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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
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97回:過去篇・譲れない願い

 今までの自分が間違っていた事を認めた真柄は、復活のために考え方の改革を図る。余りにも狂ったその思考が、再び彼をマウンドへ登らせた……。


                     ******


 イッ君は学校で真柄の噂を耳にする度、胸を痛ませていた。


「ねーねー、真柄君ってどうなってんの? プロ行けそうなぐらいなんでしょ?」

「いやー、もう真柄はダメだよ。家でも凄い暴れてるって噂だし、そもそも戻って来ても投げられないんだよ。精神が弱いんだって」

「えー、ショック。ちょっとカッコ良いと思ってたんだけどな」

「あの体でチキンだったんだねー。意外だわ」


 不在を良い事に好き勝手言われている。元々プライドなど無い男だが、それでも耳に触れたら傷つくに違いない。


 イッ君はそれでもなお立ち直らせようと、真柄を訪ねる。だが整理整頓という字が音を立てて崩れるその部屋で、四六時中ゲームをしているその姿を見ると、流石に心が折れかかる。とても野球をやる気がある様には見えなかった。


 だが、テレビの横に置いてあった2010年6月2日と書かれたDVD。それに真っ赤になっている真柄の右拳。


 彼はメジャーリーグの試合を見たのだ。そして『彼』の素晴らしいピッチングを目の当たりにして、自分が投げられない事が悔しくてしょうがなかったに違いない。そのマウンドに立つ事が、真柄の夢でもあったのだ。

 もう叶わない夢なのだ。


「イッ君どーしたの。眼が真っ赤」

「……お前に言われたくねぇよ、馬鹿」


                      ******


 六月。三年にとって最後となる県予選のメンバー発表の時が来た。


「1番、誰になるかな?」

「向坂さんじゃね? でも胸糞悪いよな……」

「でも実際、実力じゃ一番手なんだ、しょうがねぇよ。真柄がいないからな」


 陰口を叩かれようと、向坂はどこ吹く風であった。一流選手に妬みは付き物。むしろ離れて陰口を叩く事しかできない連中を憐れんでさえいた。堂々と目の前で罵倒されない限り、彼には何のダメージもないのだ。


「あんな奴ら、いざとなれば潰す事もできる。それこそ、あの真柄みた」「あ、さっきさかせんぱーい!」


 向坂の背筋が凍った。いるはずのない男が目の前にいる。


「ま……がら?」

「なーに驚いてんですか~? 俺も部員の一人じゃーないすか」

「何しに来た。ろくに練習も出なかった野郎が」


 あんたのせいだろ、と何人の二年生が突っ込んだであろう。それでも真柄は向坂の肩を気安くたたく。不自然なほど気安く。口調も馬鹿にしている様にしか聴こえない。


「いよいよ最後の大会ですね~。頑張って優勝しましょーね~」

「さ、触るな!」


 背番号発表会場である、多目的室に向坂は逃げていく。彼にとって背番号1という栄光へのチケットを貰う大事な場。真柄が近くにいてはせっかくの気分が台無しだ。


「全員揃ったな。では、夏季大会の背番号を発表する。当たり前だが、一桁をレギュラーとして使っていく。他の者はサブとしての役目に集中しろ」

「はいっ」

「では、背番号1」


 呼ばれる前に、向坂は立ち上がる。これぐらい自信満々の方が、名門校のエースに相応しい。そういうポーズであった。


「真柄」


―――――……は?


