84回:一緒に来てくれれば
外角を思い切り引き付けた打球は、左中間ど真ん中へ飛ぶ長打コース。そのど真ん中に、悠々と追いつくのがこのふざけた守備範囲を持つバンダナボーイ。
「アウト!」
「いやもう反則だろあれ。ほとんどギャンブルスタートで一歩目を切ってるくせに左中間、右中間どっちに打っても的を外しやがらねぇ」
「愚痴るな。もう点は取らなくていいぞ、丹羽」
投球練習へ向かう大麻。ここから一点も取られないと言う、確固たる自信が背中に現れていた。
「頼もしいねぇ、うちのエース様は」
一久実業は愛知県……というより日本屈指のスポーツ校である。サッカー、バレー、バスケ、ラグビー、陸上……あらゆる競技において全国区。その中でも野球では、プロ野球選手は勿論、メジャーリーガーも輩出するほどの名門中の名門。
全国各地から集まった野球の天才たち。その中で一際光を放っていたのが、この左サイドからのクロスファイヤー。彼よりも速い球を投げる投手は、何人もいた。だが彼らはいずれも、投手としての才能では大麻に遠く及ばなかった。
投手としての才能。即ちそれはコントロール。左サイドで四分割に投げ分ける事ができる大麻は、望田とならんで高校No1投手として一位指名が有望視されている。
それほどまでに、サイドスローでの制球がつく投手は珍しいのだ。
「二回裏、智仁高校の攻撃は……四番、センター、斎村君」
大麻は、芯太郎の動体視力なら通じると信じて口パクで言葉を飛ばした。
――きょう、にゅーす、みた?
芯太郎は何も返さない。だが、眼は虚ろ。足は震え、背中は縮こまっている。いつもの、ランナー三塁の時の症状が出ていた。
「俺の挑発に乗るとか、そういう次元じゃないわけね」
「……」
「いくぞ、芯」
大麻はプレートの端に足の側部をピタリを張り付ける。少しでもクロスファイヤーの角度を鋭くするためだ。大きく振りかぶり、しなる左腕がいきなり打者の前に現れる。
右打者からしてみれば、まるで自分の体を狙って投げているかのような、そんな殺意を思わせるウィニングショット。インコース、ギリギリに決まった時の投手の快感、打者の絶望は測り知れない。
「ストライーッ!」
芯太郎は手が出せなかった。ずっと手と、足と、眼が震えている。
大麻にはもう分かっている。芯太郎は自分がマウンドで投げる姿を見て、『あの時』を思い出して震えているのだ。大麻は望田が伊勢で言った言葉を思い出す。
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「ランナー三塁の状態でなくともこいつは『打てなくなくなる』。あの時の状況に近ければ近い程、再現精度が高くなる」
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「あの時に、結果が収束する、か」
いつか望田征士郎の言った通り、この後芯太郎が放つ打球があの時、佐那に直撃したものに近似されるなら。芯太郎は自分の最高のクロスファイヤーでさえ打てるという事になる。
「そう言われると……試してみたくなるじゃねーか」
「……」
「いいだろう。打ってみな! いくぜ、かつての球友!」
二球目は外角一杯のストレート。テニスで言う所のダウンザラインが決まった時の様に、綺麗にベースの端を舐めた。
「ストライクツー!」
間髪入れずに三球目。今度は真ん中低めに落ちるスライダー。ワンバウンドするも芯太郎は見送ってボール。ここまで、全ての球を見送っている。
――振らないつもりか。今はランナーがいない。それにお前はヒットも少ないが、三振も少ないのが特徴だ。知ってるぞ、次は振って来るってな。
誰よりも芯太郎を知る男。芯太郎の『呪い』に、七割の打率を誇るその状態異常に真っ向から勝負を挑む。
「この楽しさ、俺にしか分かるまい。勝負だ、芯太郎!」
満を持しての超対角線、クロスファイヤーが内角一杯に鋭く食い込んで来る。これだけ外に散らされた後のインコース。高校生は勿論、プロ相手でも早々打たれはしない。それも大麻のコントロールがあればこその芸当であった。
だが。彼は見た。思い切り体を開いて、尚且つ素早く腕を畳む神主打法の一連動作。そして爽やかな金属音を残し、打球は三塁線に飛ぶ。
「サード!」
三塁フェアゾーンの打球は、三塁手の真正面。しかしその衝撃から、グラブのポケットに入った筈の打球は頭上に再び浮遊した。
「くっ!?」
ポトリと落ちたボールをすぐさま握り直し、一塁へ送球しようとするも時すでに遅し。智仁の初ヒットは、芯太郎のサード強襲内野安打であった。
「うおぉ、あのバンダナが打った!」
「何だあいつ、打撃もスゲーじゃん。あの大麻のクロスファイヤーを強襲ヒットだぜ!」
あの守備に、特定状況下においてのみとはいえ、この打撃。つくづく大麻は、デカい魚を逃がしたと悟った。
――流石、東海で伝説を作った芯太郎だな。伊勢神宮シニアで勇名を馳せた俺とお前。一緒に一久に来てくれていれば……何度全国制覇できていたんだろうな。
芯太郎の存在価値を最も分かっている二人の内の一人。それが大麻友志である。残るもう一人は、智仁のベンチで天井のシミを数えていた。




