六十九話
右から来た氷剣を躱す。明確な殺意によって放たれたその一撃は、的確に俺の急所を狙う。しかしながらその一撃を避けたところで、安心など出来るはずもない。王国流双剣術は、二振りの剣による休むことのない連撃が特徴的な流派。攻めて、攻めて、攻め続ける。此方が動きを止めようものなら、その隙に命を取られてしまうだろう。
更に恐ろしいのは、先輩の生涯の魔法。それによって、俺は金剛を使用しても先輩の攻撃を防ぐという選択肢を消されている。
先輩の氷剣の真価は、相手の体温を低下させることにある。氷剣を爆発させ、冷気を直接ぶつけられることも危険だが、剣に直接触れることで体温を削り取られることも十分に注意を払わなければならない。
「まだまだ行くぞ!」
よって俺は、先輩の攻撃を避けることしか出来ない。もしも防ぐという選択肢を取るならば、宝玉によって強化されている俺の剣しかないだろう。ただミヤ流戦闘術は、剣を止めとして利用する程度。剣術勝負という土俵に入ってしまえば、俺の敗亡は必至。俺にとって先輩は、全くもって相性が悪い。
「来ないで下さい!」
右、左、上、下。ありとあらゆる方向から、氷剣が襲い掛かる。俺がその全てを躱すことが出来るのは、一つの決定的な理由が存在するからだ。
――――それはその剣が全て殺す気だということ。
先輩は、当然ながら人間を殺したことがない。ただ殺し方を知っているだけだ。その剣術は洗礼されているが、洗礼されているからこそ太刀筋が明確である。加えて先輩は冷静じゃない。……彼女は気づいていない。その剣が全て俺の急所を狙っていることに。
そして俺は、命の危機に敏感だ。これが稽古だったら俺は既に地に伏せていることは間違いないが、彼女の攻撃には濃厚な殺気が込められている。それを感知するのは容易い。更には狙っている場所が分かっているのだ。避けるのは難しくない。
「ははは!! 楽しいな、ハーン!!!」
「楽しい訳ないだろう!?」
思わず敬語が崩れる。相対する先輩の顔は、今までに見たことがないほどの笑顔である。先程までの泣き顔はどうした。
「不思議だな! 早く君を殺したいと思うのに、この時間が続けばいいとも感じる! ははっは!! ――――――――これが愛か!」
絶対違う!?
「ははは! 楽しい! 楽しいぞ、ハーン!!」
右手から繰り出される鋭い突きを、首を捻ることで躱す。僅かに頬が裂け、冷気が体内に流れ込む。神経を通って感じるはずの痛みが、僅かにしか伝わってこない。状況証拠で傷つけられたことを認識しているが、それがなければ何が起こっているか理解できないだろう。それほどに痛みがない。
ただ暴力的な冷気は認識できている。いや、認識させられたというのが正しいだろうか。無条件で体が反応し、強張る。当然ながらその隙を見逃さない先輩ではない。
俺の死角から跳ね上がるように、左手の氷剣が迫る。直撃すれば左脇から内臓が、こんにちわと挨拶を交わしてくれることだろう。それだけは避けなければならない。
金剛で剣の触れる部分を強化し、義足で跳躍。右足で地を蹴り、瞬時に左で先輩に向けて宙を蹴る。
「……ッ!」
左脇腹から冷気が体内に入り込むのを感じる。一瞬とはいえ、俺の魔法による硬度は相当なものだと自負していたが、先輩の本気には敵わないらしい。心の中に作られていた自信が簡単に崩れていくのを自覚したが、そんなことは気にしていられない。そのまま宙を駆けて距離を取る。
ただ、それは間違いなく愚策だった。
「―――爆ぜろッ!」
先輩は手に持つ氷剣を、なんの躊躇いもなく投げる。それは俺に向かって一直線に向かってきた。当然空中を縦横無尽に駆けることの出来る俺からすれば、容易に避けることの出来る一撃なのは間違いない。
武闘会での先輩の戦いを思い出す。相対していたのはクレオ・ビーン先輩。正直あの人の戦い方を見ておいて良かったと痛感している。グリージャー先輩の一撃を、あの人は大袈裟とも言えるような距離を離しながら避けていた。
