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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
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96回:過去篇・夢であるように

 脅迫を拒む真柄は毎日の様にリンチを受け続ける。それでも心を折らない真柄に対し、先輩達は最後の手段を使う……。


                     ******


「てめぇ、まだ分からないみたいだな! オラッ!」


 真柄は両手足を抑えられたまま、腹を殴られ続ける。だが、『そこまでしかできない』という確信があるため、耐えられる。アバラなんて折ったら下手すれば傷害事件に発展するし(この時点で既にそうだが)、顔を傷つけでもしたら家に帰った時点で露呈する。親というのは子を守る為なら何でもするのだから。


――要するにこの人たちは所詮、今やっている以上の事は出来ない。もう慣れてきたし体格も違うから、素手で殴っても大したダメージにもならないのにな。自分の腕を磨こうともせず、馬鹿な人達だ。


 脅迫が始まって10日経っても、真柄は顔色一つ変えずにストレートをストライクゾーンに投げ続けた。向坂弟は同じことをやっても無駄だと悟った。


「おい向坂、もう止めようぜ。学校にチクられたら特待生どころか、内申に傷がついちまう」

「ていうかアイツおかしいだろ。何であんなに殴ったのに効いてないんだよ……ちくしょう、顔さえやれれば!」

「よし、もう止めよう」


 向坂弟の言葉に、内心ビクビクしていた取り巻き達もホッとする。


「だよなぁ。やっぱ無駄だよ、こんなのは。正々堂々実力で」

「『真柄を狙うのは』もう止める」

「……は?」

「完璧に見える奴の弱点は、優しすぎるところだ。まぁ見てろ」


 次の日の事だった。真柄と同じ一年生の部員が、真柄と同じ様にリンチを受け始めた。それも、真柄が帰った後に、である。最初は、真柄もその事実に気づきはしなかった。が、被害者から嫌でも耳に入る。


「シノブ、お前向坂先輩と何があったんだよ……『恨むなら真柄を恨め』って言ってたぞ……」

「いや、俺は何も……本当だよ、信じてくれ」


 これで被害者は複数になったのだから、監督やPTAに通報すれば終わる話である。が、それをやると暴力事件で、春から始まる県予選他、大きな大会に出場できなくなる可能性がある。2年はいいが、3年の先輩には致命的な出来事だ。

 真柄にそれはできない。そこまで向坂は計算していた。


 それでもいつも通りのストレートを投げる真柄。その結果として、毎日同級の部員が殴られていった。主将に相談したりもしたが、やはり今の時期問題にはしたくないらしく、取り合ってはくれなかった。

 最高のストレートを投げるというインプット。チームメイトが『自分のせいで』殴られ、嫌な思いをするというアウトプット。紐づけられた関係が、日に日に真柄の体に強く深く刷り込まれていく。


 一ヵ月が過ぎると、退部者が出始めた。


「何で辞めるんだ!? みんな、野球やりたくないのか!?」

「もう身も心もボロボロなんだよ。別に真柄のせいじゃない……けどもう、放っておいてくれ」


 真柄はその時になって初めて、感じてはならない『責任』を感じてしまった。自分の行動が、部員達を退部させていく……。

 そして更に二か月が過ぎると、退部者は5人にまで増えていた。真柄は毎日、嫌な汗を流しながらストレートを投げ続ける。


――俺のせいじゃない、俺は何も悪くない!


 実際、何の責任もない話ではある。だが理屈で分かっていても、脳裏にインプット→アウトプットが学習されていく。そして遂に、限界はやって来た。


「あっ……あれ?」


 いつもの様に、ブルペンで捕手に向かって投げようとしたストレート。それが何故か、足元に突き刺さった。狙いは当然、ホームベースの先のキャッチャーミット。にも関わらず、『足元に向かって投げたかのように』地面に突き刺さった。


