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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏 ――殊勲の章――
67/129

65回:偽らざる幕切れ

 高津学園エース・最上雄大は思う。


 これで終わりだ。9回に至ってもまだ、この腕は鉄のままでいてくれた。150キロ、高めに最高のストレート。バットに当たった時点で、打球は真上に舞い上がる様に出来ている。


 高く高く昇るその打球は、三塁手の遥か上を通過して、左翼手・延沢のべさわの定位置まで達する。確実に内野への凡打になる投球を、それでもそこまで飛ばす。やはり好敵手と認めた相手は、凄まじい打力を持っていたらしかった。


 そこまで認めた時点で、背筋にヒヤリとした風が吹いた。定位置から少しずつ、少しづつ左翼手が後ずさる。後ずさりから、はっきりとした歩に変わる。それが更に、背走へと状態遷移する。


 なぜ。どうして……。


「何故、打球が伸びている!?」


 必死に追う左翼手の遥か手前、朝比奈は既にホームイン。里見も三塁を蹴ろうとしている。それほどまでに滞空時間の長い大飛球。打った芯太郎も、二塁手前に来ている。


 だが、走塁技術の必要がなくなる可能性があった。観客が喚いているのは、そのためだ。


「入れ、入れー!」

「やめてー! 入らないでー!」

「入れば逆転、智仁が逆転だ!」

「切れろ、ファウルになれー!」


 皆思い思いに悲鳴を上げる。そのあらゆる感情を吸って、打球はポールへと近づいて行く。

 最上は、そんな中でも最善を尽くす為、左遊間さゆうかんへ走り出す。


 そして打球の行方が確定する。スタンドインはならず、諦めてクッションボールを待っていた左翼手の真正面に戻ってくる。

 だが、芯太郎は既に三塁手前まで来ている。既に同点、更に逆転のランニングホームランが直ぐそこまで迫っている。


「バックホォォォーム!」

「延沢、俺に投げろ!」


 打球が跳ね返るのを信じて、諦めずに中継に来ていた最上。逆転阻止はその強肩に託された。


――斎村、俺とお前の最後の勝負だ!


 三塁を蹴った芯太郎の後ろから、最上のレーザービームが迫る。ストライクの送球が先に届く。だがタッチプレーは、ここからの逆転が十分にある。スライディングで回り込む方向が右か、左か。その選択を捕手が迫られる。

 だが、この捕手・氏家は一級品であった。焦らず、ゆっくりとベース上で待ち構える事で、セーフになるあらゆる可能性を排除した。芯太郎の真っ青なバンダナが露わになるほど激しいスライディングにも悠々と対応した。


「アウト、アウト、アーウッ!」


 歓声と溜息が混ざり合う。一気に沸き立つ高津ナイン。同点にはされたが、逆転の危機を乗り切った。最上もまだ投げられるし、投手はあと二人も控えている。延長になれば、絶対に有利だと言う自負があった。


 芯太郎に打たれたとはいえ、最悪の事態を避けることができてホッと一息をつく最上。ベンチに戻る前に、クッションボールを最速で処理してくれたレフトの延沢に声をかけようと、左翼側に目をやったその時。


 見てはいけないものを見てしまった。






 



  左翼から走って来る三塁塁審がグルグルと腕を回している。










 それが何を意味するか、一瞬分からなかった。否、一瞬だけ脳が理解を拒んだのかもしれない。

 ガックリと項垂れる左翼手・延沢の姿が、その事実をようやく認めさせる。


 だが、納得はできなかった。


「誤審だ! だって今のは、今のボールは俺の最高の球だぞ!? そんな、そんなわけないんだよ! なぁ、ちゃんとビデオ判定してくれよ! 頼むよ、お願いします、お願いだから……」


 眼に涙を溜めて主審に懇願する最上だが、捕手の氏家に制止される。そっと差し出されたボールを手に取ると、偽らざる跡がそこにあった。

 オレンジ色の塗料。レフトのポールと同じ色が、最上の涙腺を解放した。


                   ******


「あと一人だ!」

「やばい、私緊張して来た!」

「斎村君、お願い!」

「やばっ、どうしよ。涙出てきた」


 高校野球は最終回、特に9回の裏にドラマが待っている物である。だが高津ナインの心を折るには、芯太郎のホームランは十分すぎた。

 既にツーアウト。4番最上の打席で、芯太郎が5度目のリリーフに向かう。


「おいしいとこ持ってくね~」

「監督に言ってよ、もう」


 3球の投球練習の後、最上と相対した芯太郎は今までの打席と違い、全く力みが無いと言う事に気づいた。脱力の極み。諦めから来るのか、技術的な物なのかは分からないが、打者としては今迄の打席より数段

上の最上になっていた。


「締めてけよ、芯太郎」

「シンタローッ、センターに打たせぇ!」


 朝比奈と高坂に気合いを入れられ、芯太郎と最上の最終決戦が始まった。

 初級のスライダーを見送り、ストライク。二球目のカーブをファウルし、芯太郎は最上を追い込んだ。まだボール球を三球投げる余裕がある。明らかな投手有利の中で里見は一球、高めのツリ球を要求する。


「勝つ……必ず勝つんだ……」


 最上の眼が据わっている。その眼に負けたのか、芯太郎は高めに外す球をど真ん中にコントロールミス。里見はホームランを覚悟して、思わず目を背けた。


 金属音と、グラブの弾ける様な音が立て続けに鳴った。


「終わったか……」


 最上はもう、項垂れる事すらせずにベンチへ帰って行った。最後の攻撃はピッチャー強襲、芯太郎の守備に阻まれゲームセット。


 内外野から、智仁ナインが芯太郎の元へ駆け寄ってくる。


「勝った、甲子園だァー!」

「やった、やったよ芯太郎!」

「甲子園、俺達がついに!」

「一年越しの夢舞台だ!」


 そんな中でも高坂はクールに肩を叩いただけだったし、真柄は「早く整列して帰ろうよ~」などといつも通り。そんな彼らも、心の底では喜びを隠しているに違いない。


「おい、整列だ。最後までちゃんとやろうぜ」

「朝比奈、目に涙溜まってるよ?」

「う、うるさい! 早くしやがれ!」


 泣きじゃくる高津学園の選手達と、興奮冷めやらぬ智仁高校の選手達が、主将の握手の後にガッチリと握手を交わしていく。そんな中で、最上は一直線に芯太郎に近づいてきた。思わず後ずさる。


「俺は、お前に敵う器じゃなかったらしい」

「……俺のは、実力とはちょっと違うんだ」

「俺を倒したんだ。勝って来いよ、甲子園」


 目を真っ赤にして芯太郎と抱き合う最上。好敵手にエールを送り、有終の美を飾った。

 私立智仁高校、甲子園初出場がここに決定したのである。


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