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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
92/129

90回:天使の歌声

「打ったァ!」


 左中間ど真ん中へ飛んだ飛球。だが芯からは僅かに外れている。

 レフトが落下点ギリギリまで懸命に走り、飛び込む。しかし差し出したグラブはボールに掠らず、朝比奈の打球は長打コースに落ちた。


 しかしその後のリカバーは流石天下の一久実業。センターがキッチリ回り込んで、ショートへの返球までをノーミスで行うと、一塁ランナー高坂は本塁突入を諦める。


「チィッ、仕留めそこなったか」


 まさか朝比奈がクロスファイヤーを攻略するとは思っていなかったのか、スタンドもベンチもやんややんや。打たれた大麻も、これには少しばかりショックを受けたらしい。


 それもそのはず。打たれたのは147キロ、ほぼ最高速のクロスファイヤーなのだから。


「なるほど、前の2打席で見た芯太郎のミートポイント……まんまパクりやがったのか」


 神主打法自体は50%ほどの出来ながら、元々バッティングセンスは高い朝比奈である。『ミートポイントが大体、神主打法開始時のグリップエンド当たり』という事だけ意識して振り抜いた。ジャストミートは出来ないながらも、面白いところに落ちてくれた。


 結果、ツーベース。二、三塁で芯太郎に回すことができた。

 球場がそのコールを待って、唸りをあげる。


「4番センター、斎村君」


 大麻が、震える芯太郎を睨む。投手は眼で打者を威圧する事もあるが、大麻の場合は単純に怒りからだった。


――言いたい事が分かるか? お前が俺と来てくれさえすれば、今のは平凡なレフトフライ。知ってるだろう、俺がお前を一番上手く使えるってな!


 やるせなさから硬球に爪を立てたくなるのをグッと堪える。彼にとって芯太郎にフラれたのは、冗談抜きに人生で一番の痛手であった。


「決勝は征士郎だ。お前は征士郎に負けたら、佐那への責任を取らされて。もう何もかも嫌になってすっぱり野球を辞めるだろう」


 セットから第一球。アウトローにストレート。この球は三塁線には引っ張り辛いのか、芯太郎の呪いがバットを止める。

 カウント0-1。


「それだけは許せない。佐那の事は確かに疑問に思う。もしわざとやったなら、許される事じゃあない。それでも!」


 第二球。ストレートが高めに大きく外れてボール。ここまでの二球は135キロ。今までの快速球と比べると幾分落ちる球だった。

 大麻は、静かに『その時』を待っている。


「佐那を差し置いても、お前は俺と来るべきなんだ。野球を続けて、いつか今度こそ頂点を極めるために」


 ブツブツと独りで喋る大麻。今の彼の心境を象徴する行動に、芯太郎の顔はますます青ざめる。


――タイマ、俺だって野球を続けたい。でも……。


「今日、ここで俺に負けたなら、野球を続けろ。まだ殻を破れないあの真柄なんかとじゃなく、俺ともう一度……」


 大きく息をついて、芯太郎は一塁方向へバットを寝かせる。ヘソの前あたりにグリップを持って来た、ゆったりとした構え。肩はガチガチ、足はブルブル震えているのに、手首リストだけがリラックスしている。変態であった。


 そして三塁にランナーがいるにも関わらず振りかぶった大麻もまた、異質であった。高坂は芯太郎の打球直撃を避けるため、決して走らない。

 振りかぶる行為、それ自体は球の威力をあまり増さない。だが大麻は、自分の気力が最大にノッた『その時』、振りかぶる衝動を抑えられなかった。

 これが天才左サイドの、衝撃のラストギア。


「俺と来い、芯太郎ォォォォォーーーーーーーーッッ」


 そのピッチングスタイルを終始支えてきた、サイドスローとしては神掛かりと言えるそのコントロール。その一切を金繰り捨てた、全力のリリース。MAX152キロのクロスファイヤーが、芯太郎の胸元へ唸りをあげて襲い掛かる。


 だが、芯太郎の呪いはその剛球にこそ反応した。タイミングが間に合わないと判断したその神経は、大根切りに似た軌道で球道への最短距離をなぞる。


 間に合ったバットとボールがぶつかり合う。その衝突角度から、根本で捉えればバットが吹き飛ばされかねないほどの球威を生む。だが芯太郎の呪いはインパクトの瞬間、右腕回内筋、太腿内転筋、そして腹筋。筋肉を極限に収縮し打撃に使う力を総動員させる。

 そして鍛えられた背筋が、クロスの衝撃を受け止めて、金属バットの快声が響き渡る。


「いったれ、スタンドまで!」


 打球を避けるため、とっさにしゃがんだ高坂が叫ぶ。ダウンスイングの割に弾道に角度があり、三塁手は反応できない。だがレフト線、何と打球を予測していた左翼手が追いつこうとしている。


「おいマジか、あのレフト」

「芯太郎の長打を捕るのか!?」


――斎村が何だ。俺だって、一久実業の左翼手だ!


 左翼手・明智は芯太郎へのジェラシーがあった。自分を差し置いて、まるで芯太郎をチームメイトの様に自慢げに語るエース大麻。その芯太郎の打球をとって、自分こそがこのチームに相応しい外野手だと認めさせたかった。


 そして芯太郎の打球は、僅かにクロスファイヤーの球威に圧された。フェンスまでは届くが、スタンドには間違いなく届かない放物線。落ちれば長打確定、捕られれば最後のチャンスが無に帰する。


「明智ィーッ!」


 大麻が叫ぶ。その声がフェンスへの激突を恐れない勇気をくれた。絶対に捕る。その迸る気力が五体を浮遊させる。

 レフトフェンスギリギリ、ジャンプ一番でグラブをボールに届かせた。


「捕っ……」


 グラブの土手に当たったボールが消える。

 着地と同時に落球を悟った明智は、360度回ってグラウンドに落ちている筈のボールを探す。


――ない、ない! どこだ、誰が隠した!?


 錯乱の中、沸き立つ観客と呆然と立ち尽くす中堅手を見て、一つの懸念が浮き上がる。


――まさか、まさかそんな!?


 本塁へ目をやる。大麻はホームカバーに行っていなかった。微動だにせず、マウンドで仁王立ち。まるで打たれた瞬間に、その結果を予感していたかの様に。


 太腿の筋肉をやられたのか、フラフラしながら芯太郎は塁を回る。


「タイマ、気持ちは嬉しいけど……もう流石にしんどいんだ」


 決して目を合わせない大麻に向かって、独り返答を送る。


「俺は……遠慮しておくよ」


 試合は振り出しに戻る。当初の注目であった、大麻と真柄の投げ合いに。

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