96回:過去篇・夢であるように
脅迫を拒む真柄は毎日の様にリンチを受け続ける。それでも心を折らない真柄に対し、先輩達は最後の手段を使う……。
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「てめぇ、まだ分からないみたいだな! オラッ!」
真柄は両手足を抑えられたまま、腹を殴られ続ける。だが、『そこまでしかできない』という確信があるため、耐えられる。アバラなんて折ったら下手すれば傷害事件に発展するし(この時点で既にそうだが)、顔を傷つけでもしたら家に帰った時点で露呈する。親というのは子を守る為なら何でもするのだから。
――要するにこの人たちは所詮、今やっている以上の事は出来ない。もう慣れてきたし体格も違うから、素手で殴っても大したダメージにもならないのにな。自分の腕を磨こうともせず、馬鹿な人達だ。
脅迫が始まって10日経っても、真柄は顔色一つ変えずにストレートをストライクゾーンに投げ続けた。向坂弟は同じことをやっても無駄だと悟った。
「おい向坂、もう止めようぜ。学校にチクられたら特待生どころか、内申に傷がついちまう」
「ていうかアイツおかしいだろ。何であんなに殴ったのに効いてないんだよ……ちくしょう、顔さえやれれば!」
「よし、もう止めよう」
向坂弟の言葉に、内心ビクビクしていた取り巻き達もホッとする。
「だよなぁ。やっぱ無駄だよ、こんなのは。正々堂々実力で」
「『真柄を狙うのは』もう止める」
「……は?」
「完璧に見える奴の弱点は、優しすぎるところだ。まぁ見てろ」
次の日の事だった。真柄と同じ一年生の部員が、真柄と同じ様にリンチを受け始めた。それも、真柄が帰った後に、である。最初は、真柄もその事実に気づきはしなかった。が、被害者から嫌でも耳に入る。
「シノブ、お前向坂先輩と何があったんだよ……『恨むなら真柄を恨め』って言ってたぞ……」
「いや、俺は何も……本当だよ、信じてくれ」
これで被害者は複数になったのだから、監督やPTAに通報すれば終わる話である。が、それをやると暴力事件で、春から始まる県予選他、大きな大会に出場できなくなる可能性がある。2年はいいが、3年の先輩には致命的な出来事だ。
真柄にそれはできない。そこまで向坂は計算していた。
それでもいつも通りのストレートを投げる真柄。その結果として、毎日同級の部員が殴られていった。主将に相談したりもしたが、やはり今の時期問題にはしたくないらしく、取り合ってはくれなかった。
最高のストレートを投げるというインプット。チームメイトが『自分のせいで』殴られ、嫌な思いをするというアウトプット。紐づけられた関係が、日に日に真柄の体に強く深く刷り込まれていく。
一ヵ月が過ぎると、退部者が出始めた。
「何で辞めるんだ!? みんな、野球やりたくないのか!?」
「もう身も心もボロボロなんだよ。別に真柄のせいじゃない……けどもう、放っておいてくれ」
真柄はその時になって初めて、感じてはならない『責任』を感じてしまった。自分の行動が、部員達を退部させていく……。
そして更に二か月が過ぎると、退部者は5人にまで増えていた。真柄は毎日、嫌な汗を流しながらストレートを投げ続ける。
――俺のせいじゃない、俺は何も悪くない!
実際、何の責任もない話ではある。だが理屈で分かっていても、脳裏にインプット→アウトプットが学習されていく。そして遂に、限界はやって来た。
「あっ……あれ?」
いつもの様に、ブルペンで捕手に向かって投げようとしたストレート。それが何故か、足元に突き刺さった。狙いは当然、ホームベースの先のキャッチャーミット。にも関わらず、『足元に向かって投げたかのように』地面に突き刺さった。
「真柄……ふざけてるならもう帰るぞ」
「ま、待ってください! 俺は真面目に」
しかし何度投げても、ストレートは捕手に届かない。リリースポイントが違うのかと思い、早目のリリースに変えてみると、今度は目も当てられない大暴投になってしまった。
「疲れてるんだろ。今日はあがろうぜ」
「は、はい……」
だが、三日経っても状態は改善しなかった。どうすれば分からなかった真柄は監督に相談したものの、返事は素っ気ない。
「自分の不調を回復する。その力をつけるいい機会だ。もがいてみろ」
「はぁ……」
職員室から出てくる真柄を、向坂がニヤニヤしながら出迎えた。
「よぉ、ポンコツ」
真柄が素通りしようとすると、なおも後ろから話しかける。
「お前少年野球時代に自滅して、チームメイトに泣きながら謝った事あるらしいじゃん」
真柄の足が止まる。
「『仲間思い』で『責任感が強い』いい子ちゃん。それがお前だ」