「えー、俺ですかー監督」

「返事をしろ。背番号1、真柄。 真柄忍! お前だよ」

「はいはーい」

「ま、待て!」


 向坂が横を素通りしようとした真柄の腕を掴む。その手には『嫌な汗』が流れていた。


「なにか~?」

「何か月も練習に来てなかった奴がエースだとぉ!? 笑わせる!」

「向坂、席に座れ」

「だいたいコイツはもう投げられねぇ! こんなポンコツにお飾りとはいえどもエースナンバーを渡すなんて! そうだろうが、お前ら!」

「黙らんか向坂ァ!」


 監督の一喝で、ボディブローを喰らったようにたたらを踏んで席に戻る向坂。


「真柄、はやく取りに来んか」

「監督~、一つ、納得できる場を用意してくれませ~んかー」

「何?」


 真柄は向坂の肩をワザとらしく叩き、素敵な提案をする。


「一打席勝負しましょーよ。俺と向坂先輩で、ネ」



                      ******


 遡る事二か月。


「イッ君、俺さ~、あのさ~」

「……なんだよ、もうテレビにボール投げつけるなよな」

「こうやってゲームしてるとさ~、現実とそんなに差が無いんじゃないかって思うんだ~」

「そ、そうかな?」


 イッ君は午前練習を終えてから真柄の家にやってきていた。やる事と言ったらゲームばかり、今日は野球ゲームである分、まだマシである。


「こうして✕ボタン押したらさー、俺の分身が投げるわけじゃん。でも現実の俺は投げられないって、なんか不思議だよねー」

「そりゃお前、プレーヤーの入力によって呼び出される関数が決まってるってだけだろう。実際に投げるのとは全然……」

「でさー、考えてみたんだよ。このゲームみたいに俺も投げられないかなってさー」


 首を傾げるイッ君に対し、論より証拠だと言って真柄は公園へ向かった。イッ君相手にキャッチボールをしようとすると、案の定ボールは足元に突き刺さった。


「シノブ……気持ちは分かるけどやめとこうよ」

「まぁ待ってよ。今俺はイッ君に向かってボールを投げようとしました~。んでダメでした~」

「う、うん。まぁその通り」

「ここで一枚噛ませてみようと思うんだ」

「なにを?」


 真柄は何を思ったのか、家からコントローラを持って来ていた。流石、精神に異常を来した人間はこんな事もするのかと、イッ君は人知れず涙腺を緩ませた。


「ここで✕ボタンを押しま~す」

「は、はぁ!?」

「『俺の操作で』俺がイッ君にボールを投げまーす」

「え、それってさっきと同じじゃ?」


 そういうと真柄は眼を瞑った。ポケットの中でコントローラの✕ボタンを押し、眼を瞑ったままイッ君にボールを投げた。そのボールは……イッ君のグラブに届いた。


「えっ、投げられた!?」

「あっ、やっぱり? いや~、ドキドキしたね」

「いや分からないよ! さっきと何が違うの!?」


 真柄は眼を開いて説明し始める。


「まぁ~今回の件はさ。ゲームでいうとバグなわけじゃん」

「まぁ、お前の中にバグがあるな」

「そのバグを踏まないようにすれば、問題は解決するよ~な気がしたんだー」

「それがさっきの?」


 コックリと頷く真柄。


「そー。いつも眼を開いてるから眼を瞑って、いつも垂直にリリースしてるから若干シュートに切って、それを✕ボタンを押してからやってみたの。したらバグ回避して投げられた」

「いや、眼を瞑ってその垂直リリース出来ないのか!? そしたらいつも通りじゃん」

「やってみたけど、それだけは無理だったー。バグに引っかかるみたい。つまり『リリース』のところにバグがあるという事が今回のシステムテストで分かったよ。デバッグは無理だけどね」


 しかしイッ君には引っかかるところがあった。コントローラだ。何故、✕ボタンを押す必要があるのか?

 真柄が言うには、客観性の象徴がコントローラらしい。


「客観視してないと、イップスが発動しちゃうんだ。飽く迄、『俺は俺を操作しているプレイヤー』。そういうイメージで投げないと、リリースが上手くいかないの。不便だよー」

「客観視、か……一応投げられるようにはなるけど、前の様に全力のリリースは出来ない、か」

「うん、しょせん誤魔化しなんだよね。悲しいけど、ここがダキョーテンな気がするんだ~」

「シノブ……」


 不登校になってからの一ヵ月。決して真柄は自棄になっていただけではなかった。一度壊れてから、イカれた発想とはいえ自分をゲームのキャラクターとしてイメージする策を思いつき、練習していたのだ。悔しかったから、悲しかったから。諦められなかったのだ。


 だが、まだ体が恐怖心を捨てきれない内には、真柄はヒョロ球しかなげられなかった。イッ君は練習終わると、一目散に真柄家に向かってキャッチャーをやった。雨の日も風の日も、公園で真柄の球を受け続けた。その内客観視が楽しくなってきたのか、空想である自分の能力値を口に出す様になって、二人で笑ってしまった。


