88 小さな思い出
――そこは森の中にある小さな村。魔物の侵入避けの魔石で結界を作っているその村には、一部の冒険者には有名な店があった。
その店内へ入ると、生肉特有の生臭い匂いがお出迎え。訪ねたタイミングが悪ければ、ツンと鼻を刺すような異臭までする始末。
その店の店主は白いタオルをバンダナのように頭にきつく縛って被り、血の滲んだエプロン姿、身体付きは仕事柄上、筋肉質だが太くはなく、いわゆる細マッチョ系。笑顔が素敵な短髪赤髪の二十代後半男性。
その男性には妻と娘がいる。
その妻は艶めくロングの赤髪が特徴的な女性だが、顔立ちや身体付きは少々素朴な感じ。だが、旦那いわく普通が一番とのこと。ハードルが高くなくていいとかなんとか。
それを正直に伝えたら、一回思いっきり引っ叩かれたらしい。それ以来、言動には気をつけているとのこと。
この旦那はデリカシーが若干欠けている。
さて、その間に生まれた娘は、母親似の美しい赤髪をそのまま受け継いだ――というかほとんど変わらないそう。
父親は整った顔立ちなので、そこを女の子らしく整ってほしかったと母親はちょっと残念そうに話していたことがあったが、自分の娘が可愛いのはどこのご家庭でも一緒であるように、このそばかす娘も大層可愛がられた。
「――どうだ? わかったか? リュッカ」
「うんっ! パパ物知りだね」
父は幼い娘を膝に乗せて、凶々しい魔物達が載った図鑑を見せて、自慢げに知識をひけらかす。
お父さん、娘にいいとこ見せたいようですが、見せ方違わないかいと思うでしょうね。
それを見た母は呆れたように大きくため息を漏らすと、近くへ座る。
「あなた、リュッカにこんなの見せないでって散々言ってるでしょ?」
魔物が載った図鑑なんて娘に見せるものではないだろう。
父は困った顔で誤魔化すように笑って見せた。
「ははは……いやほら、リュッカが見せてって、せがむからさぁ」
母はまたため息をつく。今度は小さく。
「リュッカもっ! もっと女の子らしいものに興味持ちなさい」
母からすれば可愛げのある趣味を持ってほしいものだろう。
この幼い娘は父の影響を強く受けた。
店に訪ねてくる屈強な冒険者達に物怖じしない堂々とした振る舞い、悍しく不気味な魔物の死体を物ともせずに解体するその豪快な姿に、娘は父の逞しさを痛感して憧れて育ったのだ。
他人から見たら、目を塞ぎたくなる光景も、父が働く姿を目の当たりにすることができる環境で育った娘は、その魔物の死体や臭いなど気になどならなかった。
母としては気にしてほしかったようなので、仕事場を見せないようにもしていたようだが、なりが小さかった娘は母の目を盗んでは、仕事場を遊び場にしていた。
「マルキスさんのところの娘さんはあんなに可愛いのに……」
村でも評判の娘の名が上がる。髪色はリュッカのように明るくはないが、落ち着いた灰色髪の人懐っこいその娘は、村中の人気者だった。
実際、人付き合いが苦手なリュッカが唯一家族以外で明るく喋れる相手だ。
「何言ってんだ。リュッカが一番可愛いよなぁ〜」
父は可愛い娘を軽々と抱き抱えるが、その表情はちょっとかっこ悪い。デレデレの顔だ。
これを身内贔屓と呼ぶ。
「そう思うなら、もう少し女の子らしい趣味を持たせてあげてよ。あなたの仕事場、危ないんだから……」
解体屋は刃物を扱う。子供が足元をちょろちょろされるのは、そりゃあ危険は伴う。
それにまだ幼い子供に血みどろの魔物達はショッキングな光景の筈だが、リュッカは父の腕に抱かれてきょとんとした表情。
別方向でメンタルが強い。母はこのメンタルを是非、友達作りに生かしてほしいと頭を悩ませている。
「まあそうなんだが、これはリュッカの為でもあるんだぞ」
「……はいはい」
何を言おうとしているのかわかっていてか、適当な返事を済ます母。だが父は気にしない。
「この世界には恐ろしい魔物なんていくらでも存在するんだ。そのことを教育できる環境にいるのに、それをしないのは勿体ない」
「逆に言えば、そんな環境だからリュッカは友達が少ないんだけどね」
「その点も大丈夫だっ!」
根拠のない自信満々な返事が返ってきた。
「俺とお前の娘だ、きっと大丈夫」
親ならば誰もが思うことだろうか。定かではないが、少なくともこの父はそう素直に思った。
かく言う母も何だかんだでそうは思う。
自分の娘だから。そんな根拠もない、しかしどこか確信じみた不思議な感覚はあったろう。
嫌な言い方をすれば、これも身内贔屓だ。しかし、悪い気はしない。
「そう……だから大丈夫だっ! リュッカ。俺達が付いているぞ」
父は幼い娘に真剣な眼差しで力強く、背中を押すように言い聞かせた。
この時の彼女はまだ言葉の意図を読み解くことは出来なかった。




