95回:過去篇・躍動するエース
中学に上がった頃、その才能は地域中に認識されていた。浴びせられた期待は、やがて周囲の嫉妬と軋轢を生んでいく……。
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「おい、体感でいい。何キロ出てる……?」
名門で鳴らした中学の野球部に入部した初日。少年野球で名の通った選手だった真柄は、いきなりレギュラーキャッチャーに向かって投げさせられた。
その初球。まざまざと片鱗を見せつけたのは、彼のストレート。
「ひ、130は……出てると思います」
「数か月前まで小学生だった奴が……しかも軟球で130越えだと?」
ガタイからして既に違う。身長は170センチを超えていたし、肩の筋肉は周りと比べて明らかに隆起している。いい意味で鍛え甲斐の無い素材であった。
「ちょっと、シート打撃で投げてみろ」
流石に名門中学のレベルは高い、と真柄は思った。変化球をも解禁した自分の球に『当ててくる』のだから。空振りがとれない事に驚く。そんな高みに真柄少年はいた。
ストレートだけでは、当てられる。学習した真柄がスライダーを投げ始めると、レギュラーメンバーでさえ容易に当てられなくなった。
「これで、12歳……冗談だろ?」
この中学野球部では、甲子園に出場する様な名門校からの推薦も少なくない。そんな一流どころが、小学生に毛の生えた年齢の真柄に抑えられる。屈辱であった。
「良かったな、シノブ」
「何が?」
「ここの監督、実力主義らしいからな。きっとお前、直ぐデビューできるよ」
「うーん……一年目は先輩達の顔を立てたいところだけどね」
実力が上っても、謙虚さだけは捨てていなかった。
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「いよいよ明日は全国大会の初戦。先発は真柄でいく」
「ちょっと待ってください先生」
「何だ向坂、異論があるのか?」
全国大会開催地・大阪の宿で行われた先発発表。三年投手・向坂は真っ赤な顔をして反抗する。
「俺達はこの大会が最後なんだ。全力のオーダーでないと悔いが残ります」
「これが俺の考える、全力のオーダーだが?」
「一年坊の先発がですか!?」
その重苦しい空気に耐えられなくなり、真柄は恐る恐る手を挙げる。
「あの、先生、あの、俺も、向坂さんが、その、投げた方が」
「お前は黙ってろ。このトーナメントは一度負ければ終わりなんだ。その初戦に、一番いい投手を持ってこなくてどうする!?」
「先生! 何を言っているんですか、このチームのエースは俺でしょう!」
「エースは真柄だ! いい加減に気づけ向坂!」
三年の選手にとって、試合に出る・出ないという事は正に死活問題であった。進学を考えた場合、一つの高校につき学費その他が免除となる特待生枠は、僅か5つと決まっている。ここでアピールできないと、強豪校の特待生は難しくなる。軟式出身者なら尚更そうだ。
真柄は強く思った。それならば、明日は必ず勝って次の試合で向坂先輩を投げさせてあげよう。自分はまだ、二年も時間があるのだから……。
とんでもない思い違いをしている事に、彼はまだ気づかない。
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注目の試合は始まった。ストレートとスライダーの二種を駆使した真柄のピッチングに、初戦の大阪代表・広沢中はキリキリ舞いさせられていた。
「あいつ、あれで一年らしいぞ」
「そんなわけないだろ、中一であんなスピードが出るわけねぇ!」
成長期の中盤に差し掛かった中三と、成長期の序盤が終わろうとしている中一とでは本来、実力には天と地ほどの差がある。だが、真柄の才能はその差を呆気なく埋めてしまっていた。
五回を終わって無失点、打たれたヒットは僅か3本。軟式野球は七回まで。1点リードされている大阪代表が、遂に切り札を投入する。
「広沢中学、選手の交代をお知らせします。ピンチヒッター、鷹野君。背番号18」
