62回:リーチをかけろ
「アベレージヒッターギャッキョウマルチャンスヨン……」
念仏の様な物を唱えながら、真柄が打席を踏み固める。1アウト一・二塁。ダブられなければ芯太郎まで回るが、打順が良すぎる。ここで五番の真柄にバントでなく強打をさせるのは、当然の選択と言えた。
「ふぅー」
大きく息をつく最上。スピードの平均は既に2~3キロ落ちてきている。150キロはもう出ない。三連打の可能性も十分ある。
外野は浅めに守っている。ワンヒットでホームは難しいが、その代わり外野の頭を越えやすい。真柄には長打もある事を、智仁ナインは知っているがために期待する。
そして初球。頼みの綱のスライダーを思い切り引っ叩く。
「もらい~」
ジャストミートの打球だが弾道が低すぎた。ショート真正面のライナーに反応し、体を捻りながら二塁バースへ飛ぶ朝比奈。コンマの差でボールの転送よりも早く手が届いた。
「セーフ!」
「っぶねぇー」
火の出る様な当たりが野手の正面に飛ぶ。これも、勝てる投手の条件の一つ……『持っている』という事であろうか。
最上はここぞの場面で長打を喰らわない粘り強さがあった。
「弾道あげるの忘れてた~。ごめん伊集院、あとよろしく」
「お、おう! 任せとけ」
ウグイス嬢のアナウンスが、伊集院の筋肉を硬直させる。
「6番、ファースト、伊集院……君」
「お、おねあいしゃーす!」
緊張しきった体を少しでもほぐすため、大きく体をのけぞらせてホームラン王(ベネズエラ出身)の物真似を披露する。その構えとは裏腹に、この場面でやる事は地味な仕事である。
壇ノ浦からの高速ブロックサインを解読すると、打席の一番前に正対気味にスタンスをとる。あからさまな送りバント。
が、この送りバント。成功して当たり前というものではない。大一番の送りバントは、後の事を考えると恐ろしいプレッシャーとなって襲い掛かる。何しろ失敗したら無駄死になのである。野球には「流れ」を信じるか否かでよく論争になるが、あっても無くてもバントの失敗は確実に悪い雰囲気を漂わせるし、投手を一気に立ち直らせてしまう回復アイテムに早変わり。
結論から言えば、伊集院はバントを失敗した。
「キャッチぃ!」
最上の145キロに気圧されたか、捕手への小フライ。なんと無死1・2塁から、一つも駒を進められないまま芯太郎に周ってしまった。
――何やってんだ伊集院! これじゃランナー無しと変わらねぇ!
誰もが文句を言いかけたが、震えながら戻ってくる伊集院を見ると、とても気の毒でそんな事は言えない。誰しも知っているプレッシャーなのだから、我が身に置き換えれば仕方がないと思えた。
だが二塁ベース上の朝比奈と一塁ベースの里見は不満感を全開にしている。いたたまれない雰囲気の中、芯太郎は打席に入る。
「斎村ァ! ここまで二打席凡退だ! ここで引導を渡してやるぜエセスラッガー!」
途端に最上のテンションがMAXになる。エメリーボールでも投げるのかというほどに硬球に爪を立て、誰がどう見ても力んでいるのが分かった。
「喰らえ斎村!」
初球、147キロ。芯太郎は腰砕けのスイングで振り遅れる。
「おらぁ、一本勝負だァ!」
自分の世界に入り込んだ最上は止まらない。二球目は146キロ、ボール球。見送ったのではなく、芯太郎には手が出ない。反応ができない。
三振は時間の問題であった。
だがこの絶望的な展開の中、朝比奈だけは気づいていた。先程から最上が、全くランナーを警戒していない事を。
何か怒鳴りながらセットポジションにつく最上が足を上げた瞬間、朝比奈は三塁へ走る。
「走った!」
「うわ、完全に盗んだ!?」
投球は145キロ、ど真ん中ストレート。ツーストライクと追い込まれたが、朝比奈は『三塁に到達した』。
――お膳立てはしてやったぜ。どうすんだ、芯太郎!
ここまで芯太郎の打率は、電光掲示板に表示してある.000。なんと.000なのである。
内野安打もポテンヒットもない守備の人。ここでチャンスを任せるには荷がきつすぎる人材……。
「面白ぇ……受けてみろ斎村!」
なんとランナー1・3塁にも関わらず、最上は振りかぶった。里見は悠々と二塁に走る。朝比奈は本塁を狙う素振りを見せて動揺を誘う。
だが、最上は芯太郎しか見ていなかった。
「この俺の……決め球だぁぁーーッ!」
芯太郎の神主打法が、ステップ2ほどに入ったころ、指からボールが離れた。縫い目が見える=回転数が少ない事から、フォークと判断するまでにコンマ数秒。そこからバットを軌道修正しても、間に合わない。伝家の宝刀フォークボールで、最上は勝ったかに思われた。
ワンバウンドするほどの落差のフォークボール。そのバウンドしたボールを、キャッチャーが体に当てて止めようとしたその時。
止めようとしたボールが、視界から消えた。




