89 突きつけられる現実
――懐かしい夢を見た。幼い日の他愛無い日常の一コマ。どうしてこんな夢を見たのか、まだはっきりしない意識の中、ふと頭をよぎった。
リュッカが目を覚ますと、小さな魔石がちらちらと見える壁が目の前にあった。
意識をはっきりさせる為、瞬きを複数回、目を軽く擦る。
リュッカは自分の体勢から自分は座っているのだと身体で確認した。ふと横を向く。
背にもたれているものは、小柄な自分の身体をすっぽりと隠せるほどの大岩。
寝起きなのか、まだはっきりしない意識の中、疑問がふと浮かんだ。
どうしてこんなところで寝ていたのかを。
――だが、その答えはすぐに浮かんだ。その際、意識もはっきりと戻る。
リュッカは思い出した。自分は何かしらの理由でアーミュに突き落とされたのだと。
この迷宮に。
あの悪意に満ち満ちた笑みが記憶に残っている。
初めてだった。人からあれだけの悪意を向けられたのは。どうしてと考えようとしたが、今の状況の確認の方が重要だと気付く。
リュッカは割と冷静だった。色々と疑問もある。恐怖心が無いわけでもない。だが、ザーディアスに教えられた言葉を鼓舞するように言い聞かせる。
――前衛で動く自分達は周りをよく見て、臨機応変な対応が求められると。その際に必要なのは冷静さ。
先ず、自分の状況を確認する。
大岩からそっと顔を覗かせる。どうやらここは通路のようだ。道幅から簡単に理解できた。何かの気配も特に感じない。
今度はそこから左右の確認を行う。
右の方はある程度奥があるように見える。チカチカと彩りの魔石が遠く光って見える。
左は曲がり角のようだ。
今とりあえずの安全を確認すると、改めて自分がどういった経緯でここにいるのか、ここはどこなのか、はっきり意識をしておくことに。
(私はラサフルさんにあの大穴……彼女曰く蟲の迷宮らしい場所へと落とされた。そして、今は運良く通路から見えない大岩の影にいる……)
突き落とされた理由など、今考えても意味はない。だが、そこで疑問が生じた。
突き落とされたのにどうして天井があるのかを。
上を見る。高さはあるが、自分が落ちた大きな穴はない。
自分がどういう状況だったか、再認識すると理解できた。
リュッカは迷宮の特性を授業で習ったことを思い出す。
(迷宮は外とは違う魔力の流れが発生している。私はその魔力の流れにそのまま投げ出される形で侵入してしまった……)
まるで激流の中を流れる大木が如し、彼女は放り出されてそうなった。
(結果、この迷宮の何処か適当な場所へと移動させられた……)
リュッカは冷静に判断するも状況が深刻な事を認識した。
この迷宮がどれだけの大きさの迷宮なのか解らない。だが、迷宮である以上、魔物は強力なのがうろついていることは分析せずともわかっていた。
加えて、今自分がどこにいるのかわからない。最低限の安全確認は行ったが、ここは魔物の巣窟であることに変わりはない。いつ身の危険が迫ってもおかしい話ではない。
唯一良かったのは、大岩の影に隠れられていること、外傷が見当たらないところ、魔物に襲われていないことである。
これらを踏まえてリュッカは自分がどう行動すればいいか考える。
もう一度通路の方を見る。
いつここを魔物が通って自分に気付くかわからないが、下手に出ることは危険だと考えた。
リュッカは実家の仕事柄上、魔物の知識には長けているが、迷宮に対しての対応知識はそうだが、ここの迷宮の情報など彼女が知る由などない。
だが、全くわからないでもない。
迷宮はそこにいる魔物が侵入して潜伏することがある。つまり、ザラメキアの森に生息する魔物がいることが多い。
後は蟲の迷宮と呼ばれているところ、虫型の魔物が多いものと判断できる。
とはいえ、やはり自分一人しかいない為、そんな安易な考えで脱出を試みようとはしない。
リュッカはアイシア達が異変に気付いて、救出部隊が編成されるのではないかと考えた。
テテュラに戻ると言って出てきた以上、どんなに遅くても明日の朝には気付いてくれるはず。
これも安易と言えばそうかもしれないが、脱出を試みるよりは安全であると判断した。
遭難した時の鉄則。下手に移動せず、その場で救出を待つである。迷子だったろうか?
そうと決まればリュッカは落ち着く為に深く息を吸い込み、吐いた。
すると、自分の持ち物を確認することに。待つと決めたとはいえ、万が一のことを考えて、自分の身を守る物を確認する。
しっかりと何があるのか把握する為、革のポーチから持ち物を出す。
片手剣と解体用のナイフが二本、授業の時に貰ったポーションが三本、白いタオルが一枚。
「あっ……」
ポーチの奥にある小瓶を手にした。
(これまで入っていたなんて……)
つい入れっぱなしにしていたクルシアから貰った香水を見つけた。
後はポーチとは別にぶら下げている小袋、魔石袋がある。中身は少々、小さめの魔石がちらほらと入っていた。
武器となるのは片手剣、ナイフ、後は魔石くらいだ。
魔石は魔力の塊。魔力を込めて投げ込み、衝撃を当てれば属性によって効果が違う爆発物として使用できる。
これも授業で習ったことだ。
ここに潜むつもりではあるが、戦闘手段を把握しておく事は悪くない。
飲み水や食べ物がないのは辛いが何とか耐えるしかないと待つことを決意する。
リュッカは周りに気を配りながら、音を立てずに潜むことに。
辺りは静かだ。だからこそか不安になる。
このまま誰にも気付かれないのか、魔物に襲われるのではないか、何故こんなところに突き落とされたのか。
考えたくないことまで考える。
リュッカは人見知りだったが、アイシアのお陰か、人付き合いもできるようになってきた。
最近一人でいることなど、殆どなかった。
改めて友人という存在がこんなにも有り難い存在であり、心の支えであったことを痛感する。
不安で心細い気持ちを抑えたいが、この環境では難しく、この静寂とどこか肌寒い空気が不安を煽る。
――だが、その不安をさらに加速させる事態が起きる。
……ぺたぺたっ。
地べたを裸足で歩く音が聞こえた。
思わず大岩に張り付くように身を隠す。
音からしてまず、人ではない。人なら靴音の筈だ。だが、この足音は裸足だとわかる。
微かに少しずつだが、足音が近付く。右の方からだ。
そっと足音の主に気付かれない程度に覗き、姿を確認する。
だが、遠すぎて黒いシルエットにしか見えなかったが、それで十分だった。
剥げた頭、三角の耳、骨みたいな細い手足、あれはゴブリンだった。




