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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏・甲子園 ――崩壊の章――
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76回:実はインプレー?

 それは丁度今行っている甲子園大会と同じような、暑い暑い夏の日であった。


 全国大会の一回戦。東海を勝ち上がって来た三重の伊勢神宮シニアと、近畿を勝ち上がって来た超中学級スラッガー鷹野を擁する豊国大明神シニアの試合。優勝候補同士……というわけでもなかったが、主戦力がどちらも中学二年という事で話題を集めた。未来のプロ野球選手対決とも言われていた。


 とりわけ注目されていたのが、伊勢神宮の二年生エース・大麻友志。そして豊国の三番を打つ二年生スラッガー・鷹野三郎。そしてもう一人……二年生ながら、それも女子でありながら伊勢神宮のクリンナップを打つ超中学級女スラッガー・望田佐那。この三人であった。


 佐那は挨拶の時から、鷹野に対し闘志を燃やしていた。だが実際には、鷹野の眼中に佐那はいなかった。シニアでは変則の部類に入る左サイド、大麻友志をどう打つか。そこに焦点が合っていたのだ。


 だが実際に対戦してみると、大麻のインコースに食い込むストレートは、オープンスタンスに構える事で対応が出来た。レフトへ長打コースをポンポンと飛ばす事が出来た。


 そう、飛ばす事はできたのだ。だがもう一伸び。もう一伸びで抜けて長打になるというギリギリに、常にその男が追いついて来る。伊勢神宮の8番レフト。外野守備のスペシャリスト・斎村芯太郎。守備に関してだけ言えば、シニアの選手の中に一人、プロ野球選手が混ざっているかのような守備範囲の広さであった。

 試合は最終回、その芯太郎の頭を越える鷹野のサヨナラホームランで幕を閉じた。だが自分の打球速度と、芯太郎の守備範囲との勝負では明らかに負けていた。野球はそういう勝負の場では決してない。だが全国を制した豊国大明神シニアに所属し栄光を勝ち取り続けた鷹野にとって、それだけが心残りだった。


 スコアボードに刻まれたその名前を、鷹野は忘れる事はなかった。だが、気になったのは守備の事だけでは無かった。その日も凡打の山を築き上げた芯太郎の打席を見ていて、一つだけ疑問が沸いた。


――何故、フライがそんなに高く上がる?


                     ******


 鷹野は芯太郎のバッティングも、実は非凡なのではないか。そう考えていた。だがこの試合も、既に3打席の凡退。そしてこの第4打席、満塁の好機にいったいどんな打撃を見せるのか。


「他の誰が警戒しなくても、俺だけは本気で構えたる!」


 三塁ランナーを無視する三塁手。にも関わらずリードを取らない三塁ランナー。これから何が起こるのかと、あれほど喧しい甲子園が静まり返る。

 

 そして、第一球。下間もまた、その雰囲気を感じ取って本気でコントロールを付けに来た。

 外角一杯、ストライクからストライクへ曲るスライダー。伝家の宝刀、それも今日一番コントロールされたその球を、地区予選の0割打者に使う。


 そしてそのスライダーにバットが伸びる。右打者が外のスライダーを引っ張るには、相当強引にバットのヘッドを巻き込まなければならない。思い切り外に踏み込んで、思い切り体を内によじって引っ張らなければならない、不自然な打ち方だ。

 だが芯太郎の体は、いつの間にか打席から出そうになるほど一塁側に寄っていた……。


――馬鹿な!? 俺の最高の球を……。


 下間がスライダーを打たれたのは初めてではないだろう。だが外ギリギリのスライダーを、三塁線に引っ張られた事が果たして彼の人生であっただろうか。


                     ******


――今、一体何が飛んで来たんや。


 鷹野は見た。三塁ベースより若干前に守っていた自分の横を、まるで風の様に……いや弾丸の様に駆け抜けていく芯太郎の打球を。


「打ったーーーッ!」


 驚くべきはその球足の速さ。だが、智仁ナインが逆転の長打を確信したその一瞬、信じられない事が起こる。 

 応援団が叫んだと同時に、呻き声が三塁から聴こえてきたのだ。

 全く反応ができないほどの豪打球が、三塁ベース上にいた成田の横っ腹にダイレクトで突き刺さっていた。それでもなお加速度があったのか、ボールは成田を弾いて転がっていく。


「アアーッ!? 当たっちまった」

「おいおい、ランナーアウトじゃねーかよ! 何だよもう……」

「痛そー」


 ランナーに打球が当たった場合、一旦ボールデッドとなり当たったランナーがアウトになる(記録はヒット)。ちょっと野球に詳しければ知っているルールである。

 蹲る成田。レフトファールグラウンドへ転々とするボール。気づいた鷹野が、猛然とボールを追いかける。


「成田! 立て、本塁ホームへ走れ!」


 里見が叫ぶが、成田は蹲って立ち上がれない。観客席も、里見が必死の形相で叫んでいるので不思議に思っている。


「『インプレー』だ! まだアウトじゃない!」


 里見の声でようやく理解した成田は、力の入らない横っ腹を押さえながら本塁へ走る……否、這う。

 実は、審判が守備側がボールに触る機会がなかったと判断した場合、ランナーに当たってもアウトにはならないのだ。

 この場合、鷹野の真横を抜けて成田に打球がぶち当たったため、成田に当たろうが当たるまいが打球を捕る事ができなかったとして、密かに審判がセーフの宣告をしていたのである。


 脇腹が折れているかもしれない。死ぬほどの痛みと戦いながら、成田はホームへ必死に這う。


 鷹野が打球に追いつき、バックホーム。ボールは深いところまで転がっていたため、かなり微妙なタイミングとなった。同点か、それとも満塁でヒット性の当たりが出たにも関わらず無得点か。判定は……。


「……アウトォー!!」


 静けさを打った甲子園が沸いた。観客が理解しているかは分からないまでも、試合に大きく動きがあった事は誰にでも分かる。何とも記録員泣かせのプレイであった。


「成田! 大丈夫か!?」


 伊集院がコールドスプレーを持って駆け寄る。あまりの痛みに血の気が引いている成田。そしてそれは、芯太郎も同じであった。

 だが、一番青ざめていたのは鷹野であったかもしれない。


――出とった……。間違いなく、160キロは出ていた……。


 生涯で、一番速い打球を目の当たりにした日であった。


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