88回:疑惑の三凡
「待てったら! 見せてみろよ肘を!」
「やーめーてーよ~」
里見は真柄の汗の量から、肘か肩の故障を疑う。もし何か痛みのサインがあれば、自分が患部を触れば真柄自身が痛がるはず。
「さっきのイーファスだって、意図的に投げたんじゃなくて。激痛が走って手が滑ったんだろう!」
「違うってばー」
だが、肘や肩を触ってもニコニコしているだけで、痛がる表情は出てこない。
「わかった?」
「本当にどこも故障していないんだな?」
「しつっこいなー。じゃあこの回三人で終わらせたら信用する?」
「何だと?」
確かに、この回の一久実業の打順は4番から。故障を抱えたまま三者凡退に切って取れる甘い三人ではない。飽く迄疑う里見に対し、真柄は結果で語ろうとしている。
「いいだろう。少しでも何かあればドクターチェックを受けて貰うぞ」
「りょーかい」
真柄はロージンバッグを人差し指と中指の間に挟む。手汗が激しくなってきた事を自覚している証拠だ。
「……頼んだぞ」
里見は納得いかないながらも引き返していく。その後ろ姿をじっと見る真柄は、ちょっと大言壮語しすぎたと後悔した。
――さぁて、こりゃ大一番だね……。ミスったら終わり、か。
コールが審判からかかると、真柄は盛んに体を触り出した。
「あれ、投手がサイン出してね?」
「あ、本当だ! 面白れー、どうなるんだ?」
観客がざわついているのを他所に、里見はますます疑念を露わにした。委細構わず、真柄が投じる初球。
外角甘目に入るツーシーム。相手の4番・織田は様子を見てきたが、もし狙われたらかなり危ない部類の球だ。
真柄に返球した里見は電光掲示板に目をやる。134キロ。普段の真柄と比べて、やはり球速が落ちている。もう一度タイムをとってマウンドに行こうとするも、既に真柄が投球モーションに入ったので諦める。そして振り下ろされる第二球。
「うわぁっ、馬鹿!」
なんと今度はど真ん中にツーシーム。思わず里見も声を上げる程に危険度が高い球だ。当然、豪快なスイングがボールを包み込む。
だが打球はライト側ファールゾーンに大きく切れて行った。飛距離は十分ホームラン級だが、フェアゾーンに入らなければ絵に描いた餅。結果的には2ストライクを奪った形だが……。
――今の真柄なら、無駄球は使いたくない筈。三球勝負だろ。
本当に故障していれば、球数を投げれば投げるだけ身体的に不利になる。もっとも真柄の事だから、そこまでは考えていないかもしれないが。
三球目のサインを出す真柄。肩に触って、肘に触って……。出し終わるとすぐにモーションに入る。無駄に早いテンポであった。
「うっ!?」
織田は三球勝負を見抜いていた。が、外のシュート系に絞ってタイミングを取っていたのが災いした。投じられたのは、チェンジアップ。真柄のチェンジアップはコントロールがイマイチな代わりに、ストレートとモーションが変わらないという強みがあった。
「ストライーク! バッターアウ!」
「くっそ、やられた!」
見事に先頭を切って取った真柄。しかし続く大麻も甲子園では上位のスラッガー、打率3割5分に加え今大会1本ホームランを放っている。守備にも緊張が走る。
それでも真柄は早いテンポを崩さない。初球、またもど真ん中でカウントを稼ぎに来た。
だが、二度もその手を許す一久実業ではない。大麻のフルスイングが、ツーシームを捉える!
……鈍い金属音が響いたと思うと、三遊間に打球が飛んでいた。
「朝比奈、頼む!」
微妙な位置に飛んだ打球を、朝比奈が逆シングルで捕球。そこから右足でステップを踏むと、体を反転させて一塁へジャンピングスロー。誰もが魅入る華麗な守備であった。
が、肩はプロ程強くないため、ジャンプしてからの送球ではノーバウンドでは届かない。大麻の足と、朝比奈の送球。ギリギリの勝負だったが、間一髪。送球が伊集院のファーストミットに到達する方が速かった。
「アァウトー!」
大麻は真柄に目をやる。レフト線に長打を流すつもりだったのに、先程の球は今までのツーシームとは違った。明らかに球の落ち具合が違う。
「ツーシームよりハッキリ落ちた。シンカーなんて持ってたのか」
だが里見の見解は違った。落としたのではない、『自然にお辞儀した』のだ。つまり、手元での伸びがいつも以上に無い。
やはり、真柄は故障しているのか。ツーアウトまでこぎつけたのに、里見は疑念を払えない。
あれこれ考えている内に、6番打者にもツーシームを強打される。鋭い当たりだったが、これも朝比奈へのゴロに終わった。
「おい、真柄! やっぱりお前……」
「はい里見、今後この話題禁止ね」
「何言ってんだ、一回診て貰え」
「三者凡退に抑えたんだから、約束守ろうよー」
確かに、今のお辞儀ダマなら逆に9回まで持つかもしれない。だがそこまで投げさせれば、真柄の選手生命に陰を落とす可能性もある。
里見は、必ずしも勝つ事が良いとは思えなくなっていた。




