87回:MT式ギアチェンジ
衝撃的な出来事があった後というのは、得てして野球の流れは変わる物である。今起こったプレーは、一久実業にとって悪い意味で衝撃的だったに違いない。智仁ナインの士気が上昇気流に乗った。
「真柄、良く捕ってくれた!」
三重殺を成した真柄の肩を掴み、賞賛を贈る里見。だがそのみてくれに、どこか違和感を覚えた。
「放してよー」
「……お前、何か変じゃないか?」
「何が~?」
「何がって……いや、わからないけど」
「次、里見からだよ」
「あ、ああ」
嫌な予感がした。さきほどのイーファスといい、どこか普段の真柄とは違う様な……どこかに異常のサインがある気がした。
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「お、マグレが出た!」
5回裏。里見のバットに衝突したボールが三遊間を綺麗に破った。まごう事無きクリーンヒットだ。
「やるねぇ里見! 流石アフリカン!」
「伊集院、しっかり送れ!」
智仁のバント名人・伊集院が世界の犠打王の物まねをしっかり披露。里見を二塁へ進めた。スコアリングポジションに進む今日初めての展開に、智仁側のライトスタンドは沸き立った。
しかしマウンド上の大麻は、落ち着いて指先にロージンを塗す。4点という点差が、彼の心に余裕を与える。
「佐々木! 転がして間を抜け!」
「デカいのいらねーぞ!」
レギュラーセカンドの佐々木もまた、甲子園で圧し掛かる期待に応えたい気持ちがあった。だが、得点圏にランナーを置いた大麻は残していたギアチェンジを惜しみなく使う。
「ストライク、バッターアウト!」
「えっ!?」
球速が明らかな違いを見せた。今までは速くても、140キロ前後のストレート。だが今のクロスファイヤーは、三球とも145キロを超えてきた。左サイドからこの球速、さらにインコースギリギリに決まるコントロール。高校生に打てる道理は無かった。
「うわぁ、やっぱ怪物じゃねーかあいつ……」
「あんなのプロでも打てないんじゃ? どうするんだよ4点とか」
「もう無理じゃね?」
一度は盛り上がった観客席も、大麻が本気を隠していた事を悟り意気消沈。結局2死2塁、あと1アウトでこのチャンスも潰れてしまう。
せめて一点、という希望を一身に受けた次のバッターは。
「8番ピッチャー、真柄……君」
その名に大麻の気が引き締まる。念入りにロージンバッグを触り、コントロールミスの可能性を小さくしておくその仕草。明らかに真柄を意識している。
「お前にだけは負けられねーわ。どっちが芯太郎に相応しいか、ハッキリさせようや!」
「え、何か言った~?」
組立で伏線を張る。初球は外のストレート。二球目は外のカーブでカウントを稼いだ。三球目、高めに浮くストレートで遊ぶ。
次に勝負球が来る事は、誰もが感じ取っていた。
「来る、クロスファイヤー」
「真柄があれをどう打つか……ベンチで見てた分、何か秘策があるかも」
「見物だぜ」
だが4球目。予想に反して投じられたのは、アウトコースへのチェンジアップ。
「えっ」
145キロを超えるクロスファイヤーに備えていた真柄は、見事にタイミングを崩された。しかも投球はストライクのコースを通る。見逃せば間違いなく三振である。
真柄は懸命に腰を残す。ギリギリのところでヘッドを合わせ、ライト方向に打球を運んだ。
「おっ、面白い所!」
「落ちろーッ!」
一塁後方へ打球がフラフラ浮かぶ。背走の一塁手、回り込む二塁手。どちらが取るにしても際どい所に打球が落ちてくる。
「届けッ!」
一塁手がジャンプするも、ミットに打球が掠っただけ。そのおかげで勢いが更に弱まった打球を、セカンドが飛びついて拾いに行く。が!
「落ちた?」
「タイムリーだー!」
絶妙なテキサスヒット。芯太郎などには決してない、真柄のバットコントロール技術の勝利であった。
「やるな真柄……流石、芯太郎を上手く使えるだけの事はある」
それでも三点差。打球としては完全に打ち取った当たりだったためか、大麻に変調はみられず次打者は三振に倒れた。
むしろ、異変が見られるのは……。
「汗」
「え?」
「今気づいた。真柄……あいつ、汗の量がおかしい」
夏の甲子園の気温は異常。そのためによる発汗量の変化だと思いたかったが……。里見は、真柄の故障を疑った。




