93回:天才左腕今日敗れる
「明智、飛び込むな! バックホームで勝負だ!」
テキサスヒットになろうかという里見の打球。ショート、サードが思い切り飛び込む。逆にレフトの明智だけは、バウンドに備えて立ち止まる。
普通、背走の内野手より正面を向いて走ってきている外野手の方が捕り易い。だがレフトまで飛び込んでしまって後逸すれば、その時点でサヨナラ負けが確定する。強豪校で鍛えられるのは、この判断力。そして明智は肩が良い。ボールが地についたとしても……。
「朝比奈、ストップだ!」
三塁コーチャーが腕を広げて二塁ランナー・朝比奈を止める。レフトの肩と朝比奈の足。前者が勝つと判断したのだ。
だが、朝比奈は瞬時に判断する。里見の後の6番伊集院、7番佐々木は今日ノーヒット、4三振。この後の連打で得点できる可能性と、このテキサスヒットで本塁へ生還できる可能性を比べると……。
「……迷うな、ゴーだ!」
「ちょ、不味いって!」
三塁ベースの角を絶妙な角度で踏み、朝比奈は加速する。三本間の真ん中に差し掛かった当たりで、緊張が走った。背中から聴こえるの声援から察するに、レフト明智のバックホームが投じられたらしい。
「間に合えッ!」
満身創痍の大麻はホームカバーに回っている。最後まで、人事を尽くしたクロスファイヤー。どんな結果でも、ただただ受け入れるのみ……。
ワンバウンドで届いたバックホーム送球。僅かに右に逸れている。朝比奈は次打者・伊集院を見た。伊集院は捕手・丹羽の捕球位置からとっさの判断を下す。丹羽がタッチしづらい左側へのスライディング指示を、朝比奈に与える。
迂回して滑り込む朝比奈。タッチに行く丹羽。クロスプレーだが両者は交錯せず、朝比奈は丹羽をすり抜けた。だが。
――まだ、本塁に触れていない!
丹羽と朝比奈は同時に立ち上がって、今度は一直線に。頭っから本塁へ突っ込む。
「おぉおおッ!」
「俺達が勝つんだァ!」
数秒経って。本塁ベースが纏った砂埃のヴェールが風で脱がされ、真実が明らかになる。うつ伏せから仰向けに状態遷移し、朝比奈の手が高々と上がった。
「激闘9回裏! 智仁高校サヨナラ勝ちぃぃ!!」
「決勝、決勝だ! 静岡が決勝行くなんて、十数年ぶりだよオイ」
「良く打った里見、よく走った朝比奈ァ!」
殊勲打の里見が本塁へ駆けて来て、朝比奈の手を掴む。
「まぁまぁの走塁だったな」
「ったく、あんなギリギリの当たりしか打てねーとはな」
ガッチリと手を掴み合い、二人は心地良い勝利の余韻を満喫する。
そして大麻は無言で、三塁ベース上に突っ立っている芯太郎へ歩いて行く。
「ふぅ、お前の高校に負けるとはな」
「……運が良かっただけだよ。ホームランだって、本来ならレフトフライだったんだから。実質タイマの勝ちじゃないか」
「結局左中間を封鎖しておいて、よく言うぜ」
大麻はこの一試合を投げ抜いた、ゴツゴツの左手を差し出す。
「それ、宣戦布告だよ?」
「細かいな、変なところで」
大麻は左手を引っ込め、右手を差し出した。芯太郎は恐る恐るそれに触れた。
「決勝は征士郎。勝っても負けても、野球は続けろよ」
「そうは言っても、約束だし」
「征士郎だって佐那だって、本当はお前に野球がして欲しいんだよ」
大麻は泣き崩れている三塁手の肩に手を置くと、整列を促す。整列、応援団への挨拶、ベンチの片付け。高校球児の務めは、まだまだ残っているのだ。
「また会おう、シン。今度はきっと、清々しい気持ちで会えるさ」
「タイマ……」
負けてなお、むしろ負けたからこそ清々しいのかもしれない大麻友志。礼を済ますと、全てを出し切った彼を応援団が暖かく迎えてくれていた。
******
試合後、一人の選手がインタビューを避け、旅館の送迎バスに直行した。
「ま、真柄君!? インタビューはいいのかね?」
運転手のおじさんも心配するほど、豪快にイスに倒れ込む真柄。
「あ~、気にしないでくんさい」
「あ、ああ……大丈夫なら別にいいが」
「ハァ、ハァ……こりゃ、キツイわ~」
肩をアイシングをしながらも、滝の様に流れる汗。真っ赤な顔と苦悶の表情。部員の誰にも見せない顔。
真柄は自分の右腕の爆弾が、来るところまで来ているのを自覚した。
「割れそうなほど痛いや……でも、よ~やく来た、最後の、一試合……」
真柄はムニャムニャと独り言を言いながら、徐々に眠りに落ちていく。痛みを上回るほど、試合の疲労があった。
「もうすぐ、本当の自分に会えるにゃ……むにゃ」
智仁高校、決勝進出。相手は三重代表・敦也学園……。大エース・望田征士郎が智仁打線に立ちはだかる。