俺はあの人を模倣するように、義足の力を使って全力で距離を取る。リンと響く鈴のような音と共に、氷剣が砕かれ周囲に冷気が爆発するように広がる。
「落としてやろう!」
「勘弁して下さい!」
冷気に意識を向けた一瞬の内に先輩は両手に新しい剣を握り、それを此方に放ってくる。さすがの先輩も宙を駆けまわる対象を狙ったことはないのか、その狙いは荒い。自慢じゃないが俺の動きは変態的だ。上に昇ったかと思えば下に落ち、そうかと思えば右に跳ねて上に飛び、左下に転げ落ちる。
物理法則を完全に無視した俺の動きは、技量で完全に劣る俺が先輩を翻弄するのに一役を買っていた。
「まだまだ行くぞ!」
氷剣が次々と俺に向かってくる。クレオ先輩を模倣するように、俺は土塊の剣の力を開放した。しかしながらあの人が大地を大きく操作したのに比べて、俺が出来るのは乱雑に球体の土塊を放つことくらい。
ただ魔力の込められた土塊をぶつけるのは効果があったようで、氷剣は土塊がぶつかった瞬間にその姿を冷気へと変換させた。どうやら放たれた氷剣は強度が低いらしい。質よりも量を優先させている結果だろうか。これは、好機だ……!
「先輩ッ!」
「どうした、ハーン!?」
「俺も先輩の事が好きです!!」
「―――――――――――………はひゃ!?」
「嘘に決まってんだろうが!! 隙ありぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
そして何故か知らないが好機がやってきた。まったく真剣勝負で油断するとは、俺を舐めすぎである。
俺は剣から無数の触手を創り出し、何故か……本当に何故か分からないが硬直した先輩を動けないように拘束する。因みに触手には全力でヌラヌラしている粘液を纏わせてある。これで例え先輩でも容易に動けないはずだ。
「な、なんだコレは!? んっ、凄いヌラヌラしてる……っ! 体が動かせない!?」
「ふはははは! 隙を見せた先輩が悪いんですよぉ…!」
「……か、仮にも愛の告白をした相手にする仕打ちか!?」
「うるせぇ! 知るか!」
目の前の女性が、触手に囚われて粘液塗れになっている。―――――原因は俺だが、全く罪悪感はない。
「こ、こんな無防備に拘束されてしまうとは―――――財宝の力を侮ったか…ッ!」
触手が擦れたせいで先輩の服が少々破けてしまっても、全く罪悪感はない……いや、マジで。―――因みに俺以外が財宝を手に入れていたら、もっとちゃんと拘束出来ていたと思います。
「くっ、抵抗出来ない……ッ! 一思いに、殺せっ…!」
「嫌ですよ!?」
……なんでこの人は、こんな状況なのに嬉しそうなんだろうか。理解できない。
「はぁ、本当に、貴女は……」
「す、すまない…」
脅威を拘束できた安堵からか、それとも別の感情からか。俺が一つため息を吐くと、先輩の口から謝罪の言葉が漏れ出た。
そちらを見つめると、先輩が申し訳なさそうな顔をしている。
「やはり、私は嫌いなのだな……」
瞳が潤んでいる。先程までの表情が嘘のようだ。こんなにもこの人は、情緒が不安定であっただろうか。俺が知っている先輩は、いつも冷静で。それでいて情熱的な一面がある、素敵な女性だったはずだ。
「嫌いじゃないですよ」
緊張が解けてしまったからか、俺の口から自然とそんな言葉が出てしまった。
「やめてくれ、何度も嘘を重ねられると、さすがに傷つく」
「さっき言ったことも、あながち嘘じゃないです」
「……へ? ――――ほ、本当か!?」
伏し目がちに見えた表情が、一気に明るく変わる。現金なものである。本当かって? ……ああ、本当だ。何故なら—―――――――。
「――――――――――――先輩は、顔が整って美人だし。背も高くてスラっとしていて格好いい。胸も結構あるから眼福ですし、尻の形なんて最高だ。足も細くて白くて綺麗だから舐めたくなるし、服の隙間から覗いているヘソなんて、吸い付きたくなるほど愛らしいじゃないですか」
