66回:技を借りるぜ
「えー創立からはや二十年。伝統ある進学校であると共に、ささやかな願いとしてスポーツの栄光、特に野球部の甲子園出場を私は夢見てきたわけでして……」
祝勝会場。こういう時、校長の話が長くなるのはお約束である。飲料水がなみなみ注がれたコップを持つ生徒や保護者、OB会の手が震えはじめる。
そんな中で芯太郎は会場のベランダで一人、腰掛けていた。
「一番の主役が何やってるんだよ」
「別に、主役じゃない」
「お前が主役じゃなかったら俺は何だってんだ」
気づいた朝比奈が近づいて来る。
「今大会守備率10割、まぁ打率はあれだが初ヒットが決勝ホームラン。甲子園行きの切符は紛れもなくお前のお蔭だ」
「朝比奈が俺を褒めるなんて、明日は雨が降るね」
「最上に悪い事をした、なんて思ってないだろうな」
「それは……」
「あの場面で打てるのはお前しかいない。皆感謝してるさ。それに俺は今日のホームランで思ったよ。お前の起用法はやっぱり、代打の切り札の方がいいと」
乾杯前に飲みほす豪胆さを見せつける朝比奈。
「だが守備得点という考えでいけば、俺が間違ってるってのも納得せざるを得ない」
「考え方はどっちでもいいよ。俺は打撃がキライで、守備がスキなんだ。代打でバッティングだけやれと言われたら、正直ゾッとする」
「俺はお前のそういう考えにゾッとしねぇな」
飲んでいいかと思ってチビチビ飲み始めた芯太郎が、横目で朝比奈を睨む。
「人それぞれでしょうよ」
「本当に打撃が嫌いなら、振らなければいいだけだろ。振るから『打てなくなくなって』バットに当たるんだろ」
「……好きで振ってるわけじゃない」
「お前の過去の事を聞いたら、そりゃ神経がおかしくなるってのは分かる気がする。でも野球に関わっている以上、打撃が嫌いってちょっとあり得ないとしか思えない」
熱くなって身を乗り出してきた朝比奈を、消耗した握力が制した。
「真柄、エースは会場に残ってろよ」
「いやいやいや。主将がいないとかあり得ないでしょ~」
「どうせあと30分は続く。心行くまで語らせてやるさ」
首を振りながら会場を指さす真柄。朝比奈は渋々戻っていく。
「全くモテモテだね、芯太郎は~」
「こういうモテ方は嫌だよ」
「まぁ、その頭じゃねぇ」
もはや乾杯の合図など誰も待っていないのか、真柄もペットボトル20本も貰ってしまったオレンジジュースの消費に着手し始めた。保護者会の仕業である。
そこで突然、芯太郎がバンダナを取り払ったため、真柄は噴き出した。
「げほっ、ツルッツルじゃんか~。これには忍もドン引き」
「どう思う?」
「高1の時はちょっと10円が何個か埋まってるとだけ思ったけど、二年で落ち武者になって……今じゃ見事にライオンズ→ドラゴンズになってるね~」
率直な意見に溜め息をつく芯太郎。
「じゃあ聞かなきゃいいじゃんか~」
「今日、最上が高めの速球を投げてくれなかったら、朝比奈を殺していたかもしれない。打球が上ってなかったら」
「あのね。三塁ランナーがそんなちょくちょく死んでたら、野球なんてとっくに廃れてるから」
「それぐらいのストレスだって事だよ。どうやったって、何を変えようとしたって三塁線に打球が飛んでしまう。体が同じ動きをしてしまうんだ」
肩に手を置く真柄。筋肉を掴むその弱弱しい掌が、消耗具合を告げていた。
「打撃は嫌い?」
「何を今更。知ってるだろう」
「でも毎日、シャドウしてる俺の横で素振りをしてた」
「振るのはその……別なんだ」
「ふーん……」
ニヤニヤしながら、どこに隠し持っていたのか携帯ゲーム機を取り出すと、電源スイッチを押してしまう真柄。
「まぁ安心しなよ。もうすぐ終わるんだからさ。どう転んでも8月には終わる」
「国体があるかもしれないだろ」
「無いよ」
「いやいや、ベスト8に入ったらの話」
「入ってもないんだよ」
「は……?」
真柄はそれ以上何も言わなかったが、どこか虚ろな目をしたかと思うと、何とゲームをしながら寝息を立てている。連戦で体力を使い切ってしまったらしい。
「国体が無いって……一体何を?」
校長の話は、まだまだ終わりそうになかった。