「頼んだぞ、鷹野。硬式では見慣れている球の筈だ」
「まぁ、何とかやってみますわ」
非常事態に備えて、同学校に在籍する硬式選手をレンタルしてベンチ入りさせるのが、広沢中の伝統だった。真柄は直観する。この男は、タダ者ではない。
ガタイからして違った。175センチはあるのではないかという長身。まさか同じ一年だとは、真柄も思っていなかった。
初球、外角にストレートが決まる。二球目、真ん中のスライダーで仰け反らせるつもりだったが……。
「あ、当てた!? 俺のスライダーを」
「ふん、何を驚いてるんや? あの程度の変化球、シニアなら普通やで」
この会話で、真柄は本気の配球を見せる。三球目、四球目はストレートを外、高めに外す。そして勝負の五球目。鷹野の読みはインコースストレート。
「ドンピシャリや!」
レフト線、長打コースを意識して振り抜いた。しかしそのバットに、ボールはかすりもしなかった。
「バッターアウッ!」
「消えよった!? し、シュートか!」
ストレートと球速が5キロしか変わらない高速剃刀シュート。隠しておいた秘球で奪った空振り三振。
そのまま真柄は七回を完封、一回戦を制した。心躍る対決を制した真柄忍の名は、鷹野三郎に永遠にインプットされる事となる。いずれ甲子園で戦うであろう、最大のライバルとして。
そして2回戦、向坂の先発した試合で真柄の中学は呆気なく敗退した……。泣き崩れる向坂を見て、真柄が一言だけ呟く。
「もう少し、投げたかったな……」
また来年、全国で投げられるからいいか。と楽観的に考えていた真柄少年を翌年、悲劇が襲う。
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「真柄さぁ、うちの兄貴。結局特待生になれなかったんだわ」
「それは……残念ですね。向坂先輩、本当は凄い投手なのに」
「だろ? もっと活躍の場があれば、普通に特待生になれたと思わん?」
二年に進級する直前、一年先輩の投手・向坂(弟)が詰め寄って来た。完全な逆恨みかと思い、無視しようと務めた真柄だったが……。
「兄貴の事は別にいいんだよ。家でデカい面してたのがションボリして、今じゃスカッとしてる」
「はい?」
「話したいのは俺の事だよ。俺も特待生枠が欲しいのさ。だからお前に一年間休んで欲しいんだ」
「すみません、俺馬鹿なもんで……意味が解りませんけど」
「優等生が分からないフリしてんじゃねーよ。てめー成績もいいんだろ? 全く嫌になるぜ」
鳩尾に思い切り膝を入れられた。昼に食べた給食を戻さないように必死に耐える。
「顔は目立つから止めてやるよ。簡単な話だ。お前、今日からストライクゾーンに投げるな」
「何を馬鹿な!」
「本当は全球種外してほしいが、まぁあのえげつないストレートだけでいい。絶対にストライクを取るな。そうすりゃ、うちの監督なら不調を見抜いてエースから降ろす」
普段闘争心など抱かない真柄が、本気で向坂弟を睨み付ける。
「自分の言ってる事、分かってますか?」
「分かってるよ。これは脅迫だ」
向坂の取り巻きだと思われる、二年の生徒達が大量に部室に入って来た。
「野球をするうえで大切な物って何か分かるか、一年坊」
「考えた事もないですけど」
「他人を押しのけてでもやりたいことをやる、糞みたいな精神力だよ」
真柄忍、13歳の冬。精神の崩壊まで、あと3か月。
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現代の真柄は、バスの中で唸り声を上げていた。
「うああ……、止めて、止めてくださ……むにゃ」
「一体、どんな夢みてんだよこいつは」
里見は呆れ顔で、右腕を体の下に敷きそうになった真柄の体勢を入れ替える。
「こいつの才能だけは、ここで終わらせちゃいけない……」
どうあっても投げたい真柄。どうあっても投げさせたくない里見。だが決勝のオーダーを考える監督・壇ノ浦は、既に考えを固めていた……。




