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左中間の悪魔 ―呪われた力で目指す甲子園―  作者: 大培燕
三年夏 ――殊勲の章――
57/129

55回:さっきは死ぬかと思った

 朝比奈は唇を噛み締める。確かに進言した通りのオーダーで挑んだこの試合は、凄惨な結果である。

 しかしエース真柄を投げさせていないという事がこの試合の最も大きな敗因であって、レフトの守備ではない。


 ここまで田中は二打席でヒット一本。打撃好調なのだ。代える必要は無い。このオーダーが生きるのは後半、相手投手が疲れて来た時だというのに!


「智仁高校、選手の交代をお知らせします。レフトの田中君が退き……」


 朝比奈は定位置に着くと二、三回首の骨を鳴らした。コールされてしまった以上、切り替えるしかない。

 投球練習を終えた竹中に待っているのは、三番から始まるクリンナップ。六点の内の四点をこの三人によって失っている。


「三番ピッチャー、雑賀……君」


 ここまで苦戦を強いられてきた相手の主戦投手。この試合のキーマンに対し、第一球は……。

 インコース、ストレート!

 里見のリードは外角。その逆球を雑賀は見逃さない。


「しまった!」


 思わず竹中が口を裂いてしまうほどの鋭い打球は、唸りをあげながらサード真柄の頭上を越えて。

 飛び込んだ芯太郎のグラブの中に納まった。


「アウトォ!」


 既に三塁後方、送球カバーへ向かっていた竹中の気分が、まるで目薬をさしたかの様に浄化された。


 守っていた位置。一歩目の速さ。守備範囲。

 長きに渡ってレフトに居座って来た芯太郎だけに、その貴重さがナインに認識されていなかった。


 今日の打球の70%はレフト方向。今の守備でチームの大半が認識を改めざるを得なかった。

 5失点の原因は彼の不在。斎村芯太郎がいなければ、自分たちは甲子園には行けないのだと。夏の本番は一発勝負。やはり芯太郎抜きのオーダーは有り得ない。


 壇ノ浦はこの試合の半分を犠牲にして、それをナインに、半ば無理やり認識させた。

 朝比奈の口元から、血液の粒が流れ落ちた。


                     ******


「有り得ない!敗退行為だ!」


 試合後、朝比奈と舞子は寮に来ていた。休憩室に集まっているのは二人の他に、特待生の三人。芯太郎はいない。


「下手すれば試合を落としていた試合だ!俺達3人の長打がなかったら、確実に負けていた!」

「まぁ、確かに危なかったけどさぁ~。勝てたから良かったじゃーん」


 試合は結局7対5というスコアで辛勝した。県大会の準決勝と考えれば、十分に上出来だと言えるが問題は采配である。竹中の完投。なんと真柄の登板は最後まで無かったのである。


「下手したら今日で俺達の夏は終わってたじゃねぇか! あのクソ監督」

「まぁ今日の試合のダメージはデカいわなぁ」

「ほら! 高坂もそう思うだろ?」

「ちゃうて。プラス方向にデカい言うとんねん」


 朝比奈は絶句した。舞子はスコアブックを持ってオドオドしている。


「確かに。決勝前に態々真柄を見せずにすんだのはデカいな」


 里見が同調する。


「あとこれで芯太郎がスタメンから外れる事は、全員一致で有り得なくなったってことや。チームが一丸に」

「どこが一丸だ!」


 二階にいる芯太郎にも聴こえそうな勢いで朝比奈が叫んだ。


「野球部以外の生徒もいるんだ。あまり騒ぐなよ」

「……」

「お前は認めたくないかもしれんが」


 里見は溜め息交じりに続ける。


「今日の試合で分かっただろう。今チームで最も勝利に貢献しているのは誰か」

「芯太郎が貢献してるとは思えない。結局あいつは今日もノーヒットだぞ」

「竹中は五回まで六失点。五回以降は二失点だ。芯太郎がいるのといないのとでこれほど違うんだ」

「偶々だ」

「言っておくが俺はあいつの守備範囲を頭に入れてリードしてるんだからな」


 里見の口撃こうげきがキツくなっていく。朝比奈は言葉を失う。


「アイツを外すことはもうチームが許さない」

「この夏の主役はあいつで決まりなんや。あいつに満塁で渡せるかどうかで勝敗が決まる」

「七番打者が主役だと? ふざけろ。高坂、お前もあいつの引き立て役で満足するつもりか」


 朝比奈は芯太郎が精神を削って打っている事は十分分かっている。だからと言って、打撃で結果が出せないものをいつまでも頼るのはこのチームの悪癖だと思った。


「俺はベストを尽くすだけや。噛みつくな」

「あいつ一人のために、何度こんな恥ずかしい試合をしなきゃならん? あんな相手を舐め切った、謙虚さの欠片も無い試合を」

「謙虚さ、ねぇ……」


 真柄がゲームのスクリーンを閉じ、朝比奈の方へゆっくりと歩を進めた。不思議な、あたかも教師の様な迫力があった。


「甘ちゃんだね、朝比奈」

「何を?」

「謙虚に、高校生らしく試合したんじゃ、強豪に勝てるわけないじゃん。朝比奈は高校生の面目に拘って甲子園に行かない気かな~?」


 語調と裏腹に、真柄の眼が据わっている。


「誰も、そんな事は言ってないだろ」

「俺ら特待生は、ほとんどタダで学校に通わして貰ってる。その事から来る愛校心、っていうのも芽生えてるのも事実だがな」


 里見が口を挟むと、真柄が横目で睨んでいる。今は一人で話させろ、という意思表示だ。里見は竦んでしまった。


「それの、何が悪いんだ」


 朝比奈はそれを口にした瞬間、確実に真柄の反論に遭う事を肌で予感した。


「悪いね」

「何だと?」

「その愛校心とかいう奴が、俺達を弱くするんですよ~」


 真柄はほとんど生まれて初めて、自分の野球観を語り出した。

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