呼吸をすることもなく、俺は一息にそう言い切った。
「……は?」
先輩は、唖然として此方を見つめる。戸惑っているようだが、俺の言ったことは全て真実だ。俺は雄として、先輩に欲情することがある。正直アレが立つ。股間に生えてるアレが立つ。
ムラムラします。だって綺麗なのに薄着なんだもん。
「…あ、ありが、とう?」
戸惑いながら、先輩はそう答えた。
「―――よく、分からないが……。褒めて、くれている、のか?」
戸惑ったまま、先輩は笑顔を作った。俺の言葉に、笑顔を作った。……きっと、先輩なりの気遣いだ。俺の言葉を賛辞だと判断して、喜ぼうと表情筋を使って笑顔という仮面を作り上げた。
――――だから、腹が立つ。その態度、その判断。その笑顔に、怒りを覚える。
「……何言ってんだ」
俺は地に降り立ち、先輩の前に立つ。恐怖はもうなかった。ただ奥底から沸き起こるような怒りが、俺の足を動かす。燃えるような赤い瞳を、俺は真っ直ぐ睨みつけた。
「―――なんで感謝なんかしてんだよ!!!」
「……ハーン?」
先輩の顔は、更なる困惑に包まれた。目の前にいる人からすれば、俺は狂人にでも見えているだろう。支離滅裂な言動に、起伏の激しい感情。頭でも可笑しくなったのだと、考えるのが正しい。
けれども俺は、冷静だ。そして、自分自身を常人であると理解している。
常人であるからこそ、冷静であるからこそ、俺は憤怒に突き動かされている。
「幻滅するだろう」
好きだと嘘を吐かれたら。
「気持ち悪いと、思うだろう!」
全身を拘束され、衣服を破られたら。
「大嫌いに、なんだろうが!!!!!」
性的な目で、全身を舐めまわすように見られたら。
「―――――――――――――普通なら!!!!!!!!!!!!!!」
俺を、嫌いになるだろう。
「なんで俺を嫌いにならない!? 気持ち悪いと感じない!? 反吐を吐き、罵らない!? 踏みにじり、地を這いずらせて、蔑んでくれよ!!」
赤い瞳が此方を見つめている。瞳の中に映る男が、泣き叫ぶように喚いている。なんて惨めな男なのだろうか。
男の足は水晶のようだった。怪しく輝く水晶の足。切り取って金に換えれば、さぞや高く売れることだろう。誰が見ても価値があると分かる、美しい水晶の足だった。
そんな足が支える肉は、酷く歪な肉だった。腐ったような黒い染みが全身にあり、生えている髪は灰を被ったかのように汚い。骨格は強固とはいえず、肉付きは悪い。顔は古布を継ぎ接ぎに縫い合わせたかのようで、驚くほど醜い。
水晶の足が美しいからこそ、男の醜さは際立っていた。
「ハーン、お前は何を言っているんだ!」
先輩はそんな俺を真っ直ぐに見つめる。そこに一切の嫌悪はない。………嫌悪がないから、腹が立つ。
もう止められなかった。自分の中で、何かが壊れてしまった。奥底にしまっていたはずの何かが、俺を突き動かす。
「なんで………、なんで愛で命を奪うんだ」
「……なに?」
愛しているという気持ちは理解できる。伝えたいという気持ちも理解できる。ただ、そこに命を奪うという行動が伴うのが分からない。
「なんで……言葉じゃ、ダメなんですか」
俺はきっと、縋るような眼をしているだろう。俺は先輩に肯定してほしかった。なるほどその通りだと、言葉で十分だと。そう頷いてほしかった。
ただ、分かり切っていた。先輩が首を横に振ることは。
「――――ハーン。やはり、君が何を考えているのか私にはまだ分からない。分からないからこそ、私は君と縁を結びたいと、強く願うのだ」
「理解できないなら、話し合えばいいじゃないですか…ッ! どれだけ時間が掛かってもいい。一対一で、向き合って、言葉を躱せばいいじゃないですか!」
「そんなこと、所詮は上辺だけのものにすぎない。―――――言葉なんていう曖昧なもので、全てを伝えきるなんて……不可能だ」
