86回:ハエが止まりそう
ベースの一部を斬る様にして向かってくるクロスファイヤー。芯太郎はほどほどに体を開くと、へその前あたりにミートポイントを持って来て、振り抜いた。
「あーッ、真正面ーッ!」
芯太郎の第二打席での打球もまた、痛烈であった。しかし今度は三塁手・滝川のガッツに軍配が上がり、サードライナーに終わる。
「よーし、良く捕った滝川!」
グラブを叩く大麻は圧巻のピッチングを続けている。4回を終わって未だ0対4。出したランナーは芯太郎ただ一人の準パーフェクトであった。
「今日はすげぇな、大麻」
「あの斎村以外、まるで寄せ付けてないよ」
「四点差……これはもう、決まったか?」
しかしどんな大投手であろうと容赦なく喰らって来たのがこのマンモス甲子園球場である。如何に最強の左投手とはいえ、打ち崩せるときは来る筈。そう信じて疑わないのは、智仁の特待生達。
「さっきの芯太郎の打席、ちゃんと見とったか?」
「ああ、打ち方のヒントが何個かあった」
「本当か朝比奈? 次の打席期待しとくぞ」
「まず次の回にお前が打てよゴリラ!」
いよいよ、次の回から攻略にかかる。そんな意気で守備についた朝比奈、高坂、里見らスラッガー達。だがその前に、竹中がいよいよ限界に差し掛かって来た。
「コンパクト教~!」
謎の言葉を叫びながら、三遊間をゴロで抜いて行く。芯太郎の外野守備を見て、大きい当たりを狙うのは得策でないと判断したのだろう。一久打線は明らかに長打を捨てコンパクトに振ってきている。
「ゴロだ! 強いゴロを打て!」
「凄いのは外野守備だけだ。投手自体は大したこたぁない!」
強いチームに共通する、自分の役割をこなすための最善を個人で遂行できる能力。一久実業にはそれがある。9番から始まった攻撃だったが、9,1,2と三連続でレフト前ヒットを浴びる竹中。
――限界か。芯太郎の守備もゴロヒットではどうしようもない!
「竹中、踏ん張れ。9回までには逆転してやる」
「ま、まだまだ……いけますよ!」
まだ、闘志までは折られていない。竹中の球威で一久打線を押さえられるかどうかは不安だが、投げられる奴はもう芯太郎ぐらいしかいない。里見も竹中と心中する覚悟を決めたその時。
「智仁高校、選手の交替をお知らせいたします。ピッチャー竹中君に代わりまして、真柄君。ピッチャー、真柄君」
「な、何だとぉぉぉ!?」
完全休養のはずのエース。この試合まで、3試合。ほぼ一人で投げてきた疲労困憊のエースが、小走りでマウンドに向かってくる。
「おいおい! 本気かよ!?」
「あの監督、投手の肩を何だと思って!」
「まぁまぁ~、いいって事よ。竹中、よく頑張ったね~」
「す、すいません……真柄さん」
項垂れながらベンチに下がっていく竹中。観客には拍手で迎えられる。
「すみません、監督……」
「まだ終わりじゃない。真柄に勉強させて貰え」
「は、はい!」
マウンドでボールをこねている真柄に、里見がミットで口を隠しながら尋ねる。
「大丈夫なのか?」
「だって負けたら終わりだよ? 大丈夫も何もないって~」
「選手生命」
ボールを弄ぶ真柄の手が一瞬止まる。
「……に関わったりしないよな?」
「まっさかぁ」
「ならいいが。今日は全員左だ。『いつもの配球』は通用しないからな」
「オッケー―――イ!」
やけにハイテンションな真柄に違和感を覚えながらも、里見はキャッチャーボックスへ戻って行った。無死三塁。エースを投入したこのタイミングでピンチを防げれば、波に乗れるかもしれない!
内野は定位置のまま。里見は満塁でのスクイズはないと判断した。
「三番ファースト、柴田……君」
三番に対する初球。満塁であるだけに、入りは慎重になる……と、思いきや。
クイックモーションから急に動きを減速させたと思ったら、高々とボールを投げあげた。
「※イーファス・ピッチ!?」
誰もが虚を突かれた。走ろうと思えばホームスチールも狙える三塁ランナーが、しどろもどろになるほどに大胆な一球。そして打者の柴田は、この珍しい球を打ってみたい衝動に駆られた。
だが。このイーファスのミートポイントは、『線』ではなく『点』。次元の違う打ちづらさがある。
「ふぬっ!」
それでもミートするのが強豪・一久実業のクリンナップ。呻き声と共に響く打球音。イーファスに掠ったその打球は、真柄に向かう鋭いライナーとなって襲い掛かる。
「うわっと!?」
股を抜けそうになるところ、真柄の差し出したグラブに引っかかる。ノーバウンドで捕球するかと思った各ランナーが、慌てて次塁へ走り出す。
「一個め! 里見~」
ホームへ転送。里見が掴んでまずは1アウト確保。その球をすかさず三塁へ転送する里見。懸命に走る三塁ランナーだが、一歩手前でフォースアウト。
「二個め! 宮部、ファーストだよ~」
「こ、これってまさか!」
これから起こる事を予感し、観客にも緊張が走る。
三塁手・宮部が返す球を迷わず一塁へ。
「ああ~やられた。柴田の奴、足遅いんだよなぁ……」
チェンジを悟った大麻が天を仰いで、マウンドへ歩き出す。
真柄忍、圧巻の一球。三重殺の完成であった。
※イーファス・ピッチ……とてつもなく遅い、山なりを描く投球の事。