「コントロールA、スタミナA、シュート7、スライダー4、重い球ー!」

「ぶははっ、バーカ、それなら俺はパワーAミートAパワーヒッターだ」

「イッ君欲張りすぎ~」

「そうだ、欲張っていいんだよシノブ。お前にはその権利がある!」

「うん、欲張る! シュート7、シュート7」

「そうそう、シュート7シュート7」


 ごっこ遊びみたいな下らない呪文が、徐々に自分達の能力を高める暗示へ昇華していく。日に日に真柄のシュートは変化量を増していた。

 そして復帰の意志が固まって来た頃、真柄の手が震えはじめた。グラウンドに行く事に、体が拒絶反応を示している。


「……それでも俺、戻るから。絶対絶対、マウンドに戻るから……」


 ひょうきんな言葉遣いでも、口惜しさから涙が込み上げる。そんな真柄を見ていると、イッ君の胸も熱くなった。越えられなかった精神のハードルを、今二人の力で越えようとしている。


「シノブ……よし、二か月だ」

「うん」

「三年どもの最後の大会の直前、真柄忍の復活祭を挙げようぜ!」

「うん、頑張る。ジーザスクライストー!」


 130キロ付近まで誤魔化せる様になると、真柄とイッ君は人知れず監督の家にゲリラ訪問を行ったのであった。


                    ******


 そして向坂との一打席対決は、あっさり決着がついた。


「ば、馬鹿な! お前は完全に潰した筈だぁーッ」


 三球三振。その全てが著しくシュート回転し、本来のスピードが死んでいた。だが最後のシュートだけは、明らかに曲りが大きいウィニングショット。向坂のみならず部員達の度肝を抜いた。


「何だあれ……ストレートの迫力はもうない。だけど」

「ああ、あのシュートは紛れもなく一級品だ」

「もう一度、もう一打席勝負しろ! 打者は十回に三回打てれば一流なんだろ!」


 二打席目の初球。外角のボール球を思い切り空振りする向坂。思い描いた一日とのギャップが激しすぎたのか、平常心を失っている。


「くっそぉぉぉーーー!」


 もうえげつないストレートは投げられない。それでもなお、真柄の才能は半分残っていた。

 その半分だけで、向坂を圧倒していく。


「ちくしょぉぉ! もう少しで、全てが上手く行ったんだ! 俺はこんなもんじゃない!」


 ど真ん中のストレートに思い切り踏み込む向坂。だがシュート回転のボールは鋭く曲がり、踏み込み過ぎた向坂の内臓を抉った。


「ぐえっ、うぉああ……」

「先輩が潰したのは~、俺の力の半分だけでした~」

「て、てめぇ……」

「でもね」


 向坂の胸倉を掴むと、白目の比率を一気に上げて威圧の表情を作る真柄。


「ひっ!?」

「お前に潰されたストレート……いつか必ず、もう一度投げて見せる。もう誰にも邪魔はさせない。もう誰にも譲らない!」


 地面に荒々しく向坂を放り投げると、陽気な口調に戻して止めを刺した。


「じゃあね~先輩。ベンチ外になったんだから、最後の観戦ゆっくり楽しんでく~ださい」


 断末魔の叫びを両人差し指でガードしながら、真柄は去っていく。才能の半分だけとはいえ、大エースの復活に部員達から大歓声が上がった。


 真柄忍、14歳の夏。半分を守り、半分を失った思春期の天才の1ページ。


                      ******


「真柄ー、ついたぞ」

「さとみー、起こしてよー」

「ここぞとばかりに甘えやがって……ほらよ」


 左腕を掴んで起こす里見。赤くなっている眼をゴシゴシと擦る真柄。


「なんか超大作でも見てたのか? 夢」

「そんなとこー」


 あのストレートを、もう一度。そう願って早4年と数か月。理想の環境を求めて福井から静岡へ。静岡から甲子園へ。

 その道程、血塗られた装備を背負って、幾たびの戦闘をこなしただろう。残された試合は、僅か一試合。


「……譲らないよ。最後のマウンドは」

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