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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
79/129

77回:心の間隙

「6番、ピッチャー、真柄……君」


 智仁側応援団の落胆と、それ以外の観客の驚きは如何ばかりか。その殺人的な打球のせいで、満塁でレフト前に転がったにも関わらずレフトゴロという過去にない記録が生まれてしまった。


 まだ1ナウト満塁。以前智仁のチャンスは続くと言うのに、球場はお通夜の様な雰囲気に包まれた。


「ちょっとちょっと~。成田はまだ死んでないよ~みんな~」


 そんな中で一人ポツンと打席に立つ真柄。バッターボックスの一番端にチョコンと立つ。プロ野球で投手が良くやる、デッドボールによる怪我を避けるやり方だが……。

 一点勝負の今、投手と言えど打たないという選択肢はないはずだった。


「あんた、打つ気ないのか?」

「君今さ、ドキドキしてる?」

「は?」


 球場の注目は今や真柄にない。恐ろしい打球を放った一塁ベース上の芯太郎に注がれていた。カメラマン席もここぞとばかりにシャッターを切りまくっている。

 そんなイグノアもどこ吹く風、真柄は相手捕手ににこやかに話し掛ける。


「ドキドキしてるでしょ?」

「な、何言っとるんや! 頭おかしいのか」

「芯太郎のあの打球で、成田が死にかけたんだもん。火サスの現場を生で見た様な衝撃だよね。そりゃ、ドキドキするよ」


 どこか落ち着かない下間が第一球を投じる。高めにストレートが外れてボール。


「この球場の雰囲気も、何かいけない事しちゃった感じになってるしね」

「お前、ちょっと黙らんかい!」


 第二球。インコースに大きく外れてボール。明らかに下間は動揺していた。このままでは押し出し四球まであり得る。捕手が「楽に楽に」のポーズを見せて落ち着かせようとするが、その捕手の動きも堅い。

 ちょっとした事で崩れてしまうのが、野球人の繊細なメンタルである。目の前で、あわや殺人となりかけた打球直撃を見たのだ。動揺も仕方がない。


「ドキドキしてるねぇ」

「うるさいよお前!」

「でもごめんね」

「何が!?」


 第三球を投じようとしたその時、真柄はバッターボックスの端から一気にベース寄りに移動した。その途中、呪文を唱える。


――ミート、パワー最大、満塁男、プルヒッター……勝ち運!


 突然の移動に驚いた下間は、思わず腕の振りが縮こまった。期せずして投げたチェンジアップが、ゆっくりとホームベース真ん中に向かって進んでいき……。


「ごめんね。俺、ドキドキしてないんだ」


 腰に巻き付く様な最短距離のバットスイング。溜めに溜めた体重移動の爆発。真芯で捉えた打球は角度をつけて飛んでいく。


 下間の横を、鷹野の頭上を、レフトを守る三好選手の背中の上を、ボールの陰が進んでいく。

 もう一伸びが足りないか、と思われた打球に、必死の背走を見せる三好左翼手が追いつく。フェンスギリギリ、捕球体勢に移る。後はボールが落ちてくるだけ……。


「は、入った―――――ッ!」


 しかし無情にも、ボールは彼の元へは落ちてこなかった。グラブを甲子園の天然芝に叩きつけるその仕草が、池山にとって最悪の、智仁にとって最高の結果である事を物語っている。


「ま、真柄ァーーー!」

「凄い凄い凄――――い!」

「エースの真柄がやりやがった! 逆転満塁ホームラァァァン!」


 0割打者の芯太郎の打球で人が死にかけた。その光景を目の当たりにした下間は、切り替えるのが余りに遅すぎた。そして真柄が狙ったのもまた、その隙であった。

 朝比奈も、里見も、勿論当人の芯太郎も心ここに非ず。そんな中で。


 真柄だけが、ドキドキしていなかった。隙をつく事だけに集中していた。首を狩る死神の鎌の様に、狙いすました一撃だった。


「いやー、ちょっと出来過ぎだったね。確かに長打は狙ったけど」

「真柄、お前……」

「ごめんね関西の人。俺もちょっと甲子園ここでやる事があってさ~。負けるわけにはいかなくって」

「……やはりお前の野球センスは、侮ったらアカンかったか……けどな」


 鷹野はチームメイトに喝を入れる意味で吼える。


「まだ終わっとらんでぇ!」

「うん。9回裏、楽しみにしとくねー」


 まさかまさかの3点リードを許した去年の覇者・池山学院。9回裏、ランナーが二人出れば鷹野に打席がまわる。それが唯一の希望であった。

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