「真柄……ふざけてるならもう帰るぞ」

「ま、待ってください! 俺は真面目に」


 しかし何度投げても、ストレートは捕手に届かない。リリースポイントが違うのかと思い、早目のリリースに変えてみると、今度は目も当てられない大暴投になってしまった。


「疲れてるんだろ。今日はあがろうぜ」

「は、はい……」


 だが、三日経っても状態は改善しなかった。どうすれば分からなかった真柄は監督に相談したものの、返事は素っ気ない。


「自分の不調を回復する。その力をつけるいい機会だ。もがいてみろ」

「はぁ……」


 職員室から出てくる真柄を、向坂がニヤニヤしながら出迎えた。


「よぉ、ポンコツ」


 真柄が素通りしようとすると、なおも後ろから話しかける。


「お前少年野球時代に自滅して、チームメイトに泣きながら謝った事あるらしいじゃん」


 真柄の足が止まる。


「『仲間思い』で『責任感が強い』いい子ちゃん。それがお前だ」

「何が言いたいんですか」

「可哀想に。責任、感じちゃってたんだなぁ。何人もの仲間を壊していったことに」

「……それはあなたの責任でしょう。俺は関係ない」


 向坂は人差し指を真柄に向ける。


「今、『嫌な汗』かいたろ」

「は?」

「精神が病んでる証拠らしいぜ? 俺も研究したからな、お前を潰すために」

「何の話……」

「ハッキリ言っとく。『俺』は『微塵も責任を感じていない』。だから今も投げられる。だがテメーはもう投げられない。何故なら大いに『責任を感じている』からだ」


 真柄は向坂へ向かって一直線に走り、胸倉を掴み上げる。


「俺に何した!?」

「バーカ、俺は何もしてない。お前が勝手に解釈したんだよ」

「何を!」

「『もう投げちゃいけないんだ』ってね。教育を受けて犯罪を抑止するのと同じさ。お前が投げれば人が傷つく。そう体が理解したからストレートを投げる事を止めた。賢明な判断だろうぜ」

「傷つけたのはアンタだろ!」

「それをお前の体に言い聞かせてやるんだな。それで治るならそれもいいだろ。でも指先の微妙な感覚だ。まず治らねーよ」


 真柄はガックリと膝をついた。自分が投手として終わった事を、理解したからである。


「あの先生は実力主義だ。今のお前と俺なら、そりゃ投げられる俺を使うだろうさ」

「嘘だ……こんな事……」

「あと一年大人しくしてくれてりゃ、お前ならプロ、下手したらメジャーまで行けただろうに。俺にここまでさせやがって。あーあ、後味悪いなー」


 友情、責任感。それらはこれからの人生、大事にしていく物だと思っていた。だが、実際その全てが真柄を投げられなくしてしまった。

 自分が取り返しのつかない状況にいる事を真柄は悟り、感極まって泣き始める。


「う、うわぁぁーッ!!」

「あーあー、泣き出しちゃって。これだから甘ちゃんって嫌いだわ。責任感の強さが野球やるうえでマイナスな要素だって、やっと気づいた?」

「俺は、俺は何も悪い事なんかしてない! こんなの、夢に決まってる!」

「だーかーら、誰が悪いとか関係ないんだってば。お前が悪くなくても、投げられなくなったら終わりなのー」


 引導を渡してスッキリしたのか、向坂は昇降口へ歩き始めた。それでもまだ泣き叫び続ける真柄に溜め息をつきながら、トドメの一言を指しておく。


「始めっから野球に向いてないんだよ、お前。そんなだからイップスなんかなるんだ、ポンコツが」


 その日から、向坂のリンチは止んだ。同時に、真柄は不登校になり、野球部の練習にも顔を出さなくなった――。


                     ******


「シノブー、イッ君来たわよー」

「……会いたくな~い」

「学校からプリント届けに来てくれたんだから、上ってもらいなさい。イッ君なら大丈夫でしょ?」


 何の反応も見せない真柄に対し、イッ君は勝手に部屋に上って来た。


「シノブ、久しぶり……って部屋汚ッ!?」

「ん~、何しに来たの~?」

「ほら、プリントだよ。……おいおい、ゲームどんだけ積んでるんだ」

「在学中にこれ全部やるつもり~」


 髪はボサボサ、部屋はグチャグチャ。その心境はもっとメチャクチャだろう。気持ち悪い話し方からして、おかしくなっている。この自暴自棄になっている真柄を、どうにかして学校に連れて行くのがイッ君の使命だ。


「……イップスなんて、治してけばいいじゃん」

「無理だよー。俺野球の神様を怒らせちゃったんだよ~。もう野球はいいや」

「福井のガ○ラーガと呼ばれたお前が、そんなんでいいのかよ!」

「もう血塗られた装備、身に着けちゃったからね~。当分外せないんだ。このゲーム全部やり終わったら外せるかもね~」


 わけの分からないことを宣う真柄を見て、イッ君は一先ず撤退しようとする。


「あ、イッ君。リハビリはしてるから安心して~」

「リハビリ?」

「うん。野球ゲームあるじゃん、ここで✕ボタン押すじゃん」


 画面内の投手が、投球モーションに入った。それと同時に、真柄も傍らに置いてあったボールを掴むと、投球モーションに入る。何が起こるかを想像し、イッ君には背筋を凍らせる。


「バカ止せッ!」


 真柄は画面に向かって、思い切りボールを投げつけた。ガラスの割れる音がしたかと思うと、画面に亀裂が入り、七色の光が揺れている。只ならぬ音を聞きつけて、真柄母が血相を変えて階段を上がって来る。


「シノブ! あんた何してんの!」

「何って母さん、リハビリだよ~」

 

 真柄の母親は顔を覆って泣いている。イッ君もお母さんも悟っているのだ。

 真柄忍という人間が、狂ってしまったことを。


「あっはは~、デスティニー!」


 真柄忍、13歳の春。呪われた右腕との付き合いが始まった。

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