになっていったこと。僅かに残っていたものは、ルーナへの謝罪の意志。
「ごめんなさい、ルーナ」
そしてその言葉が、何かを崩したこと。
「―――――はい、ハーン様」
止まらない。止まらない。止まらない。
「ルーナ……」
止まらない。止まらない。止まらない。
止まらない。
止まらない、止まらない、止まらない、止まらない止まらない止まらない!
「―――――――止まらないよ、ルーナ」
………涙が、溢れて止まらない。
「いいのです。ハーン様」
血が、止まらない。
「止まらないんだ! ルーナ、ルーナ、ルーナぁ………ッ!!」
「はい。ハーン様」
何故だろう。何故俺の手は、財宝を手にしているのだろう。
何故財宝で、彼女の心臓を刺しているのだろう。
何故彼女は、笑っているのだろう。




