01 絶望の光
――死にたい。
これが幼き頃の少女のただ一つの願いだった。
薄暗く湿ったこの牢獄のような地下室に、冷たい鉄の鎖で両手足を拘束され、寒々しい肌着姿で繋がれている。
まだ幼き少女に、ここで行われている拷問は過酷なものであった。
その痛みは熱を帯びて脈を早め、与えられる苦しみは、光を知る少女の心を蝕み、絶望という黒で塗り潰していく。
少女は思う――こんなことをするなら、殺して欲しい。こんなに辛いなら生きたくない。
だが、もう……そんなことを望む気力もない。
だが望む、たった一つの簡単な望み――死にたいと。
「ねえ? 君はここで何してるの?」
突如、少年は現れた。
少女は生気の無い目をして途方に暮れている。彼の言葉が耳に入っていないようだ。
視線も目線も合わせない抜け殻のような少女に、少年は無視するなと、駄々をこねるように耳元ではしゃぐ。
「ねえねえねえ、聞いてるんですけどぉ〜。ねえねえねえってばぁ〜」
さすがに耳元で騒がれれば、気にもなる。生気の無い目線だけを送ると、その少年は嬉しそうに目を輝かせる。
「おっ! 反応してくれた? ねえねえしてくれたね」
少女はこの少年はどこから入ってきたのだろう、この姿を見てもっと思うことがあるんじゃないだろうか、煩いとか、絶望にいたはず少女はゆっくりと起き上がるように意識を覚醒させ、考え事を始める。
その水色髪の少年は無邪気な笑顔でニコニコと繋がれた少女を見ている。
生きる気力を失った少女ですらわかる、この人はおかしいと。
とはいえ反論や抵抗する気力も体力もない。殺してくれるなら儲けものだと考えた。
だから下手に喋らずに大人しくしていると、むしろそのことに興味を持ったのか、ジーっと見ている。
少女の顔を覗き込むようにジーっと、しつこくジーっと見る。
「……何?」
その視線のプレッシャーに、堪らず掠れた声を出す。
「おっ、やっと口聞いてくれた。……ていうか声ガラガラだねぇ」
この状況で察しろと、そっぽを向く。
「で? 何なの?」
いい加減気に触るから、どっか行けと攻撃的な言い方をするが、怯む訳もなく。
「いやぁ〜、どうして繋がれてるのかなぁ〜って」
いちいち頭にくる喋り方と態度。少女の前をうろうろしながら、のらりくらりと話している。
「私が闇属性持ちだからでしょ。……もうあっち行って」
こう言えばわかるだろと吐き捨てる。この国の社会情勢を理解していれば、幼子でもわかるが――、
「ええ〜っ!? 意味わかんない〜?」
無邪気な子供が好奇心旺盛なままに、尋ねて回るような小馬鹿な感じで返答。
少女はここに繋がれて数年経ち、人間らしい会話をロクにしてはいなかったが、今までにないタイプの人間との会話にふつふつと怒りを覚える。
「……」
不機嫌そうな表情に変わると、彼は嬉しそうに嘲笑した。
「へぇ〜、ちゃんとそういう顔できるじゃない」
「――っ」
その人を見下し小馬鹿にする態度に、さっきまで生きることへの絶望で染まっていた少女の瞳にボッと火がついたように生気が宿る。
「さっきから何なの? 見ればわかるでしょ? もう放っておいてっ!!」
自分の意思を伝えたのは久しぶり。自分の感情を剥き出しにすることがこんなにも疲労感が出るんだということを実感する。
「いやぁさ、……君はいつまで道化でいるつもりなのかなぁ〜って」
「ピエロ……?」
「そうさっ!」
軽く一回転すると、側にあった木の椅子にストンと座ると、ギシギシと背もたれを持って揺らす。
「君は闇属性持ち、つまりは才能の塊みたいなもんさ。なのに生まれた国が違うだけでこの扱い。……しかも君はそれに甘んじている……そんなに苦しい思いをしているのにねぇ。――君、マゾの人?」
当時の彼女にマゾの意味はわからなかったが、こんな扱いを受けて喜んでいる訳ではない。
「……甘んじている訳じゃないわよ。捕まったからこうなって――」
「だから諦めて彼らのサンドバッグに?」
「――人の気も知らないで適当言うなぁっ!!」
身勝手なことばかり口にするこの男を憎たらしいと睨みつける。
「でもさ、脱出しようと思えばできたよね? 君の能力上さ……」
「なっ、何故それを……」
「何で見つかった時、逃げる為に使わなかったの? そうすればこんな目には合わなかったはずだ」
「そ、それは――」
「期待してたんでしょお〜! 元の生活のままでいられるって。……わかってたはずなのにねぇ〜。どうなるかなんてさ」
この男の言う通りだ。少女は幼いが故に希望があると縋ったのだ。
その結果がこれでは今更後悔しても遅すぎる。
「はは……正にピエロね」
「でも、君は人だろ? ピエロみたいに本心を隠したりはしない」
場を盛り上げる為に、大袈裟なリアクションやわざとやられ役になることを例えているのだろうか。
少女はその少年の話を倦怠感が残る身体を、繋がれている鎖に身を任せて聞き入る。
「今、君は感情を剥き出しにした、痛みも苦しみも味わっている。それは人として生きていなければ味わえない感性だ。……痛みを感じるのは生きている証拠。苦しみを感じるのは生きたいと望んでいる証拠」