先輩は俺に向き合う。目と目を合わせ、一心に言葉を掛ける。確かにその目は言葉では語り切れない言葉を、俺に伝えることに成功していた。
―――大人になれ。
その目は俺にそう言っている。先輩は無意識だろう。ただその目は確実に、小さな子供に常識を教え込むときの母親のような、そんな慈愛に満ちた目をしていた。
「だから人は縁を結ぶんだ。愛という、言葉では伝えきれない、美しく尊く甘美な感情を。その全てを、伝えるために」
先輩は、優しい口調で言葉を紡ぐ。その声はまるで俺を包み込むように温かく、全身の細胞が溶け行くような心地よさがあった。
きっとこの声を受け入れれば、俺は楽になれるだろう。先輩は良い人だ。正直俺を好きでいてくれるなんて、奇跡のようなことだろう。先輩と共に歩むことが出来れば、この義足から羽が生えたかのように軽やかで清々しく、美しい日々を過ごせる。
だが、俺にはそれが出来ない。――――いや、俺だけはその選択を選べない。選んでは、いけない。
「――――なら、言葉はなんのためにあるんですか!!!!!!!」
我ながら、情けのない声だ。そう自覚する。
「好きという言葉は、愛という言葉はッ!!! いったい、この世界に、なんのために、存在しているんですか!!!!!!!!」
けれども俺は、叫ばなくてはならない。例え世界に一人だけだとしても、俺だけは、叫ばなくてはならない。
「伝えるためでしょう!? この胸の中で暴れまわる、どうしようもない感情をッ! 切ない気持ちをッ! 狂おしいほどの衝動をッ! 共にいたいと願う思いをッ! 全て、全て伝えるためじゃないんですか!!??」
俺だけは、言葉を捨ててはならないんだ。
「―――――――――――愛しているという言葉に乗せて!!! 自分自身の全てを掛けてッ!」
前世を、過去を、全て捨てることになるから。
「ハーン、君は……」
唖然とした顔が、此方を見つめる。
「……理解、できないですよね。知ってますよ、そんなこと」
「…言っていることは、分かる。だが――――」
「―――もう、いいんですよ先輩。きっと、貴女には分からない」
貴女が、この世界の住民である限り。
「……ッ!」
「先輩。それでも俺と縁を結びたいと思っているなら―――――俺の命を見てください」
「え…?」
―――それは、種の魔法とも言える。
この世界の人間には、複数の命がある。だからこそ、人間は命というものに対して敏感な感性を持つ。自身の命の個数を把握できるのは、その例の一つだ。なら、他人の命を見ることが出来るか。……答えは可能。ただし、ある複数条件を満たしていれば。
その条件とは、『殺意』と『願望』。
特定の他者の命を奪いたいという明確な殺意を持っている状態で、その他者の命を見たいと願う。言葉にすれば簡単に聞こえるが、この世界においてその条件を満たすのは難しい。
殺意とは、言い得れば愛だ。即ち縁を結びたいと願うほどの、強い思いがなければいけない。そして見た目で美しさが判断されない人間の国で、命を晒すというのは前世でいう全裸を晒すに近いほど恥ずかしいことらしい。だからこそ他人の命を勝手に見るのは、はしたないことで、恥ずべき行動だという。
そのおかげか、他者の命を見るという、人間にのみ許されたこの魔法のような奇跡は殆ど使用されることはない。使用する意味も、ましてや俺のように、誰かに使用してもらう必要もないからだ。
「……ほ、本気で言っているのかっ!?」
「ええ、本気ですとも」
ただ先輩が俺のことを本当に愛していて、一歩も退く気がないのならば。
「存分に見て下さい」
先輩は見ることが出来るし、見てもらう価値がある。
「……ようく、理解できると思いますよ」
俺の命を見れば、見ることが出来れば、よく分かるだろう。
「俺の命の個数は、四つ」
貴女は俺を嫌悪するだろう。
「生まれて三つ。死んで二つ」
言葉じゃ分からないのなら、コレで伝えてやる。
「――――――――――奪って、四つだ」
俺は、クズだ。