「何が言いたいんですか」
「可哀想に。責任、感じちゃってたんだなぁ。何人もの仲間を壊していったことに」
「……それはあなたの責任でしょう。俺は関係ない」
向坂は人差し指を真柄に向ける。
「今、『嫌な汗』かいたろ」
「は?」
「精神が病んでる証拠らしいぜ? 俺も研究したからな、お前を潰すために」
「何の話……」
「ハッキリ言っとく。『俺』は『微塵も責任を感じていない』。だから今も投げられる。だがテメーはもう投げられない。何故なら大いに『責任を感じている』からだ」
真柄は向坂へ向かって一直線に走り、胸倉を掴み上げる。
「俺に何した!?」
「バーカ、俺は何もしてない。お前が勝手に解釈したんだよ」
「何を!」
「『もう投げちゃいけないんだ』ってね。教育を受けて犯罪を抑止するのと同じさ。お前が投げれば人が傷つく。そう体が理解したからストレートを投げる事を止めた。賢明な判断だろうぜ」
「傷つけたのはアンタだろ!」
「それをお前の体に言い聞かせてやるんだな。それで治るならそれもいいだろ。でも指先の微妙な感覚だ。まず治らねーよ」
真柄はガックリと膝をついた。自分が投手として終わった事を、理解したからである。
「あの先生は実力主義だ。今のお前と俺なら、そりゃ投げられる俺を使うだろうさ」
「嘘だ……こんな事……」
「あと一年大人しくしてくれてりゃ、お前ならプロ、下手したらメジャーまで行けただろうに。俺にここまでさせやがって。あーあ、後味悪いなー」
友情、責任感。それらはこれからの人生、大事にしていく物だと思っていた。だが、実際その全てが真柄を投げられなくしてしまった。
自分が取り返しのつかない状況にいる事を真柄は悟り、感極まって泣き始める。
「う、うわぁぁーッ!!」
「あーあー、泣き出しちゃって。これだから甘ちゃんって嫌いだわ。責任感の強さが野球やるうえでマイナスな要素だって、やっと気づいた?」
「俺は、俺は何も悪い事なんかしてない! こんなの、夢に決まってる!」
「だーかーら、誰が悪いとか関係ないんだってば。お前が悪くなくても、投げられなくなったら終わりなのー」
引導を渡してスッキリしたのか、向坂は昇降口へ歩き始めた。それでもまだ泣き叫び続ける真柄に溜め息をつきながら、トドメの一言を指しておく。
「始めっから野球に向いてないんだよ、お前。そんなだからイップスなんかなるんだ、ポンコツが」
その日から、向坂のリンチは止んだ。同時に、真柄は不登校になり、野球部の練習にも顔を出さなくなった――。
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「シノブー、イッ君来たわよー」
「……会いたくな~い」
「学校からプリント届けに来てくれたんだから、上ってもらいなさい。イッ君なら大丈夫でしょ?」
何の反応も見せない真柄に対し、イッ君は勝手に部屋に上って来た。
「シノブ、久しぶり……って部屋汚ッ!?」
「ん~、何しに来たの~?」
「ほら、プリントだよ。……おいおい、ゲームどんだけ積んでるんだ」
「在学中にこれ全部やるつもり~」
髪はボサボサ、部屋はグチャグチャ。その心境はもっとメチャクチャだろう。気持ち悪い話し方からして、おかしくなっている。この自暴自棄になっている真柄を、どうにかして学校に連れて行くのがイッ君の使命だ。
「……イップスなんて、治してけばいいじゃん」
「無理だよー。俺野球の神様を怒らせちゃったんだよ~。もう野球はいいや」
「福井のガ○ラーガと呼ばれたお前が、そんなんでいいのかよ!」
「もう血塗られた装備、身に着けちゃったからね~。当分外せないんだ。このゲーム全部やり終わったら外せるかもね~」
わけの分からないことを宣う真柄を見て、イッ君は一先ず撤退しようとする。
「あ、イッ君。リハビリはしてるから安心して~」
「リハビリ?」
「うん。野球ゲームあるじゃん、ここで✕ボタン押すじゃん」
画面内の投手が、投球モーションに入った。それと同時に、真柄も傍らに置いてあったボールを掴むと、投球モーションに入る。何が起こるかを想像し、イッ君には背筋を凍らせる。
「バカ止せッ!」
真柄は画面に向かって、思い切りボールを投げつけた。ガラスの割れる音がしたかと思うと、画面に亀裂が入り、七色の光が揺れている。只ならぬ音を聞きつけて、真柄母が血相を変えて階段を上がって来る。
「シノブ! あんた何してんの!」
「何って母さん、リハビリだよ~」
真柄の母親は顔を覆って泣いている。イッ君もお母さんも悟っているのだ。
真柄忍という人間が、狂ってしまったことを。
「あっはは~、デスティニー!」
真柄忍、13歳の春。呪われた右腕との付き合いが始まった。