「何なのよ……新手の拷問なのっ!? これ!?」
まるできっちりと仕舞い込んである玩具箱をひっくり返されるように、心の中を荒らされる。
ぐしゃぐしゃと訳のわからない感情が渦巻いてくる。
「はは、ボクは拷問師でも調教師でもないよ」
ガタッと立ち上がると、少し上に視線を向けて、うーんと悩んでいると、軽く指を鳴らす。
「ちょっとキザってみようか……」
すると彼女に跪いた。
「君を救いにきた、悪〜い王子様さ」
それを聞いた少女は、歯軋りを強く立てる。
「……ふざけないで。私はここから出られないのよ」
「そんなことはないさ」
再び指を鳴らすと、ヒュンとかまいたちのような風が鎖を切り裂く。
ガインっと重い鉄の音が響くと同時に、少女はゆらっとよろめきながら、床に手をついた。
「――なっ!? そんなことしたら……あれ?」
何かあれば魔法陣が発動するはずなのにと、辺りをキョロキョロと見るが、何も起きない。
「ボク言ったろ? 悪い王子様だって……」
それを聞いて察した。この魔法陣を張った人を、この人は何かしたんだと。そうじゃなきゃ、ここにいる説明もつかない。
それをさらに察したのか、へらっと答える。
「ああ、大丈夫。殺しちゃいないよ」
すると、すっと手を差し出す。
「さあ、どうする?」
てっきり起き上がる為に差し出されたものと思っていたのだが、問われた。
不思議そうな表情をしていると、微笑われた。
「ボクみたいな怪しい奴の手を取る? それとも一人で強く生きてみるかい?」
「……」
正直、この大陸で一人生きていくのは絶望的。だからと言って明らかに怪しいこの男についていくのは不用意と考えるが――縋りたい気持ちも芽生えている。
「目的は何?」
ここで色んな拷問をかけられていたことから、幼いながらも疑り深く、揺さぶりをかける。
「目的? そうだねぇ〜……君を助ける為かな?」
ジトッとさっきより疑った視線を送ると、軽いノリで待って待ってと仕草を取る。
「ボクはある組織の長をやってるんだけどね。君みたいなはぐれ者のやりたい事をやらせてあげるっていうのが活動方針なんだよ」
「……つまり、私にもう一度、人生をやり直せるってこと?」
「そう! 君が望むことをボク達が全面バックアップさ!」
少女は胡散臭さが増した。見返りもなしにそんなことを言わないだろう。
「その代わり何かしろってことでしょ?」
「見返りなんて求めないさ。そんな無い無いづくしの君からもらうものなんてないだろ?」
本当のことだが、むっとする。
拘束が解けているせいか、この少年が明るく話しているせいか、感情が少しずつ戻ってくる。
「君が手を取り、ボクの元へ来るなら、手取り足取り、色々教えてあげるよ。勿論、その後、裏切ってくれても構わない」
「えっ……?」
「ボクはね、人間観察とか人生観察が好きなんだよ。……だから今、この絶望を這い上がる君の人生を見せてさえくれれば、ボクは満足さ」
隔離された空間にいつ続けていたとはいえ、少女も普通に暮らして、人付き合いもあった。
その中でもとびきりヤバイことは、このセリフからもわかる。
しかし、それが出来るほどの腕前であることも証明しているようなセリフでもあった。
実際、魔法が付与されていた鎖も簡単に壊した訳で。
「でも、こう言っちゃうと、ボクの手を取るの一択だよね。だったら、手を取らないという選択をしても、君が望むところまで連れて行ってあげることを約束しよう」
この少年には、不可能がないように感じた。
本当ならこんなに怪しい少年を信用するのは大問題のような気がする。
だが、自分をこんなにもあっさりと助けてくれた。こんなにも自信を持って、その先の道を示してくれた。
こんなに頼もしさを感じたのは、いつ以来だろうと幼い少女は思い出すが、その顔は上手く浮かばない。
いや、浮かべたくないが正しいだろうか。
だから不安にもなる――また裏切られるのではないかと……。
「ボクは裏切らないよ」
弱った心を見透かされているように、手を差し伸べる。
少女に取っては、この地獄から連れ出してくれる天上の光に見えた。
もう一度、あの無邪気で幼かったあの日々に戻れるのではないかと。
少女は迷いをその光でかき消されるようで、その手を取った――。
***
――右腕で視界を遮り、懐かしさにふける。
「…………懐かしい夢ね」
のそっと起き上がってみると、まだ夜中だったようで、部屋の中は暗い。
自分のベッドの隣のベッドには、小さく寝息をたてるリュッカが気持ち良さそうに眠っている。
それをふと見たテテュラは、
(まさか、私がこんな娘達と一緒にいられるなんて……)
優しい眼差しでリュッカを見つめる。過去の私が見たら驚くだろう。
あの牢獄で一人、未だに絶望の彼方に居たのかも知れない。
こうして平穏を手にすることなんて夢のまた夢だったのだろう。
正直、今の生活で満足している自分がいる。けど、
(やらなきゃいけないことがある……)
あの暗闇に光る月光のように、世界に光をと誓うのであった――。




